出典 · ローマ期
ギリシア案内記
パウサニアス · 2世紀 · Description of Greece
各地の伝承・祭祀・美術作品の記述から、地方ごとの異伝が分かる。
日本語訳: 馬場恵二訳、岩波文庫、1991-92 · 原文・参考リンク ↗
この出典が語っていること
アケロン
- パウサニアスによれば、オリュンピアでゼウスへの犠牲に白ポプラの木を使うのは、ヘラクレスがテスプロティアのアケロン川の岸に生えていた白ポプラをギリシャに持ち帰ったからで、ホメロスが白ポプラを「アケロンの(アケローイス)」と呼ぶのもそのためだという。『イリアス』では倒れる戦士のたとえにこの木が出てくる。 (パウサニアス5.14.2-3、『イリアス』13.389、16.482(ἀχερωΐς))
- パウサニアスは、テスプロティアのキキュロスの近くにアケルシアス湖とアケロン川、そしてひどく見栄えのしないコキュトスの流れがあるとし、ホメロスはこれらを見て、冥界の川にテスプロティアの川の名を付けたのだろうと考える。トゥキュディデスは、テスプロティアを流れるアケロン川が注ぐアケルシアス湖が、エピュレの町のそばで海に出ると記す。 (パウサニアス1.17.5、トゥキュディデス1.46.4)
- パウサニアスは、ペロポネソス半島のヘルミオネの神殿の裏に、クリュメノスの場所、プルトンの場所と並んで「アケルシアス湖」と呼ばれる場所があると記す。クリュメノスの場所には地の裂け目があり、ヘルミオネの人々は、ヘラクレスがそこから冥界の犬を連れ出したと言う。 (2.35.10)
- 関係: visited_by → herakles (5.14.2 テスプロティアのアケロン川の岸で白ポプラを見つけた)
アクリシオス
- パウサニアスは、アルゴスからエピダウロスへの道にある、アルゴス式の盾の浮彫で飾られたピラミッドに似た建物を、プロイトスとアクリシオスが王位を争った戦いの戦死者の共同墓とする。戦いは引き分けで二人は和解し、盾はこの戦いで初めて使われたと伝える。 (2.25.7)
- 男の子を得る方法を神託に尋ねたアクリシオスは、娘が産む男の子に殺されると告げられ、地下に青銅の部屋を作ってダナエを閉じこめた。パウサニアスは、アルゴスにその青銅の部屋の上にあったという地下の建物が残り、僭主ペリラオスが取り壊したと記す。ヒュギヌスでは閉じこめた先は「石壁の牢」。 (アポロドーロス2.4.1、パウサニアス2.23.7、10.5.11、ヒュギヌス63)
- アポロドーロスでは、ペルセウスがダナエとアンドロメダを連れてアルゴスへ向かうと、アクリシオスは神託を恐れてペラスゴイ人の地へ去った。ラリサ王テウタミデスが亡父のための競技を開き、五種競技に出たペルセウスの円盤がアクリシオスの足に当たって即死させた。パウサニアスでは、ペルセウスは祖父に会ってあいさつしたいと願い、自分が考案した円盤を得意げに披露していたところ、アクリシオスが気づかれずに進路に入ってしまった。 (アポロドーロス2.4.4、パウサニアス2.16.2)
- ペルセウスは神託が果たされたと知ってアクリシオスを町の外に葬り、自分が死なせた人の遺産を受け継ぐのを恥じて、プロイトスの子メガペンテスとアルゴスとティリュンスを取り替えた(アポロドーロス)。パウサニアスは、そのうえでペルセウスがミュケナイを築いたとし、剣の鞘の石突き(ミュケス)が落ちた所、あるいはキノコ(ミュケス)から湧いた水を飲んだ所だから、という町の名の由来を伝える。 (アポロドーロス2.4.4、パウサニアス2.16.3)
- アポロドーロスでは、アクリシオスの妻はラケダイモンの娘エウリュディケで、娘はダナエ一人。パウサニアスは、スパルタのアルゴスのヘラの神殿を、アクリシオスの妻エウリュディケが建てたと記す。ヒュギヌスはダナエの母をアガニッペとする。『イリアス』はダナエを「アクリシオスの娘」と呼ぶ。 (アポロドーロス2.2.2、パウサニアス3.13.8、ヒュギヌス63、『イリアス』14.319)
- 関係: killed_unintentionally_by → perseus (アポロドーロス2.4.4 ラリサの葬送競技で円盤が足に当たる。パウサニアス2.16.2 気づかずに円盤の進路へ入る。ヒュギヌス63 セリポスのポリュデクテスの葬送競技で風にあおられた円盤が頭に当たる)
アクロポリス
- アクロポリスは切り立った崖と強い城壁に囲まれ、入口はひとつだけだった。門は白大理石の屋根を持ち、その右手に翼のない勝利の女神(ニケ)の神殿があって、そこから海が見えた。 (1.22.4)
- 伝説では、アイゲウスはこの場所から、黒い帆を張った息子テセウスの船を見て、息子が死んだと思いこみ身を投げた。テセウスは勝って帰るなら白い帆を使うと約束していたが、アリアドネを失ったことで合図を忘れた。 (1.22.4-5)
- パルテノン神殿の正面の破風はアテナの誕生、裏の破風はアテナとポセイドンの土地争いを表していた。神殿の像は金と象牙で造られ、胸には象牙のメドゥサの頭、手には勝利の女神の像と槍、足もとに盾と蛇があった。パウサニアスはこの蛇をエリクトニオスだろうと書き、台座にはパンドラの誕生が浮き彫りにされていた。 (1.24.5-7)
- エレクテイオンの中には海水をたたえた井戸があり、南風が吹くと波の音がした。岩には三叉の矛の跡があり、どちらもポセイドンが土地の所有を主張した証しとして現れたと伝えられた。入口の奥にはポセイドンの祭壇があり、神託に従ってエレクテウスにもそこで犠牲が捧げられた。 (1.26.5)
- パウサニアスの聞いた話では、オリーブは焼けたその日のうちに二腕ほどの高さまで伸びた。 (1.27.2)
- アテナは赤子のエリクトニオスを箱に入れてケクロプスの娘パンドロソスに預け、開けることを禁じたが、姉妹が好奇心から開け、中の赤子に巻きつく蛇を見た。姉妹は蛇に殺されたとも、アテナの怒りで狂ってアクロポリスから身を投げたともいう。エリクトニオスはのちに王となり、アクロポリスにアテナの木像を立て、アテナの聖域に葬られた。 (アポロドーロス3.14.6-7、パウサニアス1.18.2)
- マラトンに上陸したペルシャ軍からの戦利品の十分の一で造られた青銅のアテナ像があり、ペイディアスの作とされた。船でアテネへ向かう人には、スニオン岬を過ぎると、この像の槍の穂先と兜の飾りが見えたという。 (1.28.2)
- 関係: owned_by → athena (パウサニアス1.24.5 パルテノン、1.26.6 アテナの像)
- 関係: visited_by → poseidon (1.26.5 海水の井戸と三叉の矛の跡)
- 関係: visited_by → aegeus (1.22.4-5 ここから身を投げた)
- 関係: visited_by → erechtheus (1.26.5 エレクテイオン)
アクタイオン
- 古い形の一つ: 前5世紀の系譜家アクシラオスは、アクタイオンがセメレ(ゼウスの恋人でディオニュソスの母)に求婚したためゼウスが怒った、とする。前6世紀の抒情詩人ステシコロスも、セメレを妻にさせないために女神が鹿皮をアクタイオンにかぶせ、猟犬に襲わせたと歌ったという。 (3.4.4(アクシラオス)/ パウサニアス 9.2.3(ステシコロス))
- パウサニアスは、メガラからプラタイアへの道の途中に「アクタイオンの寝床」と呼ばれる岩と泉があり、狩りに疲れて眠った彼が、この泉でアルテミスの水浴びをのぞいたと言われている、と記す。 (9.2.3)
アドラストス
- シキュオンの英雄祭祀: アドラストスは母方の祖父ポリュボスからシキュオンの王位を継いだとされ、その市場に英雄廟があった。ヘロドトスによれば、シキュオン人は彼の苦難を悲劇風の合唱で讃えていたが、前6世紀の独裁者クレイステネスはアルゴスと戦っていたため、合唱をディオニュソスに戻し、残りの祭祀をアドラストスの宿敵メラニッポスに移した。デルポイに追放の可否を尋ねると、巫女は「アドラストスこそシキュオンの王、お前は石投げにすぎぬ」と答えたという。 (ヘロドトス 5.67.1-5 / パウサニアス 2.6.6)
- 最期: パウサニアスによれば、メガラ人はアドラストスもメガラで祀り、彼は息子たちの世代がテーバイを落とした後に軍を連れ帰る途中、老いと息子アイギアレウスの死の悲しみからメガラで死んだと言っていた。エピゴノイの遠征で死んだのは、七将のうちただ一人生き残ったアドラストスの息子だった、という対の構図になっている。 (1.43.1 / 3.7.3 / 『神話伝説集』71)
- 関係: participated_in → epigoni (1.43.1 テーバイを落として軍を連れ帰る途中、メガラで死んだとメガラ人は言う)
アイアコス
- 島でひとりきりのアイアコスのため、ゼウスが蟻を人間に変えた(アポロドーロス、ヘシオドスの断片)。ヒュギヌスでは、ヘラが水に蛇を送って毒を入れたため民が死に、アイアコスの願いでゼウスが蟻を人に変えて、ギリシャ語で蟻を「ミュルメケス」ということからミュルミドネスと名づけた。オウィディウスでは疫病の原因はヘラ(ユノ)の怒り。パウサニアスは、アイアコスが民を求めるとゼウスが地から人々を生え出させた、というアイギナの伝えを記す。 (アポロドーロス3.12.6、『カタログ』断片(エヴリン=ホワイト53)、ヒュギヌス52、『変身物語』7.523-657、パウサニアス2.29.2)
- アポロドーロスでは、アイアコスは人間の中で最も敬虔で、ペロプスがアルカディア王ステュンパロスをだまし討ちにして体を散らしたためにギリシャが不作に苦しんだとき、神託に従ってアイアコスが祈り、災いがやんだ。パウサニアスは、デルポイの巫女が「祈るのがアイアコスでなければゼウスは聞き入れない」と言い、各都市の使者がアイギナに来て、アイアコスが全ギリシャのゼウス(パンヘレニオス)に犠牲と祈りを捧げて雨を降らせたと記し、アイアコスの聖域の入口にその使者たちの浮彫があったと伝える。 (アポロドーロス3.12.6、パウサニアス2.29.6-8、1.44.9(メガラのゼウス・アペシオス))
- ピンダロスは、アイアコスを「地上の人間のうちで最も思慮深い者」と呼び、神々にさえ裁きをつけたとする。パウサニアスによれば、メガラの王位をめぐるスキロンとニソスの争いもアイアコスが裁き、王位をニソスに、戦の指揮権をスキロンに与えた。 (『イストミア祝勝歌』8.21-24、パウサニアス1.39.6)
