『デメテル讃歌』では、ペルセポネは一年の三分の一を冥界で、三分の二を母と神々のもとで過ごすと定められる。半年ずつではない。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

Περσεφόνη神
冥界から地上へ戻ってくるペルセポネ。レイトンの絵。 『ペルセポネの帰還』 フレデリック・レイトン 1891年Public domain
野原に、一本の見事な水仙が咲いていた。一つの根から百の花。その香りに、天も地も海も笑ったという。
少女ペルセポネは、大洋の神の娘たちと花を摘んで遊んでいた。ゼウスと豊穣の女神デメテルの娘である。その水仙は、実は罠だった。大地の女神が、ゼウスの意を受けて咲かせたものだ。少女が両手を伸ばした瞬間、大地が裂け、黄金の戦車に乗った冥界の王ハデスが躍り出た。王は泣き叫ぶ少女をさらって、地の底へ去った。

これは、神々をたたえる古代の詩『デメテル讃歌』が語る話である。少女は父の名を呼んで叫んだが、その声を聞いた神は二人しかいない。洞窟にいた女神ヘカテと、空から地上を見渡す太陽神ヘリオスである。当のゼウスは、娘をハデスに与えることをすでに許していた。ハデスはゼウスの兄弟、つまり少女のおじにあたる。
母デメテルの耳にも、娘の叫びは届いた。女神は髪の覆いを引き裂き、松明を手に9日のあいだ地上をさまよった。10日目、ヘカテに連れられてヘリオスのもとへ行き、真相を聞く。すべてはゼウスの差し金だった。ヘリオスは慰めた。ハデスは神々の中でも不似合いな夫ではない、世界を三つに分けたときの一つを治める王なのだから、と。
デメテルの怒りは収まらない。神々の集まりを避け、老婆の姿で人間の町をさまよい、やがてアテナイに近い町エレウシスの王の館に身を寄せる。そして大地から穀物が芽を出さないようにした。畑で牛がいくら鋤を引いても、何も生えない。人間は飢え、神々に供え物をする者もいなくなりかけた。
ゼウスは折れた。使者ヘルメスを冥界へ送り、娘を母のもとへ帰すよう伝えさせる。ハデスはにやりと笑って命令に従い、少女を送り出した。ただしその前に、甘いザクロの種をひそかに食べさせた。母のもとに、いつまでもとどまることがないように。

ヘルメスが御す戦車で、ペルセポネは母のもとに帰った。二人は駆け寄って抱き合う。けれどもデメテルは、すぐに不安に襲われた。地下で何か食べなかったか。食べていれば、一年の三分の一は地の底に戻らなければならない。娘は正直に打ち明けた。ザクロの種を、無理に口に入れられたと。

こうして決まりができた。ペルセポネは一年の三分の一を冥界で夫と過ごし、残りの三分の二を母と神々のもとで過ごす。春の花が咲くころ、娘は闇から上がってくる。デメテルはふたたび大地に実りを与え、エレウシスの王たちに、自分を祭る秘密の儀式を教えた。

ところが、『オデュッセイア』に出てくるペルセポネは、さらわれた少女ではない。最初から冥界の恐ろしい女王である。死者はみな知恵を失っているが、盲目の予言者にだけそれを残したのは彼女だという。冥界の入口を訪れたオデュッセウスの前に、死んだ女たちの霊を次々に送り出したのも、ペルセポネだった。最後にオデュッセウスは、女王が怪物ゴルゴンの首を送ってくるのではないかと恐れて、逃げるように船に戻っている。
冥界の女王は、美しいものを手放さなかった。アポロドーロスによれば、女神アプロディテは赤子のアドニスをあまりの美しさに箱に隠し、ペルセポネに預けた。ところがペルセポネは、その子を見て返そうとしなかった。ゼウスが裁いて、一年を三つに分け、少年は一つをペルセポネと、一つをアプロディテと、残りを自分のために過ごすことになった。
ペルセポネが一年のどれだけを地下で過ごすのか。よく聞く「半年」という答えは、ローマの詩人オウィディウスの方の話である。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
『デメテル讃歌』では、ペルセポネは一年の三分の一を冥界で、三分の二を母と神々のもとで過ごすと定められる。半年ずつではない。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
オウィディウスでは「一年を等分し、半分は母のもとで、半分は夫のもとで」となる。日本語の概説書で広く紹介される「半年ずつ」はこちらの系統。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
名の語源は古代から不明とされ、ギリシャ語内でも綴りが大きく揺れた。語源辞典は前5世紀のアッティカの壺絵に現れる Persophatta を本来の形とみて、「麦束を打つ女」の意に解く説を挙げる。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
アプロディテが赤子のアドニスを箱に隠してペルセポネに預けたが、ペルセポネは返さなかった。ゼウスの裁きで一年を三分し、アドニスは一つをペルセポネ、一つをアプロディテ、残りを自分のために過ごすことになった。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホメロスのペルセポネは、誘拐された娘ではなく、最初から「畏るべき冥界の女王」である。オデュッセウスの冥界訪問では、彼女が霊を送り出し、また追い散らす。デメテルとの母娘の物語はホメロスには無い。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
オケアノスの娘たちと花を摘んでいたとき、ガイアが咲かせた百の花をつけた水仙に手を伸ばすと大地が裂け、ハデスが現れて攫った。悲鳴を聞いたのはヘカテとヘリオスだけだった。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
地上へ戻る直前、ハデスにひそかに甘いザクロの種を食べさせられた。これが冥界に縛られる理由となる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
『神統記』はこの一連の物語を三行で片づける。ゼウスがデメテルとの間に儲けた娘をアイドネウスが母のもとから攫い、ゼウスがそれを許した、とだけ書く。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
『オデュッセイア』では、死者の中でテイレシアスにだけ知恵を残したのはペルセポネだとされる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
冥界の入口で死者の群れが押し寄せると、オデュッセウスはペルセポネがゴルゴンの首を送ってくるのを恐れて船に戻る。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
娘がさらわれると、デメテルは松明を手に9日間地上をさまよい、10日目にヘカテとともにヘリオスを訪ねて、ゼウスが娘をハデスに与えたと知る。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
1.3.1 普通はデメテルが母とされる
702-712 巧みな言葉でペルセポネを説き伏せ、冥界から地上へ戻った
『デメテル讃歌』417-424 花を摘んでいたペルセポネの遊び仲間
「デメテル讃歌」417-420 ペルセポネと牧場で遊んでいた娘たちの一人
4.487 帰還の条件(振り返らないこと)を定めたのはプロセルピナ
讃歌
『農耕詩』4.487 振り返らない条件を課したのはプロセルピナ(ペルセポネ) / Met. 10.15-16, 10.46-48
6.16-21 ウェヌスの命で冥界のプロセルピナのもとへ美の小箱を取りに行く
『オデュッセイア』10.491, 10.509 など /『神統記』768, 774
ミント / mint(ハッカ)ハーブのミント(mint)は、古英語の時代からある古い言葉で、ラテン語 menta を経て、ギリシャ語の minthē にさかのぼる。語源辞典によれば、このギリシャ語は、冥界の女王ペルセポネ(ローマのプロセルピナ)に草へ変えられたニンフの名としても語られた。オウィディウスの『変身物語』でも、恋人アドニスを亡くした女神アプロディテが「ペルセポネよ、あなたは昔、女の体を香りのよいミントに変えることを許されたではないか」と言い、自分も恋人を花に変えようとする。ギリシャ語の名そのものは、地中海の今は失われた言葉から借りたものらしい。