- アポロドーロスでは、アイアコスはスキロンの娘エンデイスとのあいだにペレウスとテラモンを、アザラシに姿を変えて逃れようとしたネレウスの娘プサマテとのあいだにポコスをもうけた。競技にすぐれたポコスを兄たちがねたみ、くじに当たったテラモンが円盤で殺し、ペレウスが死体を隠すのを手伝った。露見すると、アイアコスは二人をアイギナから追放した。パウサニアスは、円盤を投げてポコスを殺したのはペレウスで、母の意を汲んだものだとし、アイアコスの聖域の隣にポコスの墓があったと記す。 (アポロドーロス3.12.6、パウサニアス2.29.9)
アゲノル
- パウサニアスによれば、タソス島の人々はフェニキアのテュロスから、アゲノルの子タソスとともにエウロペを探して船出した者たちの子孫で、オリュンピアに青銅のヘラクレス像を奉納した。ヘロドトスは、エウロペを探して航海したフェニキア人がタソスに住みつき、ヘラクレスの神殿を建てたと記す。また、カドモスは探索の途中でテラ島に立ち寄り、身内のメンブリアロスとフェニキア人たちを残したという。 (パウサニアス5.25.12、ヘロドトス2.44.4、4.147.4)
アルクマイオン
- 父の聖域からの締め出し: パウサニアスによれば、オロポスのアンピアラオスの聖域の祭壇にはアンピロコスの子らまで祀られていたが、アルクマイオンはエリピュレへの仕打ちのために、アンピアラオスの神殿でもアンピロコスと並べても祀られていなかった。 (1.34.3)
- 関係: participated_in → epigoni (3.7.2-3 総大将としてエテオクレスの子ラオダマスを討つ / 10.10.4 / 71)
アルタイア
- 薪の話を初めて劇にしたのは、前5世紀初めの悲劇詩人プリュニコスの『プレウロンの女たち』だとパウサニアスは伝え、「恐ろしい母が薪を焼き尽くした」という趣旨の詩句を引いている。ただし彼の書き方から、話はすでにギリシャ中で知られていたと見ている。 (10.31.4)
- アルタイアの兄弟たち(テスティオスの息子たち)は、猪狩りの参加者としてどの名簿にも入っている。名前は出典で違い、バッキュリデスではイピクロスとアパレス、オウィディウスではプレクシッポスとトクセウス、テゲアの破風(パウサニアス)ではプロトオスとコメテス。 (バッキュリデス 5.127-129 / Met. 8.440-444 / 8.45.6)
アンピアラオス
- 呑まれた場所はどこか: パウサニアスは、テーバイ人がポトニアイからテーバイへの道の右手にある柱の立つ囲い地を「大地が開いた場所」とし、鳥も柱にとまらず獣も草を食まないと言うことを記す。一方タナグラ人は、近くの町ハルマ(「戦車」)の名が、アンピアラオスの戦車がそこで消えたことに由来すると主張する。オロポス人も聖域の泉を、神となった彼が地上に現れた場所としていた。 (9.8.3, 9.19.4, 1.34.2-4)
- 神になった英雄: パウサニアスによれば、アンピアラオスが神として最初に祀られたのはオロポスで、そこからギリシャ全体に広まった。オロポスの聖域には神殿と白い大理石の像、「アンピアラオスの泉」があり、神託によって病が治った者は泉に金銀の貨幣を投げ入れる習わしだった。相談者は身を清めて犠牲を捧げたあと、雄羊の皮を敷いて眠り、夢で答えを待った。パウサニアスは、アンピアラオスが生前から夢解きを得意とし、神となってからも夢の神託を開いたのだと考えている。 (1.34.1-5(夢の神託 1.34.5))
- 関係: participated_in → calydonian-boar-hunt (1.8.2 猪の目を射る / Met. 8.316-317 / 8.45.7)
アナンケ
- パウサニアスによれば、コリントスのアクロコリントスの山を登る途中、ヘリオスの祭壇の先に、必然の女神(アナンケ)と力の女神(ビア)の聖域があり、中へ入らないのがならわしだった。 (2.4.6)
アンタイオス
- パウサニアスによれば、テバイのヘラクレス神殿の破風の彫刻(プラクシテレス作)は十二の功業の大部分を表していたが、ステュンパロスの鳥とエリスの国の掃除が外され、代わりにアンタイオスとの組み討ちが置かれていた。 (9.11.6)
- 関係: participated_in → twelve-labors (アポロドーロス2.5.11 十一番目の功業(ヘスペリデスの林檎)の途上。パウサニアス9.11.6 テバイの破風では二つの功業の代わりに置かれる)
アルカディア
- カリストの子アルカスは王となり、トリプトレモスに学んだ穀物の栽培、パンの焼き方、衣の織り方を人々に教えた。この王から、土地はペラスギアに代わってアルカディア、人々はアルカディア人と呼ばれるようになった。 (8.4.1)
- ペラスゴスの子リュカオンは、リュカイオン山のゼウスの祭壇に人間の赤子をささげてその血を注ぎ、その直後に人から狼に変えられた。パウサニアスはこの話を信じるとし、昔の人は正しく信心深かったので神々と食卓を共にし、善い者はたたえられ、罪人は目に見える形で罰を受けたのだと書く。 (8.2.3-5)
- 関係: visited_by → callisto (8.4.1 カリストの子アルカスが王に)
アルゴス
- 土地をめぐってヘラとポセイドンが争い、川の神イナコス、ケピソス、アステリオンが裁いて土地をヘラのものとした。ポセイドンは川の水を消したので、これらの川は雨の後でなければ水が流れない、とパウサニアスは伝える。 (2.15.5)
- アクリシオスはアルゴスに、兄弟プロイトスはティリュンスなどに分かれて治めた。孫ペルセウスの円盤に当たってアクリシオスが死ぬと、ペルセウスは殺人のうわさを恥じ、プロイトスの子メガペンテスと国を取り替えてミュケナイを築いた、とパウサニアスは書く。 (2.16.2-3)
- ヘラの聖域はミュケナイから15スタディオンほどのところにあった。そばを流れる川アステリオンの三人の娘が幼いヘラの乳母だったとされ、川岸に生える草アステリオンはヘラにささげられ、その葉で女神の冠が編まれた。 (2.17.1-2)
- 関係: owned_by → hera (『イリアス』4.51-53、パウサニアス2.15.5)
- 関係: visited_by → poseidon (2.15.5 土地をめぐってヘラと争った)
- 関係: ruled_by → acrisius (2.16.2)
アスクレピオス
- 関係: parent → hygieia (1.23.4「言い伝えでアスクレピオスの娘とされる」ヒュギエイアの像)
アステュアナクス
- 誰が殺したかは出典で異なる。『小イリアス』では、ネオプトレモスがヘクトルの子を掴んで塔から投げたとされる。ただしこれはプロクロスの要約ではなく引用断片に残る形で、パウサニアスもレスケス(『小イリアス』の作者とされる)が塔から投げ落とされたと記していると伝える。 (『小イリアス』断片14(リュコプロン1268への古注が引く)。プロクロスの要約にはこの件は無い。パウサニアス 10.25.9 も参照)
アタランテ
- 関係: participated_in → calydonian-boar-hunt (1.8.2 / Met. 8.317-328, 8.380-387 / 『神話伝説集』173-174 / 8.45.6 テゲアの破風)
アテナイ
- パルテノン神殿の西の破風(裏側の破風)には、この土地をめぐるポセイドンとアテナの争いが彫られていた、とパウサニアスは記す。 (1.24.5)
- 関係: visited_by → poseidon (アポロドーロス 3.14.1 アクロポリスに三叉の矛を打ちつけて海水の泉を湧かせた。敗れてトリアシオン平野を水浸しにする。パウサニアス 1.26.5(矛の跡と海水))
アッティカ
- パウサニアスが聞いた話では、アクタイオスが最初の王で、その後継ケクロプスのあとに王となったクラナオスの娘アッティスの名から、それまでアクタイアと呼ばれた土地がアッティカと呼ばれるようになった。 (1.2.6)
アウゲイアス
- パウサニアスでは、アウゲイアスの父はエレイオスで、それを誇張してヘリオスとする者がいるという。家畜があまりに多く、糞のせいで国の土地の大半が耕されないままだった。アウゲイアスはエリスの土地の一部などを報酬にヘラクレスに片づけを頼み、ヘラクレスはメニオス川の流れを変えて片づけた。だが骨折りではなく策略で成し遂げたとして報酬を拒み、それをとがめた長男ピュレウスを追放した。 (5.1.9-10)
- パウサニアスでは、アウゲイアスとの戦でヘラクレスは目立った手柄を立てられず、アクトルの子らに何度も敗れた。のちにクレオナイで彼らを待ち伏せて殺し、エリスを攻め落としたが、ピュレウスへの敬意から国を彼に譲り、アウゲイアスは罰を免れた。ピュレウスがドゥリキオンへ帰ったあと、アウゲイアスは高齢で死に、王位は息子アガステネスらに移った。オクシュロスの時代以後も、パウサニアスのころまでアウゲイアスには英雄としての捧げものがされていたという。 (5.2.1、5.3.1、5.3.3、5.4.2、2.15.1(クレオナイのモリオネの墓))
- ピンダロスは、ヘラクレスが「強く乱暴な」アウゲイアスから、渋るのを承知で雑役の賃金を取り立てようと、ポセイドンの子クテアトスとエウリュトスをクレオナイで討ち、友を欺いたエペイオイの王の町を火と鉄で滅ぼした、と書く。そのあと戦利品をピサに集めて父ゼウスの聖域アルティスを定め、四年ごとの祭典と最初のオリュンピア競技を始めた。パウサニアスも、ヘラクレス以前にアウゲイアスがオリュンピアの競技を催したと記す。 (『オリュンピア祝勝歌』10.24-59、パウサニアス5.8.3)
- 英語の形容詞 Augean(ひどく汚い)は1590年代から使われ、ヘラクレスの難業の「アウゲイアスの家畜小屋」に由来する。etymonline は、小屋には3,000頭の牛がいて30年間掃除されていなかったとし、名はおそらく auge(輝き、日の光)からと説明する。アポロドーロスとパウサニアスの話には、この頭数と年数は出てこない。 (etymonline「Augean」(2026年9月閲覧)、アポロドーロス2.5.5、パウサニアス5.1.9-10)
- 関係: enemy → herakles (アポロドーロス2.5.5、2.7.2、『オリュンピア祝勝歌』10.24-42、パウサニアス5.1.10-5.3.1)
アウリス
- ボイオティアのエウボイア海峡(エウリポス)に面した実在の港。パウサニアスは、ここに白大理石の像を二体(一方は松明を持ち、一方は矢を射る姿)置くアルテミスの神殿があり、ホメロスの歌う鈴懸の木の残りも伝えられていたと記す。 (9.19.6(エウリポス海峡とアウリス、アルテミス神殿と二体の像)、9.19.7(神殿に残る鈴懸の木と、順風が吹いたときの犠牲の伝え))
- パウサニアスによれば、アウリスでは逆風に足止めされていたギリシャ軍に突然順風が吹き、各自が手元の獣を雄雌構わずアルテミスに捧げたので、以来アウリスではどんな獣でも生贄にしてよいとされた。泉と、近くの丘のアガメムノンの天幕の青銅の敷居も示されていた。 (9.19.7)
ボイオティア
- テスピアイの領地のドナコンという所にナルキッソスの泉があり、ナルキッソスはこの水を覗き込んで自分の影と知らずに恋をし、泉のそばで死んだと伝えられた。パウサニアスは、恋をする年の者が人と影の区別もつかないと考えるのは愚かだとして、双子の妹を失ったナルキッソスが、自分の影と知りつつ妹の面影を見て慰められたという別の話を挙げる。 (9.31.7-8)
- 関係: visited_by → narcissus (9.31.7)
カリュドン
- アルテミス・ラプリアの像: パウサニアスによれば、アウグストゥスがアイトリアの住民をアクティオン近くの新都市ニコポリスへ移したとき、カリュドンの戦利品とともにアルテミス・ラプリアの像がパトライ(現パトラ)に与えられ、2世紀にもアクロポリスで祀られていた。狩人姿の金と象牙の像だった。「ラプリア」の由来として、像を建てたポキスの人ラプリオスの名とする説と、オイネウスへの女神の怒りが時とともに「軽く(エラプロテロン)」なったからとする説を挙げる。 (7.18.8-10)
- パトライには「カリュドンのディオニュソス」の社もあり、その像もカリュドンから運ばれた。パウサニアスはこれにまつわる話として、カリュドンの神官コレソスと娘カリロエの悲恋を伝える。コレソスを拒んだカリロエの代わりに町を狂気と死が襲い、ドドナの神託が彼女を犠牲にせよと告げたが、祭壇でコレソスは彼女の代わりに自ら命を絶ち、後悔したカリロエも港近くの泉で自害した。その泉はカリロエと呼ばれるようになったという。 (7.21.1-5)
- アルゴス近郊のオイノエという地名は、カリュドンを追われたオイネウスにちなむとアルゴス人は言う。王位を奪われたオイネウスを孫ディオメデスがアルゴスに迎え、死後その地に葬ったためだという。 (2.25.2 / 1.8.6)
カリュドンの猪狩り
- アポロドーロス、オウィディウス、ヒュギヌス、テゲアの神殿破風(パウサニアスの記録)の4つを突き合わせると、すべてに名があるのはメレアグロス、アタランテ、カストルとポリュデウケス、テセウス、ペレウス、テラモン、アンカイオスの8人と、テスティオスの息子たち(アルタイアの兄弟)。ネストルはオウィディウスだけ、アスクレピオスはヒュギヌスだけに出てくる。後代の作家ほど、別の物語で有名な英雄を名簿に加えていったことがうかがえる。 (1.8.2 / Met. 8.299-317 / 173 / 8.45.6-7 を照合した本サイトの集計。イリアス 9.543-546 とバッキュリデス 5 には名簿自体が無い)
- 記念品と美術: 2世紀のパウサニアスは、アルカディアのテゲアにあるアテナ・アレアの神殿(建築家はパロスのスコパス)の正面の破風に猪狩りが彫られていたと記し、中央の猪の両側にアタランテ、メレアグロス、テセウス、テラモン、ペレウス、ポリュデウケス、イオラオス、テスティオスの息子たち、傷ついたアンカイオス、カストル、アンピアラオス、ヒッポトオス、ペイリトオスの名を挙げる。神殿には毛の抜け落ちた猪の皮も奉納されていた。牙はアウグストゥスがアントニウスに勝った後にローマへ持ち去り、1本は折れ、残る1本は皇帝の庭園のディオニュソスの社にあったという。 (8.45.5-7(破風)、8.47.2(皮)、8.46.1, 8.46.5(牙))
- 関係: participant → castor (1.8.2 / Met. 8.301-302 / 『神話伝説集』173 / 8.45.7 テゲアの破風)
- 関係: participant → polydeuces (1.8.2 / Met. 8.301-302 / 173 / 8.45.6 テゲアの破風)
- 関係: participant → theseus (1.8.2 / Met. 8.268-271, 8.303, 8.403-410 / 173 / 8.45.6)
- 関係: participant → peleus (1.8.2 投げ槍でエウリュティオンを誤って殺す / Met. 8.309「偉大なアキレウスの父」 / 173 / 8.45.6)
- 関係: participant → amphiaraus (1.8.2 猪の目を射る / Met. 8.316-317「まだ妻から無事なオイクレスの子」/ 8.45.7。ヒュギヌス173の名簿には無い)
カパネウス
- 雷に打たれる場面: エウリピデス『フェニキアの女たち』では、長い梯子を担いで「ゼウスの聖なる火さえ町の破壊を止められない」と叫びながら、盾で石を防いで一段ずつ登り、胸壁を越えようとした瞬間に雷に打たれる。手足は四方へ飛び散り、燃える体が地に落ちた。パウサニアスによれば、テーバイ人は彼が打たれたのをプラタイアからの入口にあたるエレクトラの門だとしていた。 (1172-1186 / 3.6.7 / 9.8.7)
- 家系: アポロドーロスはヒッポノオスの子とする。パウサニアスはデルポイのアルゴス人の奉納像の説明で、カパネウスとエテオクロスを「プロイトスの子孫」と呼ぶ。ヒュギヌスは母をアドラストスの姉妹アステュノメとし、カパネウスをアドラストスの甥にあたる人物とする。 (3.6.3 / 10.10.3 / 『神話伝説集』70)
ケンタウロス族
- オリュンピアのゼウス神殿の西の破風には、アルカメネス作とされるペイリトオスの婚礼でのラピタイ族とケンタウロス族の戦いが刻まれ、中央にペイリトオス、花嫁をつかむエウリュティオン、救いに来るカイネウス、斧で戦うテセウスが並んでいた。 (5.10.8)
- 関係: enemy → theseus (『イリアス』1.265、『変身物語』12.227-237、パウサニアス5.10.8)
カリス
- パウサニアスによれば、スパルタ人はカリスを二人とし、クレタとパエンナと呼んだ。アテナイ人も古くから二人のカリス、アウクソとヘゲモネを祀った。三人のカリスに祈る習わしはオルコメノスのエテオクレスから始まったという。 (3.18.6, 9.35.1-3)
カロン
- ホメロスの冥界にはカロンも渡し舟も出てこない。『オデュッセイア』のオデュッセウスは冥界の入口で死者の霊を呼び出すだけで、川を渡らない。カロンの名が確認できる最古の例は、散逸した叙事詩『ミニュアス』の断片で、パウサニアスが引用して伝えている。 (『オデュッセイア』11.1-50 / パウサニアス 10.28.2(『ミニュアス』断片))
- パウサニアスは、デルポイにあった画家ポリュグノトス(前5世紀)の冥界図に、老人の姿のカロンが舟を操る場面が描かれていたと記す。画家は『ミニュアス』の「死者を乗せる舟、老いた渡し守カロンが操っていた舟」という詩句に従って、彼を年寄りに描いたのだろう、という。 (10.28.1-2)
クリュサオル
- パウサニアスは、リュディアの小さな町で嵐のあと巨大な骨が現れ、人々がすぐに「クリュサオルの子ゲリュオンの亡骸」だと言い出した話を記す。 (1.35.7)
コリントス
- コリントスには「轡をかける」アテナの神殿があり、アテナはベレロポンを最も助けた神で、ペガソスをみずから馴らし轡をかけて彼に渡したと伝えられた。 (2.4.1)
- コリントス人の伝えでは、ポセイドンとヘリオスが土地を争い、ブリアレオスが裁いて、地峡とその周りをポセイドンに、町の上の高地(アクロコリントス)をヘリオスに与えた。アクロコリントスはのちにヘリオスからアプロディテへ譲られた。パウサニアスは、アテナイ人の似た話(アテナとポセイドンの争い)のほうが先だろうと考えている。 (2.1.6、2.4.6)
- ペイレネは、アルテミスに誤って殺された息子ケンクリアスを嘆く涙で泉になった女だと伝えられ、コリントスの青銅は赤く焼けたときにこの泉の水で鍛えられると言われた。 (2.3.2-3)
- パウサニアスによれば、コリントスには王女グラウケがメデイアの毒を消そうと身を投げた「グラウケの泉」と、メデイアの子メルメロスとペレスの墓があった。子らはグラウケに贈り物を届けたためにコリントス人に石で打ち殺されたとされ、その祟りで町の赤子が死ぬようになったので、神託に従って年ごとのささげ物が定められ、恐ろしい女の姿の「恐れ」の像が立てられた。 (2.3.6-7)
- 関係: owned_by → poseidon (2.1.6 地峡はポセイドンのもの)
- 関係: visited_by → helios (2.1.6、2.4.6)
- 関係: visited_by → bellerophon (2.2.4 ベレロポンの聖域、2.4.1)
- 関係: visited_by → medea (『メデイア』、パウサニアス2.3.6-8)
キュプロス島
- トロイアへアルカディア人を率いたアガペノルは、帰りの嵐で船団ごとキュプロスへ流され、パポスを創建し、古パポスにアプロディテの聖域を建てた。それまでキュプロスの人々は、ゴルゴイと呼ばれる地で女神を祀っていた。 (8.5.2)
ダイダロス
- パウサニアスが伝える合理化された話では、ダイダロスは翼ではなく、それまで知られていなかった帆を発明し、小舟でミノスの櫂船団を振り切って逃げた。 (9.11.4)
ダプネ
- パウサニアスはアルカディアのラドン川を「ダプネの伝説で名高い」川として紹介し、同じくレウキッポスの女装と水浴びでの露見の話を記す。アポロンの恋はこの話に「詩人たちが付け足したもの」だとわざわざ断っている。 (8.20.1-4)
- 父親は出典で割れる。オウィディウスはテッサリアの河神ペネイオス、パルテニオスはラコニアのアミュクラス。パウサニアスはダプネの話をアルカディアのラドン川と結びつける。 (Met. 1.452(Daphne Peneia)/ パルテニオス 15 / パウサニアス 8.20.1)
- 関係: courted_by → apollo (Met. 1.452-567 / パルテニオス 15 / パウサニアス 8.20.4)
デルポイ
- パウサニアスが引く『エウモルピア』という詩では、神託はもとは大地の女神とポセイドンの共有だった。大地の女神の取り分はテミスを経てアポロンに渡り、ポセイドンはトロイゼン沖のカラウレイア島と引き換えに自分の取り分を譲ったという。最初の巫女は山のニンフのダプニスだったともいう。 (10.5.5-6)
- パウサニアスが聞いた伝えでは、最初の神殿はテンペの谷の月桂樹の枝で作った小屋、二つ目は蜜蜂が蜜蝋と羽で作ったもので、アポロンが北の果ての民ヒュペルボレオイのもとへ送った。三つ目は青銅、四つ目がトロポニオスとアガメデスの石の神殿で、これは前548年に焼けた。 (10.5.9-13。焼失は「第58オリュンピア祭期の第1年」(前548/7年)とされる。青銅の神殿の最期については、地の裂け目に落ちた説と火で溶けた説があるとも書く)
- パウサニアスは、羊飼いたちが立ちのぼる気に打たれて予言を始めたという話や、最初の預言者を女のペモノエとする説、北の民の男オレンとする詩を紹介したうえで、伝承に残る預言者は、オレンのほかは女ばかりだと書く。 (10.5.7-8)
- デルポイの人々は神殿の白大理石の「へそ石」(オンパロス)を大地の中心だと言った。ストラボンは、ゼウスが放った二羽の鷲(烏とする説も)が西と東から飛んでここで出会ったという話がピンダロスにあると伝え、へそ石は毛糸の帯で飾られ、二羽の鳥の像が載っていたと記す。 (パウサニアス10.16.3、ストラボン9.3.6)
- 神殿の前室には、七賢人がデルポイを訪れて捧げたとされる格言「汝自身を知れ」「度を越すな」が刻まれていた。 (10.24.1)
- 関係: owned_by → gaia (『慈しみの女神たち』1-2、パウサニアス10.5.5 最初の預言者)
- 関係: owned_by → poseidon (10.5.6 大地の女神と共有し、カラウレイア島と引き換えにアポロンへ渡した)
- 関係: visited_by → neoptolemus (10.24.4 神殿の炉で神官に殺された)
デメテル
- アルカディアの伝承では、ポセイドンに追われて牝馬に姿を変えたが、牡馬となった彼に捕らえられ、名馬アレイオンと「名を明かせぬ女神」デスポイナを産んだとされる。 (8.25.4-7, 8.42.1-4)
エイレイテュイア
- 生まれた場所の伝えは土地で分かれる。パウサニアスによれば、エイレイテュイアは北方のヒュペルボレオイの地からデロスへ来てレトのお産を助けたと言われ、ほかの人々はデロスの人々からその名を学んだという。一方、クレタの人々は、クノッソス領のアムニソスで生まれたヘラの娘だと考える。『オデュッセイア』にもアムニソスの「エイレイテュイアの洞窟」が出てくる。 (パウサニアス 1.18.5。『オデュッセイア』19.188)
エンデュミオン
- エリスではエンデュミオンは王家の祖として扱われた。パウサニアスによれば、月が彼とのあいだに50人の娘を産んだとも言われるが、人間の妻をめとってパイオン、エペイオス、アイトロスと娘エウリュキュダをもうけた、という話のほうがもっともらしい。彼は王位を懸けて息子たちをオリュンピアで競走させ、エペイオスが勝った。 (5.1.3-4、5.8.1)
- 墓は二つの土地が名乗った。エリスの人々はオリュンピアの競走路の出発点のそばにエンデュミオンの墓を示し、ミレトス近くのヘラクレイアの人々は、彼がラトモス山に退いたとしてそこに祠を持っていた。ストラボンも、ラトモス山のそばの洞窟にエンデュミオンの墓がある、と記している。 (パウサニアス 5.1.5、6.20.9 / ストラボン 14.1.8)
- パウサニアスによれば、エンデュミオンは王位を懸けて息子たちをオリュンピアで競走させ、エペイオスが勝って王位を得た。負けたパイオンは悔しさのあまりできるだけ遠くへ去り、アクシオス川の彼方の地が彼にちなんでパイオニアと呼ばれた。 (5.1.4-5)
- 関係: lover → selene (アポロドーロス 1.7.5 /『アルゴナウティカ』4.57-58 / テオクリトス『牧歌』20.37-39 / パウサニアス 5.1.4)
エピゴノイのテーバイ攻め
- 奉納像: パウサニアスは、デルポイにアルゴス人が七将の像と並べて奉納したエピゴノイの像として、ステネロス、アルクマイオン(年長ゆえにアンピロコスより先に並んでいると彼は推測する)、プロマコス、テルサンドロス、アイギアレウス、ディオメデス、エウリュアロスを挙げる。アルゴス人は、これらをアテナイと共にスパルタに勝ったオイノエの戦いの戦利品で作ったと言う。 (10.10.4)
- 父の戦いの鏡写し: 父の代でただ一人生き残ったのはアドラストスだったが、子の代でただ一人死んだのはアドラストスの子アイギアレウスだった。アポロドーロスでは、アイギアレウスはエテオクレスの子ラオダマスに討たれ、そのラオダマスはアルクマイオンに討たれる。ヒュギヌスも、父が生き残った代わりにアイギアレウスが身代わりに命を落としたと説明する。 (3.7.3 / 『神話伝説集』71 / 1.43.1)
- テーバイの陥落: ラオダマスが倒れると、テイレシアスはテーバイ人に使者を送って交渉するふりをし、その間に女子どもを車に乗せて逃げるよう勧めた。夜、ティルプッサの泉で水を飲んだテイレシアスはそこで息絶える。逃れたテーバイ人はヘスティアイアという町を建てた。アルゴス勢は無人の町に入って城壁を壊し、戦利品の一部とテイレシアスの娘マントをデルポイのアポロンに捧げた。パウサニアスは、グリサスの戦いで敗れたテーバイ人の多くがラオダマスとイリュリアへ逃れ、一部がテッサリアのホモレ山に移り、のちに戻ったときに通った門が「ホモロイスの門」と呼ばれるようになった、というテーバイの伝承も記す。 (3.7.3-4 / 9.8.6-7)
- 関係: participant → alcmaeon (3.7.2-3 総大将、ラオダマスを討つ / 10.10.4 / 『神話伝説集』71)
- 関係: participant → diomedes (『イリアス』4.405-410(ステネロスの「我々二人」)/ 3.7.2 / 10.10.4)
- 関係: participant → adrastus (1.43.1 メガラ人の伝承。軍を連れ帰る途中に死ぬ)
エレクテウス
- アクロポリスには「エレクテイオン」と呼ばれる建物があり、入口の中にはポセイドンの祭壇があって、神託に従ってエレクテウスにも犠牲を捧げる。建物の中には海水の井戸と、岩に残る三叉の矛の跡があり、ポセイドンが土地を争ったときの証とされた。ヘロドトスも「大地から生まれたエレクテウスの社」に、争いの証のオリーブと海水があると書く。 (パウサニアス 1.26.5、ヘロドトス 8.55)
- パウサニアスによれば、エレクテイオンの中の海水の井戸は、南風が吹くと波の音を立てる。岩には三叉の矛の形があり、ポセイドンが土地を争ったときの証とされる。アテナイの部族の名祖の像の中にもエレクテウスがあり、エレウシス軍を破ってエウモルポスの子イムマラドスを討ったとされる。 (1.26.5、1.5.2)
エリニュス
- パウサニアスによれば、アテナイの「尊い女神たち」の神像には恐ろしいところは何もない。エリニュスの髪に蛇が交じる姿を最初に詩にしたのはアイスキュロスだという。 (1.28.6)
- 恐ろしい女神なので、土地ごとに穏やかな呼び名がある。パウサニアスによれば、アテナイ人は「セムナイ(尊い女神たち)」、シキュオンの人々は「エウメニデス(慈しみ深い者たち)」と呼ぶ。 (1.28.6, 2.11.4)
エリピュレ
- 美術の中のエリピュレ: パウサニアスは、オリュンピアに奉納されていたコリントスの僭主キュプセロスの箱の浮き彫りに、アンピアラオスの家の前で首飾りを手にしたエリピュレと、裸の少年アルクマイオン、赤子のアンピロコスを抱く老女が彫られていたと記す。 (5.17.7)
- 最期: テーバイ攻略のあと、アルクマイオンはアポロンの神託に従って母を殺した。弟アンピロコスと共に殺したともいう。オロポスのアンピアラオスの聖域で、アルクマイオンだけが祀られなかったのは、この母への仕打ちのためだとパウサニアスは記す。 (3.7.5 / 1.34.3)
- 関係: parent → alcmaeon (3.7.2 / 73 / 5.17.7 キュプセロスの箱の浮き彫り)
エテオクレス
- 息子ラオダマスは、10年後に攻めてきたエピゴノイ(七将の息子たち)とテーバイ軍を率いて戦い、アドラストスの子アイギアレウスを討つが、アルクマイオンに殺される。パウサニアスによれば、敗れたテーバイ人の多くはラオダマスと共にイリュリアへ逃れた。 (3.7.3 / 9.8.6)
グラウコス(海の神)
- パウサニアスによれば、アンテドンの人々は、グラウコスはもとは漁師で、ある草を食べて海の神霊になったと語る。いまも未来を予言すると信じられ、とくに船乗りは毎年グラウコスの予言の話をする。ピンダロスは少し歌っただけだが、アイスキュロスはこの話で一本の劇を書いた。 (9.22.7)
グリュプス
- パウサニアスは、パルテノン神殿の金と象牙のアテナ像の兜に、中央にスピンクス、両側にグリュプスの浮き彫りがあったと記す。そこでアリステアスの詩を引き、グリュプスはライオンに似てワシのくちばしと翼をもち、地中から出る金をめぐってアリマスポイと戦うと説明する。 (1.24.5-6)
- パウサニアスは「グリュプスにはヒョウのような斑点がある」という話を聞いたと記し、不思議な話を好む者は自ら不思議を付け足して真実を損なう、と評している。 (8.2.7)
ヘカテ
- パウサニアスによれば、ヘシオドスの『女たちのカタログ』は、イピゲネイアは死なずにアルテミスの意志でヘカテになった、と語っていた。 (パウサニアス 1.43.1 所引)
- パウサニアスは、アイギナのヘカテ像はミュロン作で顔も体も一つだが、三つの像を背中合わせにつなげた姿で最初に作ったのはアルカメネスだと考えている。アテナイのアクロポリスの「翼のない勝利の女神」の神殿の脇にあるものがそれだという。 (2.30.2)
ヘカトンケイル
- パウサニアスによれば、コリントスの人々は、ポセイドンと太陽神ヘリオスがこの土地を争ったとき、ブリアレオスが仲裁に入り、地峡をポセイドンに、町の上にそびえる岬(アクロコリントス)をヘリオスに与えたと語る。 (2.1.6, 2.4.6)
ヒッポリュテ
- パウサニアスはメガラでヒッポリュテの墓を見ている。メガラの人々の話では、アンティオペのことでアテナイに攻め込んだアマゾンがテセウスに敗れたとき、率いていたのはアンティオペの姉妹ヒッポリュテで、少数の仲間とメガラに逃れ、故郷テミスキュラに帰る望みも失って悲しみのうちに死んだ。墓はアマゾンの盾の形をしている。 (1.41.7)
ヒュアキントス
- アポロドーロスの二つ目の系譜とパウサニアス: スパルタ王家のアミュクラス(ラケダイモンの子)の子。パウサニアスは、アミュクラスの息子たちのうち最年少で最も美しく、父より先に死んだとする。同じ本の中で、母がムーサとも人間の王妃とも書かれていることになる。 (アポロドーロス 3.10.3(母はラピトスの娘ディオメデ)/ パウサニアス 3.1.3)
- 西風ゼピュロスの嫉妬説: ヒュアキントスに恋していたが相手にされなかったゼピュロスが、タユゲトス山から吹き下ろして円盤の向きを変え、少年の頭に当てた。ルキアノスではアポロンがヘルメスにそう打ち明ける。パウサニアスも「西風のこと、アポロンが意図せず殺したこと、花の話」を伝承として挙げたうえで、事実ではないかもしれないと付け加えている。 (ルキアノス『神々の対話』14(Fowler 訳の番号)/ パウサニアス 3.19.5)
- アミュクライのアポロン像の台座は祭壇の形をしていて、その中にヒュアキントスが葬られていると言われた。祭ヒュアキンティアでは、アポロンへの犠牲の前に、台座の左の青銅の扉からヒュアキントスに英雄としての供物が捧げられた。台座の浮彫には、神々がヒュアキントスと妹ポリュボイアを天へ運ぶ場面があった。オウィディウスも、スパルタが今も毎年ヒュアキンティアを祝うと書く。 (パウサニアス 3.19.3-4(祭の存在は 3.10.1 にも)/ Met. 10.217-219)
ヒュギエイア
- パウサニアスは、アテナイのアクロポリスにある「言い伝えでアスクレピオスの娘とされる」ヒュギエイアの像や、オリュンピアの供物台に刻まれた「アスクレピオスと、その娘の一人ヒュギエイア」を記録している。 (1.23.4, 5.20.3)
- 同じアクロポリスでは、ヒュギエイアの像のそばに「ヒュギエイア」を添え名とするアテナの像もあった。健康は独立した女神であると同時に、アテナの一つの顔でもあった。アッティカのアカルナイにも「アテナ・ヒュギエイア」の祭壇があったという。 (1.23.4, 1.31.6)
- ヒュギエイアはアスクレピオスの聖域で父と並んで祀られた。パウサニアスは、シキュオン地方ティタネのヒュギエイア像は女性たちが奉納した髪の房とバビロニア織りの布にすっかり覆われて顔もよく見えない、と記す。オロポスのアンピアラオスの祭壇では、パナケイア(万能薬)、イアソ(癒やし)とともに祀られていた。 (2.11.6, 1.34.3)
- 関係: child → asclepius (1.23.4「言い伝えでアスクレピオスの娘とされる」。5.20.3「アスクレピオスと、その娘の一人ヒュギエイア」)
- 関係: companion → athena (1.23.4 アクロポリスでヒュギエイア像と「ヒュギエイア(健康)」の添え名をもつアテナ像が並ぶ)
イカロス
- パウサニアスの伝える合理化版では、翼ではなく小舟で逃げる途中、操船が下手だったイカロスの舟が転覆した。遺体はサモス沖の名もない島に流れ着き、それを見つけて葬ったのはヘラクレスだった。島と周りの海がイカロスの名で呼ばれるのはそのため。 (9.11.4-5)
- サモス島沖のイカリア島とその周りのイカリア海は、イカロスにちなむ名と説明されてきた。アポロドーロス、オウィディウス、パウサニアスがそろって地名の由来として語っている。 (アポロドーロス摘要 1.13、『変身物語』8.229-230, 8.235、パウサニアス 9.11.5)
クノッソス
- パウサニアスは、ダイダロスがクノッソスでミノスのもとに暮らしたことで、クレタ人は木の像づくりで長く名を知られたと書き、クノッソスにダイダロス作のアテナの木像と、ホメロスの言うアリアドネの踊り場を白大理石に浮き彫りにしたものがあったと記す。 (8.53.8、9.40.3)
- 関係: visited_by → daedalus (『イリアス』18.590-592、パウサニアス8.53.8)
ラミア
- パウサニアスによれば、デルポイの人々は、はじめて神託を語った女(ヘロピレより前のシビュラ)を、ゼウスと、ポセイドンの娘ラミアとのあいだの子だと言う。シビュラという呼び名はリビュアの人々が付けたという。子をさらうリビュアの女王と同じラミアかどうかは書かれていない。 (10.12.1)
- 関係: lover → zeus (『スーダ』λ 84(ドゥリス『リビュア誌』2巻を引く)。パウサニアス10.12.1 では、ポセイドンの娘ラミアがゼウスとのあいだに最初のシビュラを産む)
- 関係: child → poseidon (10.12.1 「ポセイドンの娘ラミア」。子をさらう女王と同じ存在かは書かれていない)
マルシュアス
- オウィディウスによれば、野の神ファウヌスたち、兄弟のサテュロスたち、弟子のオリュンポス、ニンフたち、その山で羊や牛を飼う者たちみなが彼のために泣き、大地が吸い込んだ涙が泉となって湧き出し、プリュギアで最も澄んだ川マルシュアスになった。パウサニアスも、ケライナイのプリュギア人は町を流れる川をかつての笛の名手だと考え、「母神の歌」という笛の曲も彼の作とし、ガリア人の侵入を彼の川の水と笛の音で撃退したと言い伝えている、と記す。 (Met. 6.392-400 / パウサニアス 10.30.9 / ストラボン 12.8.15(アパメイア市中を流れるマルシュアス川))
- 勝負と罰は古代から彫刻の題材になった。パウサニアスは、アテナイのアクロポリスに笛を拾ったマルシュアスをアテナが打つ像があったこと、マンティネイアのプラクシテレス作のレトと子らの像の台座に、ムーサたちと笛を吹くマルシュアスが彫られていたことを記録している。 (1.24.1、8.9.1)
- 関係: enemy → athena (1.24.1 アテナイのアクロポリスに、捨てたはずの笛を拾ったマルシュアスをアテナが打つ像があった)
メデイア
- 一方、アポロドーロスは「別の伝え」として、メデイアは逃げる際に幼い子らをヘラの祭壇に嘆願者として残したが、コリントス人が引き離して殺した、とも記す。パウサニアスも、子らは贈り物のせいでコリントス人に石打ちで殺され、その祟りを鎮めるための年ごとの供犠が定められたと伝える。 (アポロドーロス 1.9.28、パウサニアス 2.3.6-7)
- パウサニアスが引く古い叙事詩『ナウパクティカ』では、イアソン一家はペリアスの死後コルキュラ島へ移り、長男メルメロスは狩りの最中に雌獅子に殺された。詩人キナイトンは子の名をメデイオスとエリオピスとしている。子らの運命自体が一定していない。 (2.3.9)
メガラ
- エウリピデスでは、父アンピトリュオンにまで向かったヘラクレスに、兜をかぶったアテナの幻が石を投げつけて眠らせ、人々が柱に縛りつけた。パウサニアスは、テバイの人々がこの石を「ソプロニステル(正気に戻す石)」と呼び、ヘラクレスとメガラの子らの墓も見せていたと記す。子らの死の話は、パニュアッシスやステシコロスの詩と変わらないという。 (『ヘラクレス』1001-1015、パウサニアス9.11.2)
メレアグロス
- 死に方(1)呪い: 『イリアス』では、兄弟を殺された母が大地を手で打ち、ハデスとペルセポネに息子の死を願い、闇を歩くエリニュスがそれを聞いた。死そのものは語られないが、船のカタログでは「メレアグロスはもういない」とされる。パウサニアスも「ホメロスは、アルタイアの呪いをエリニュスが聞いたことを死の原因とする」とまとめている。 (『イリアス』9.565-572, 2.641-642 / 10.31.3)
- 死に方(2)燃えさしの薪: 生まれて7日目に運命の女神たちが現れ、炉で燃えている薪が燃え尽きるとき子も死ぬと告げた。母は薪を取り出して箱にしまったが、息子が兄弟を殺したと知って薪を火に投じ、メレアグロスは遠く離れた場所で体の内から焼かれるように死んだ。現存する詩ではバッキュリデス(前476年)が早い例。パウサニアスによれば、劇に初めて仕立てたのはプリュニコスの『プレウロンの女たち』だが、彼は自分で考えた話としてではなく、ギリシャ中で知られた話として軽く触れているという。 (バッキュリデス 5.136-154 / 10.31.4 / 1.8.2-3 / Met. 8.451-525)
- 死に方(3)アポロンに討たれる: パウサニアスによれば、ヘシオドスに帰される『エーホイアイ』と叙事詩『ミニュアス』は、アポロンがクレテス人に加勢してアイトリア人と戦い、メレアグロスを殺したとする。アポロドーロスも「クレテス人との戦いの中で戦死した」という別伝を書き添えている。 (10.31.3(『エーホイアイ』と『ミニュアス』の断片そのものは未確認) / 1.8.3)
メムノン
- エジプトのテーバイ西岸にあるアメンホテプ3世の巨像は、古代ギリシャ・ローマ人によって「メムノンの巨像」と呼ばれた。パウサニアスは、像が日の出ごとに弦の切れた竪琴のような音を立てたと記し、多くの人はメムノンと呼ぶがテーバイの人々はパメノフという土地の人物だと言う、と付け加える。像を壊したのはカンビュセスだとされる。暁の女神エオスの子が朝ごとに母に応える、という読みがこの名を定着させた。語源の節も参照。 (1.42.3。パウサニアス本文で確認。損壊をカンビュセスに帰すのはパウサニアスで、地震(前27年)とするのは別系統の伝え)
ムネモシュネ
- パウサニアスが伝えるボイオティアのトロポニオスの神託所では、相談者は穴に降りる前に「忘却(レテ)の水」を飲んでそれまでの考えを忘れ、次に「記憶(ムネモシュネ)の水」を飲んで下で見たことを覚えておく。 (9.39.8)
パルナッソス山
- パウサニアスが伝えるデルポイの伝えでは、この地の最古の町はデウカリオンの時代の大雨で水没し、逃れた人々が狼の遠吠えに導かれてパルナッソスの頂に上り、リュコレイア(山の狼の町)を築いた。 (10.6.2)
- パウサニアスによれば、山の名は最古の町を築いたパルナッソスから来ている。ニンフのクレオドラの子で、父は神ポセイドンとも人間クレオポンポスともいい、鳥の飛び方による占いを発見したとされる。 (10.6.1)
- デルポイから山頂への道の、60スタディオンほど先の青銅像のさらに先にコリュキオンの洞窟がある。パウサニアスは見た中で最も見る価値のある洞窟とし、灯りなしで大部分を歩け、天井から滴る水の跡が床一面にあると記す。周辺の人々はコリュキオンのニンフたち、とりわけパンの聖所とした。 (10.32.2、10.32.7)
- パウサニアスは、パルナッソスの頂は雲の上にあり、テュイアデスと呼ばれる女たちがそこでディオニュソスとアポロンのために熱狂すると書く。アイスキュロス『慈しみの女神たち』の巫女も、コリュキオンの岩屋のニンフと、この地を占めるディオニュソスに祈っている。 (パウサニアス10.32.7、10.6.4、『慈しみの女神たち』22-26)
- デルポイの神域への登り道の右手にカスタリアの泉があり、泉の名の由来については土地の女とも男カスタリオスとも、河神アケロオスの娘カスタリアともいわれた。 (10.8.9-10)
- 関係: owned_by → pan (10.32.7 コリュキオンの洞窟はニンフたち、とりわけパンの聖所)
- 関係: owned_by → nymphs (パウサニアス10.32.7、『変身物語』1.320 コリュキオンのニンフ)
- 関係: owned_by → dionysus (10.32.7 頂でテュイアデスがディオニュソスとアポロンのために熱狂する)
ムーサ
- パウサニアスによれば、ヘリコン山で最初にムーサを祀ったアロエウスの子らは、ムーサを三人とし、メレテ(修練)、ムネメ(記憶)、アオイデ(歌)と名づけていた。のちにマケドニアのピエロスが九人とし、今の名前をつけたと伝える。 (9.29.2-3)
ミュケナイ
- パウサニアスによれば、ペルセウスは剣の鞘の石突き(ミュケス)が落ちた場所を町を築くしるしと見てミュケナイを建てた。別の話では、渇いて地面からきのこ(ミュケス)を引き抜くと水が湧き出したので、その地をミュケナイと名づけたという。 (2.16.3)
- パウサニアスの時代、ミュケナイには城壁の一部と獅子の立つ門が残り、キュクロプスの作と言われていた。アトレウスとその子らの地下の宝庫、アトレウスの墓、アイギストスに殺された者たちとアガメムノンの墓があり、クリュタイムネストラとアイギストスは城壁から少し離れた場所に葬られていた。 (2.16.5-7)
- 関係: ruled_by → orestes (アポロドーロス摘要 6.28(ミュケナイに戻り、ヘルミオネを娶ってティサメノスをもうける)、パウサニアス 2.18.5-6(父の王国に加えアルゴスも治め、ラケダイモン人も王に迎えたとする)。『オデュッセイア』3.304-312 はアイギストスが7年ミュケナイを治めオレステスが討ったと言うだけで、彼の統治には触れない)
ナルキッソス
- パウサニアスはテスピアイ領ドナコンに「ナルキッソスの泉」があると記しつつ、恋をする年頃の者が自分と他人の像を見分けられないはずがないと退ける。代わりに、瓜二つの双子の妹を亡くしたナルキッソスが、水に映る自分の姿に妹の面影を見て慰めた、という「あまり知られていない」別伝を紹介する。 (9.31.7-8)
- パウサニアスは、スイセンの花はナルキッソスより前からあったと考えた。根拠は詩人パンポスで、ペルセポネ(コレ)が連れ去られたときに摘んでいた花はスミレではなくスイセンだったと歌っていたから。スイセンがペルセポネの誘拐に登場する点は『デメテル讃歌』とも一致する。 (パウサニアス 9.31.9 / 『デメテル讃歌』(ホメロス風讃歌 第2番)8-16)
ネメシス
- アッティカのラムヌスにはネメシスの聖域があった。パウサニアスによれば、マラトンに上陸したペルシャ軍は勝利を確信して戦勝記念碑にするためのパロス産大理石を運んできており、その石からフェイディアスがネメシス像を作った。傲慢への報いという女神の性格にふさわしい由来として語られる。 (1.33.2-3)
- パウサニアスは、ラムヌスの像をはじめ古いネメシス像にはどれも翼がなく、翼をつけるのは「女神は恋の結果として現れることが多い」と考えた後代の作家たちだ、と書き留めている。 (1.33.7)
- 関係: parent → helen (『キュプリア』断片(アテナイオス 8.334b 所引)。アポロドロス 3.10.7「ある人々は」。パウサニアス 1.33.7 ではレダは乳母として育てただけとする)
- 関係: companion → leda (1.33.7-8 ラムヌスのネメシス像の台座に、フェイディアスはレダがヘレネをネメシスのもとへ連れて行く場面を彫った)
ネオプトレモス
- 「ネオプトレモス」は「新しい戦」とも「若くして戦う者」とも読める名。パウサニアスは『キュプリア』に拠って、リュコメデスが付けた名はピュロスで、ポイニクスが「アキレウスが若く(ネオス)して戦に出たから」ネオプトレモスと名づけたと伝える。ホメロスは一貫してネオプトレモスとしか呼ばない。 (10.26.4。パウサニアスが『キュプリア』の記述として引く)
ニケ
- アテナイのアクロポリスの入口の右手には「翼のない勝利の女神」の神殿があった。パウサニアスは、スパルタ人が軍神エニュアリオスの像を鎖でつないで逃げないようにしたのと同じ考えで、アテナイ人は翼のない勝利の女神を祀り、勝利がいつまでも留まるようにした、と説明する。 (1.22.4, 3.15.7)
- ニケは大きな神像の手の上に小さく載る姿でも表された。パウサニアスによれば、アテナイのパルテノンのアテナ像は高さ4ペーキュスほどのニケ像を手に持ち、オリュンピアのゼウス像も右手に黄金と象牙のニケ像を持っていた。 (1.24.7, 5.11.1)
- 関係: companion → athena (1.22.4 アクロポリスの門の右手に「翼のない勝利の女神」の神殿。1.24.7 パルテノンのアテナ像は右手に高さ4ペーキュスほどのニケ像を載せる)
ニオベ
- シピュロス山の「泣くニオベ」の岩は古代の名所だった。ソポクレスのアンティゴネは、つたのように石に覆われ、雨にも雪にも濡れて涙を流すタンタロスの娘に、死にゆく自分をなぞらえる。パウサニアスは実際に山に登って岩を見ており、近くではただの崖だが、離れるとうつむいて泣く女に見える、と書いている。 (『アンティゴネ』823-833 / パウサニアス 1.21.3)
オケアノス
- 関係: parent → nemesis (1.33.3 ラムヌスのネメシス像について「オケアノスはネメシスの父だ」と言う人々がいると伝える。パウサニアス自身はこの説明に与していない)
オイディプス
- 子(エテオクレス、ポリュネイケス、アンティゴネ、イスメネ)の母が誰かも割れる。ソポクレスやアポロドーロスはイオカステとするが、アポロドーロスは「エウリュガネイアの子とする者もいる」と添える。パウサニアスは、ホメロスが「神々はすぐに知らせた」と言う以上、母との間に4人も子はいなかったはずだと論じ、叙事詩『オイディポデイア』を根拠に母はエウリュガネイアだとする。 (3.5.8 / 9.5.10-11 /『オデュッセイア』11.274)
オリュンピア
- パウサニアスが聞いたエリスの学者の説では、オリュンピアには黄金の種族がクロノスのために建てた神殿があり、赤子のゼウスを預かったクレタのイデのダクテュロイ(クレテス)五兄弟の長兄ヘラクレスが、弟たちと駆けくらべをして勝者に野生のオリーブを冠らせたのが始まり。五人兄弟だったので「5年目ごと」(4年ごと)に開いたという。 (5.7.6-9)
- パウサニアスはさらに、ゼウスが王座をかけてここでクロノスと組み打ちをしたという説、クロノスに勝った祝いに競技を開いたという説を挙げ、勝者の記録にはヘルメスに走りで勝ち、アレスに拳闘で勝ったアポロンの名があると伝える。 (5.7.10)
- パウサニアスは、競技を主催した者を、クレタのクリュメノス、エンデュミオン、ペロプス、ペリアスとネレウス、アウゲイアス、アンピトリュオンの子ヘラクレス、オクシュロスと並べ、その後いったん途絶えてイピトスが復興し、連続した記録はエリスのコロイボスの徒競走の勝利から始まる、とする。 (5.8.1-6)
- 聖域アルティスの中にはペロプスの聖域(ペロピオン)があり、エリスの人々はゼウスを神々の中で最も敬うように、ペロプスを英雄の中で最も敬った。聖域はヘラクレスが区切ったとされ、役人が毎年黒い雄羊を捧げていた。 (5.13.1-2)
- 4年ごとに16人の女たちがヘラの衣を織り、娘たちの徒競走「ヘライア」を催した。娘たちは髪を垂らし、膝上までの衣で右肩を出して、6分の1ほど短くしたオリュンピアの競走路を走り、勝者はオリーブの冠と牛の肉の分け前を受けた。ヒッポダメイアがペロプスとの結婚のお礼に始めたと伝える。 (5.16.2-4)
- 禁じられた日にオリュンピアの競技祭に居合わせた女は、テュパイオン山の崖から突き落とす決まりがあった。見つかったのは、指導者に変装して息子の試合に来たカリパテイラ(ペレニケとも)だけで、父・兄弟・息子がみな勝者だったことに免じて許され、以後指導者も裸で入場する決まりになったという。 (5.6.7-8)
- ゼウス神殿の像はペイディアス作の金と象牙の座像で、頭にオリーブの冠、右手にニケ、左手に鷲の止まる笏を持つ。完成時にペイディアスがしるしを求めると床に雷が落ち、その場所には青銅の壺が置かれていた。象牙を湿気から守るため、像の前の床にはオリーブ油がためられた。 (5.10.2、5.11.1-10)
- 関係: owned_by → zeus (『オリュンピア祝勝歌』10.43-45 ヘラクレスが父のために聖域を測る。パウサニアス5.10-11 ゼウスの神殿と像)
- 関係: owned_by → kronos (パウサニアス5.7.6 黄金の種族がクロノスの神殿を建てた。『オリュンピア祝勝歌』10.49-50 クロノスの丘)
- 関係: visited_by → pelops (『オリュンピア祝勝歌』1.90-93 アルペイオスの渡り場のそばの墓。パウサニアス5.8.2 競技を盛大に催す、5.13.1-2 ペロピオン)
- 関係: owned_by → hera (5.16.2-4 ヘラの競技)
- 関係: visited_by → apollo (5.7.10 勝者の記録にアポロンの名)
- 関係: visited_by → castor (『オリュンピア祝勝歌』3.34-38、パウサニアス5.8.4)
- 関係: visited_by → polydeuces (『オリュンピア祝勝歌』3.34-38、パウサニアス5.8.4)
オレステス
- 関係: ruler → mycenae (アポロドーロス摘要 6.28(ミュケナイに戻り、ヘルミオネを娶ってティサメノスをもうける)、パウサニアス 2.18.5-6(父の王国に加えアルゴスも治め、ラケダイモン人も王に迎えたとする)。『オデュッセイア』3.304-312 はアイギストスが7年ミュケナイを治めオレステスが討ったと言うだけで、彼の統治には触れない)
オリオン
- 星座名オリオンの語源は分かっていない。アッカド語の「天の光」Uru-anna と結びつける推測もあるが確証はない。英語での初出は14世紀後半。ボイオティアのタナグラにはオリオンの墓があるとパウサニアスは記す。 (etymonline の Orion の項 / パウサニアス 9.20.3。語源記事 etymologies/orion-constellation も参照)
パシパエ
- パウサニアスは、ラコニアのタラマイにあるイノの夢占いの神託所に、ヘリオスとパシパエの青銅像が立っていると記し、パシパエは月の呼び名で、タラマイの土地の女神ではないと説明する。 (3.26.1)
ペリアス
- パウサニアスによれば、ペリアスの娘たちは父の死の汚名を逃れてマンティネイアの人々のもとに移り住み、その近くに墓があった。父の亡骸は葬るに足りるほども残らなかった。詩人は娘たちに名を与えていないが、画家ミコンは絵の中でアステロペイアとアンティノエと書き入れた、とする。 (8.11.1-3)
- オリュンピアにあったキュプセロスの箱には、ペリアスの葬送競技の場面が刻まれ、戦車競走にはピソス、アステリオン、ポリュデウケス、アドメトス、エウペモスが出て、ペリアスの娘たちの中ではアルケスティスだけに名が書かれていた。パウサニアスが見たデルポイのポリュグノトスの冥界の絵には、白髪で椅子に座り、オルペウスを見つめるペリアスがいた。 (5.17.9-11、10.30.8)
- 関係: killed_by → medea (アポロドーロス1.9.27、『変身物語』7.297-349(娘たちに刺させ、最後はメデイアが喉を切る)、パウサニアス8.11.2-3)
ペネロペイア
- 異伝: マンティネイア人の伝えとして、オデュッセウスは彼女が情夫を家に入れたことを咎めて追い出し、彼女はマンティネイアに移ってそこで死んだ、とパウサニアスが記す。同地に墓があるとされた。 (8.12.6)
ピロメラ
- パウサニアスは、姉妹はアテナイへ逃れ、自分たちの受けた仕打ちと復讐を嘆きながら涙のうちに死んだ、と伝える。ナイチンゲールとツバメになったという話は、この鳥たちの鳴き声が嘆きに似ているところから生まれたのだろう、とパウサニアスは考えている。 (1.41.8-9)
プルトス
- パウサニアスによれば、アテナイのアゴラには少年プルトスを抱くエイレネ(平和)の像があった。テーバイのテュケ(運命)の聖域には、幼いプルトスを抱くテュケの像があり、パウサニアスは、富を運命の腕に置いて母か乳母のように見せたのはうまい考えで、平和の女神に富を抱かせたケピソドトスのアテナイの像も同じく巧みだと書く。テスピアイでは、働くアテナの像のそばにプルトスの像が立っていた。 (1.8.2、9.16.1-2、9.26.8)
ポリュネイケス
- 死後も争う兄弟: 2世紀のパウサニアスは、テーバイのプロイトスの門の外にオイディプスの子らの墓があり、兄弟に犠牲を捧げると炎と煙が二つに分かれるとテーバイ人が言う、と記す。彼は似た現象を見たことがあるので信じる、と添えている。 (9.18.3)
ポセイドン
- アテナイの守護神の座をアテナと争い、アクロポリスに塩水の泉を湧かせたが、オリーブの木を生やしたアテナに敗れた。ホメロスやヘシオドスには見えない話である。 (アポロドーロス 3.14.1。パウサニアス 1.24.5, 1.26.5 はエレクテイオンに残る泉とオリーブに言及)
- 関係: lover → demeter (8.25.4-7。牝馬に姿を変えて逃げたデメテルを牡馬となって捕らえ、馬アレイオンとデスポイナが生まれたとするアルカディアの伝承)
プリアポス
- パウサニアスによれば、ランプサコスの人々はプリアポスをディオニュソスとアプロディテの子と呼んだ。ディオドロスも古人の神話としてこの親子関係を伝え、酒に酔うと体が愛の喜びに向かいやすいから、というもっともらしい理由を添える。 (パウサニアス9.31.2、ディオドロス4.6.1)
- パウサニアスによれば、プリアポスは山羊や羊の放牧地や蜂の群れのいるところで祀られ、ランプサコスではほかのどの神よりも敬われた。ストラボンは、ヘレスポントス沿岸(プロポンティス)の町プリアポスはこの神にちなんで名づけられたとし、その崇拝はコリントス近くのオルネアイから移されたという説も記す。 (パウサニアス9.31.2(ヘリコン山にあったプリアポス像に触れて)、ストラボン13.1.12)
- 関係: child → dionysus (パウサニアス9.31.2、ディオドロス4.6.1(母はアプロディテ)、ストラボン13.1.12(母はニンフ))
- 関係: child → aphrodite (パウサニアス9.31.2(ランプサコスの人々の言い伝え)、ディオドロス4.6.1)
ピュトン
- パウサニアスが伝えるピュティア祭の最古の競技は、神への讃歌を歌う競技だった。最初の勝者は、アポロンを清めたというクレタのカルマノルの子クリュソテミスとされる。 (10.7.2)
- パウサニアスは、詩人たちの言う「大地が神託の番に置いた竜」という話と並べて、アポロンが射たのはエウボイアあたりを支配したクリオスの乱暴な息子で、神殿と富者の家を荒らしたため、巫女ペモノエの神託どおりアポロンに射殺された、という合理化した説も記す。 (10.6.6-7)
- パウサニアスによれば、ピュトを殺したアポロンとアルテミスは清めを求めてアイギアレイア(のちのシキュオン)へ来たが、恐れに襲われてクレタのカルマノルのもとへ向かった。カルマノルがアポロンを清めたと伝えられる。 (2.7.7-8、10.7.2)
- 関係: killed_by → artemis (2.7.7 アポロンとアルテミスがピュトを殺した、とする)
- 関係: protector → delphi (アポロドーロス1.4.1 神託の番をする蛇。パウサニアス10.6.6 大地が神託の番に置いた竜)
レア
- ゼウスの身代わりにクロノスが呑んだ石は、吐き出されたのちゼウスによってピュト(デルポイ)に据えられ、人間への目印とされた。パウサニアスは、デルポイでネオプトレモスの墓の上手にある小さな石に毎日オリーブ油が注がれ、祭りには羊毛がかけられていて、クロノスが吐き出した石だという見方がある、と記す。 (『神統記』497-500、パウサニアス 10.24.6)
アスクレピオスの杖
- エピダウロスのアスクレピオス像はパロス島のトラシュメデス作の象牙と金の座像で、神は杖を握り、もう一方の手を蛇の頭の上にかざし、傍らに犬が伏していた。境内には治癒した男女の名、病、治療法を記した石板が並んでいた。 (2.27.2-3)
- シキュオンの人々は、アスクレピオスが蛇の姿で、2頭のラバの引く車に乗せられてエピダウロスから運ばれてきたと伝えていた。そこの神像は片手に杖、片手に松かさを持つ。 (2.10.3)
- 関係: owned_by → asclepius (パウサニアス2.27.2、『変身物語』15.655-660、ヒュギヌス『天文譜』2.14.7)
サテュロス
- パウサニアスは、サテュロスのうち年長の者をシレノスと呼ぶと書く。『アプロディテ讃歌』では、シレノスたちとヘルメスが、山のニンフと洞窟の奥で交わる。 (パウサニアス1.23.5、『アプロディテ讃歌』262-263)
- パウサニアスは、サテュロスが何者かを多くの人に尋ね、カリアの人エウペモスから、外洋に流されて「サテュリデス」と呼ばれる島々に着いた話を聞いた。住人は赤毛で、腰に馬に劣らぬ尾があり、船の女たちに襲いかかったという。 (1.23.5-6)
セレネ
- アポロドロスでは、月(セレネ)が美青年エンデュミオンに恋し、ゼウスが彼に望みをかなえると言うと、エンデュミオンは不死で年を取らないまま永遠に眠り続けることを選ぶ。パウサニアスは、月がエンデュミオンとのあいだに五十人の娘を産んだという伝えも記録しているが、彼自身はエンデュミオンが人間の妻を娶ったという説のほうを「もっともらしい」とする。 (アポロドロス 1.7.5。パウサニアス 5.1.3-4)
テーバイ攻めの七将
- 奉納像の顔ぶれ: パウサニアスは、アルゴス人がデルポイに奉納した「ポリュネイケスと共にテーバイを攻めた将たち」の像として、アドラストス、テュデウス、カパネウス、エテオクロス、ポリュネイケス、ヒッポメドン、戦車に乗るアンピアラオスと御者バトン、そしてアリテルセスを挙げる。パルテノパイオスが無く、悲劇にも神話集にも出てこないアリテルセスが並ぶ。隣にはエピゴノイの像もあった。 (10.10.3-4)
- 関係: located_at → thebes (攻められた町)
ステュンパロスの鳥
- パウサニアスによれば、ステュンパロスの水辺にはかつて人食い鳥が棲み、ヘラクレスが射落としたと言われるが、カメイロスの詩人ペイサンドロスは、殺さずにガラガラの音で追い払っただけだとする。 (8.22.4)
- パウサニアスは、アラビアの砂漠にもステュンパロスの鳥と呼ばれる鳥がいると記す。獅子や豹ほど人に荒々しく、狩人に飛びかかってくちばしで殺す。青銅や鉄の鎧を貫くが、厚いコルクの服には刺さって抜けない。大きさは鶴ほどでトキに似るが、くちばしはより強く曲がっていない。昔アラビアから一部がステュンパロスへ飛んできたのではないか、ヘラクレスの名声のせいでアラビアの鳥までこの名で呼ばれるのだろう、とパウサニアスは推測する。 (8.22.4-6)
- ステュンパロスのアルテミスの古い神殿では、屋根の近くにステュンパロスの鳥が彫られ(パウサニアスは石膏でなく木の彫刻と判断した)、神殿の裏には鳥の脚をもつ白大理石の乙女像が立っていた。 (8.22.7)
- パウサニアスによれば、オリュンピアのゼウス神殿の奥の間の扉の上に、ステュンパロスの鳥の功業が彫られていた。一方テバイのヘラクレス神殿の破風では、この鳥とエリスの国の掃除が外され、代わりにアンタイオスとの組み討ちが置かれていた。前540年ごろのアテネの壺には、投石器で鳥を狙うヘラクレスが描かれている(大英博物館 B163)。 (5.10.9、9.11.6。壺はウィキメディア・コモンズの説明による)
- 関係: killed_by → herakles (アポロドーロス2.5.6 鳴り物で飛び立たせて射落とす。ヒュギヌス30 アレスの島で射殺す。パウサニアス8.22.4 ペイサンドロスは殺さず追い払っただけとする。ディオドロス4.13.2 も追い払う)
ステュクス
- ステュクスは実在の場所とも結びついていた。ヘロドトスは、スパルタ王クレオメネスがアルカディア人をノナクリスの町に集め、ステュクスの水にかけて誓わせようとしたと書き、その水は崖から池に滴る細い流れだと説明する。パウサニアスもノナクリス近くの高い崖を滴る水を訪ねている。 (ヘロドトス 6.74。パウサニアス 8.17.6-8.18.2)
- パウサニアスによれば、ステュクスの水は人にも獣にも死をもたらし、ガラスや陶器を割り、あらゆる金属を腐食させ、耐えられるのは馬の蹄だけだった。アレクサンドロス大王がこの水で毒殺されたという話もある、と書き添えている(真偽は分からないとしつつ)。 (8.18.4-6)
テレウス
- パウサニアスは、メガラにテレウスの墓があると伝える。メガラ人はテレウスをメガラ領パガイ周辺の王だったと言い、ヤツガシラが初めて現れたのもそこだとする。ただしパウサニアス自身は、ダウリスの王だったと考えている。 (1.41.8-9)
トラキア
- アテネの王パンディオンは、力のためにトラキアの王と縁を結んだ。テレウスはプロクネを妻にしながらピロメラを辱め、体を傷つけて、女たちに復讐させることになった。パウサニアスは、人間には神の定めを越えることはできないと書く。 (1.5.4)
- 関係: ruled_by → tereus (1.5.4)
ティリュンス
- ティリュンスの遺跡で残っているのは城壁だけで、キュクロプスたちの作とされ、加工しない石で築かれている。どの石もラバ二頭で最も小さいものさえ少しも動かせない大きさで、すき間には小石が詰められて大石を固くつないでいる。 (2.25.8)
- パウサニアスは、ギリシャ人は外国の驚異に目を奪われがちで、名高い歴史家たちはエジプトのピラミッドを細かく書いたのに、オルコメノスのミニュアスの宝庫とティリュンスの城壁には一言も触れていないが、どちらもピラミッドに劣らず驚くべきものだと書く。 (9.36.5)
- 関係: created_by → cyclopes (アポロドーロス2.2.1、パウサニアス2.25.8 城壁)
ティタン族
- ホメロスでは、ティタンはタルタロスの下にいる神々として、ヘラの誓いの証人に呼び出される。ゼウスは、イアペトスとクロノスが太陽の光も風も知らず、深いタルタロスに囲まれて大地と海の果てにいると言う。パウサニアスは、ティタンを詩に最初に登場させたのはホメロスだとする。 (『イリアス』14.271-279、8.477-481、パウサニアス8.37.5)
- パウサニアスによれば、ホメロスからティタンの名を借りたオノマクリトスは、ディオニュソスのための秘儀の詩で、ティタンたちをこの神の受難の張本人にした。 (8.37.5)
三叉の槍(トライデント)
- アポロドーロスでは、ポセイドンはアクロポリスの真ん中を三叉の槍で打って「エレクテイスの海」を湧かせたが、ケクロプスの証言によりオリーブを植えたアテナに土地が与えられ、怒ってトリアシオン平野を水浸しにした。パウサニアスは、エレクテイオンの中に南風で波音を立てる海水の水槽があり、岩に三叉の槍の跡があると記す。ヘロドトスも、アテナとポセイドンの争いのしるしとしてオリーブの木と塩水の池を挙げる。 (アポロドーロス3.14.1、パウサニアス1.26.5、ヘロドトス8.55)
- 関係: participated_in → athens (アポロドーロス3.14.1、パウサニアス1.26.5 アクロポリスを打って海水を湧かせる)
トロイアの木馬
- 古代から合理化した読みもあった。パウサニアスはアクロポリスの青銅の木馬像に触れ、「エペイオスの作ったものがトロイアの城壁を破るための仕掛けだったことは、プリュギア人をよほどの愚か者と思わないかぎり誰にでも分かる」と書いている。そのうえで、中に勇士たちが隠れていたという言い伝えも像の造りに合う、と付け加える。 (1.23.8。本文で確認)
ヘラクレスの十二の功業
- オリュンピアのゼウス神殿には、功業の浮彫が扉の上に並んでいた。パウサニアスはそこに、猪・ディオメデスの馬・ゲリュオン・アトラス・家畜小屋の掃除・アマゾンの帯・鹿・クノッソスの牡牛・ステュンパロスの鳥・ヒュドラ・獅子を挙げている。 (5.10.9。パウサニアスの列挙は11項目)
テュケ
- 「デメテル讃歌」では、ペルセポネが母に、さらわれた日に牧場で一緒にいた娘たちの名を挙げる中に「テュケ」がいる。パウサニアスはこれを、テュケに触れた最初の詩としてホメロスの作に数え、オケアノスの娘として扱っている。 (「デメテル讃歌」417-420、パウサニアス4.30.4)
- パウサニアスは、ホメロスはテュケの名を挙げただけで、人の世で最も強い女神だとは言っていないと指摘する。『イリアス』でアテナとエニュオを戦の、アルテミスを出産の、アプロディテを結婚の女神として描いたのとは違う、と。 (4.30.5)
- パウサニアスによれば、ピンダロスはテュケを運命の女神(モイラ)の一人とし、姉妹たちより強いとした。またピンダロスはテュケを「町を支える女神(ペレポリス)」と呼んだ。 (7.26.8、4.30.6)
- パウサニアスによれば、スミルナのテュケ像を作ったブパロスが、頭に天球(ポロス)を載せ、片手に「アマルテイアの角」を持たせた姿を最初に作った。 (4.30.6)
- テバイのテュケ像は、幼い富の神プルトスを腕に抱いていた。顔と手はアテナイのクセノポン、残りは土地の彫刻家カリストニコスの作。パウサニアスは、テュケを富の母とも乳母とも見せる工夫をほめ、平和の女神が富を抱くケピソドトスの像と並べている。 (9.16.1-2)
- アイギラには、アマルテイアの角を持つテュケの像の横に翼のあるエロスを置いた建物があり、パウサニアスは、恋の成功でさえ人の美しさより運にかかっている、という意味だと解く。 (7.26.8)
- リュシッポスの弟子エウテュキデスが、オロンテス川沿いのシリアの人々(アンティオキア)のためにテュケ像を作り、土地の人々に大切にされていた。 (6.2.7)
- パウサニアスの時代、テュケの神殿はギリシャ各地にあった。アルゴスの神殿は、パラメデスが自分の発明したさいころを奉納したという古いもの。シキュオンには「高みのテュケ」の聖域、エリスには顔と手足以外を金張りの木で作った巨大な像があった。 (2.20.3、2.7.5、6.25.4)
- パウサニアスは、大きな期待のもとに建てられたメガロポリスが廃墟同然になったことに触れ、強いものも弱いものも、増えるものも減るものも、テュケが気まぐれに否応なく変えていくのだから驚かない、と書く。 (8.33.1)
- 関係: member_of → oceanids (『神統記』360、「デメテル讃歌」420、パウサニアス4.30.4(オケアノスの娘として))
- 関係: member_of → moirai (7.26.8 ピンダロスはテュケを運命の女神の一人に数え、姉妹より強いとした)
テュデウス
- 墓: ディオメデスは『イリアス』で、父テュデウスは「テーバイで盛り土に覆われている」と語る。2世紀のパウサニアスは、テーバイのプロイトスの門からカルキスへ向かう道沿いに、メラニッポスの墓と、その近くのテュデウスの墓とされる三つの粗石を見ている。テーバイの郷土史家は、テュデウスを葬ったのは伏兵のなかで一人生かされたマイオンだと言い、その根拠にこの『イリアス』の一行を引いたという。 (『イリアス』14.114 / 9.18.1-2)
ゼピュロス
- ルキアノスの『神々の対話』では、アポロンがヘルメスに、ヒュアキントスの死は、少年に恋していた西風の嫉妬のせいだと打ち明ける。西風がタユゲトス山から吹き下ろして円盤を少年の頭に当てた。パウサニアスも、アミュクライの祭壇の話のあとで「西風のこと、アポロンが意図せずヒュアキントスを殺したこと、花の話」を、事実ではないかもしれない伝承として挙げる。 (ルキアノス『神々の対話』14(Fowler 訳の番号)、パウサニアス3.19.5)
- 関係: killed → hyacinthus (ルキアノス『神々の対話』14 嫉妬した西風が円盤を少年の頭に当てる。パウサニアス3.19.5 は言い伝えとして挙げる。オウィディウス『変身物語』10.174-219 では西風は出ず、事故として語られる)