ヘシオドス『神統記』では、テュケはオケアノスとテテュスの娘たちの長い名簿の中に名が挙がるだけで、何の話も付かない。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃

Τύχη神
アンティオキアのテュケ。ローマ時代の作。 『アンティオキアのテュケのブロンズ小像』 ローマ時代 1世紀 メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)
英語の「fortune(フォーチュン)」は、運、そして財産を意味する言葉だ。語源の辞書によれば、もとはラテン語の「フォルトゥナ」で、偶然や幸運を表す。この運はしばしば女神の姿で表され、女神が回す車輪は、移り変わりのしるしだったという。
ローマでフォルトゥナと呼ばれたこの女神にあたるのが、ギリシャのテュケである。
人の運を握る女神は、はじめから大物だったわけではない。テュケがどのように語られ、どう力をつけていったのか、順に見ていこう。
最初の登場は目立たない。ヘシオドスの『神統記』には、海の神オケアノスの大勢の娘たちの名がずらりと並ぶ。テュケは、その中に名前がひとつ混じっているだけだ。
『ホメロス風讃歌』の中のデメテル讃歌でも同じだった。冥界の王にさらわれたペルセポネが、そのときの様子を母に語る場面で、牧場で一緒に遊んでいた娘たちの名を挙げる。その一人がテュケである。
2世紀の旅行家パウサニアスは、ここに目をとめている。ホメロスはテュケの名を挙げたが、人の世でいちばん強い女神だとは、ひとことも言っていない。アテナやアプロディテには、それぞれの受け持ちを与えているのに、と。
テュケに力を与えたのは、後の時代の詩人と彫刻家たちだった。紀元前5世紀の詩人ピンダロスは、自由をもたらすゼウスの娘、救い主テュケに祈っている。あなたのおかげで、海では速い船が舵を取り、陸では激しい戦いも、人々の話し合いも導かれるのだ、と。パウサニアスによれば、ピンダロスはテュケを運命の女神たちの一人に数え、しかも姉妹の中でいちばん強いとした。
女神の姿を形にしたのは彫刻家である。パウサニアスによると、小アジアの町スミルナにテュケの像を作った彫刻家ブパロスが、頭に天球を載せ、片手に「アマルテイアの角」を持たせた最初の人だった。豊かさを生む角を抱えた女神の姿は、ここから広がっていく。

各地の神殿で、テュケはさまざまな相手を連れていた。テバイの像は、幼い「富」の神を腕に抱いていた。女神が富の母とも、乳母とも見えるようにした作り手の工夫を、パウサニアスはほめている。アイギラの町の像は豊穣の角を持ち、そばには翼のある愛の神エロスが立っていた。恋がうまくいくかどうかさえ、人の美しさより運しだいという意味だろう、とパウサニアスは読んでいる。
テュケは町の守り神にもなった。ピンダロスは彼女を「町を支える女神」と呼んだという。シリアの大都市アンティオキアの人々は、彫刻家エウテュキデスが作ったテュケの像を、たいへん大切にしていた。
パウサニアス自身も、この女神の力を思い知っている。かつてギリシャ中の期待を集めて建てられた都メガロポリスが、いまはほとんど廃墟になっている。それでも驚かない、と彼は書く。強いものも弱いものも、増えるものも減るものも、テュケが気の向くまま、有無を言わせずに変えていくのだから。
オケアノスの娘たちの中の名前のひとつから、町と人の浮き沈みを握る女神へ。下の注釈では、それぞれの詩と像が、どの書物のどこに出てくるかをまとめた。
この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、ピンダロス『祝勝歌集』、パウサニアス『ギリシア案内記』、『Theoi Greek Mythology(Webサイト)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
ヘシオドス『神統記』では、テュケはオケアノスとテテュスの娘たちの長い名簿の中に名が挙がるだけで、何の話も付かない。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
ピンダロスは『オリュンピア祝勝歌』12番(前466年、ヒメラのエルゴテレスのため)を「自由をもたらすゼウスの子、救い主テュケ」への祈りで始め、海の船、陸の戦い、評議の場を導くのは彼女だと述べる。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
パウサニアスは、ホメロスはテュケの名を挙げただけで、人の世で最も強い女神だとは言っていないと指摘する。『イリアス』でアテナとエニュオを戦の、アルテミスを出産の、アプロディテを結婚の女神として描いたのとは違う、と。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスによれば、ピンダロスはテュケを運命の女神(モイラ)の一人とし、姉妹たちより強いとした。またピンダロスはテュケを「町を支える女神(ペレポリス)」と呼んだ。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスによれば、スミルナのテュケ像を作ったブパロスが、頭に天球(ポロス)を載せ、片手に「アマルテイアの角」を持たせた姿を最初に作った。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
テバイのテュケ像は、幼い富の神プルトスを腕に抱いていた。顔と手はアテナイのクセノポン、残りは土地の彫刻家カリストニコスの作。パウサニアスは、テュケを富の母とも乳母とも見せる工夫をほめ、平和の女神が富を抱くケピソドトスの像と並べている。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アイギラには、アマルテイアの角を持つテュケの像の横に翼のあるエロスを置いた建物があり、パウサニアスは、恋の成功でさえ人の美しさより運にかかっている、という意味だと解く。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
リュシッポスの弟子エウテュキデスが、オロンテス川沿いのシリアの人々(アンティオキア)のためにテュケ像を作り、土地の人々に大切にされていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスの時代、テュケの神殿はギリシャ各地にあった。アルゴスの神殿は、パラメデスが自分の発明したさいころを奉納したという古いもの。シキュオンには「高みのテュケ」の聖域、エリスには顔と手足以外を金張りの木で作った巨大な像があった。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスは、大きな期待のもとに建てられたメガロポリスが廃墟同然になったことに触れ、強いものも弱いものも、増えるものも減るものも、テュケが気まぐれに否応なく変えていくのだから驚かない、と書く。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ローマではフォルトゥナがテュケにあたる。英語 fortune(1300年ごろ)は古フランス語を経てラテン語 fortuna「偶然、運命、幸運」(fors「偶然」から)に由来し、しばしば女神として擬人化され、その車輪は移ろいを表した。「財産」の意味はスペンサーに初出。
『Theoi Greek Mythology(Webサイト)』 2000年〜、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
「デメテル讃歌」では、ペルセポネが母に、さらわれた日に牧場で一緒にいた娘たちの名を挙げる中に「テュケ」がいる。パウサニアスはこれを、テュケに触れた最初の詩としてホメロスの作に数え、オケアノスの娘として扱っている。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
346-366
フォーチュン(fortune、運・幸運)英語の fortune(運、幸運、財産)は、ラテン語の fortuna「偶然、運命、幸運」から来ている。英語では1300年ごろから、人の世を動かす偶然の力の意味で使われ、財産の意味はのちにスペンサーの作品から現れた。語源辞典によれば、運はしばしば女神の姿で描かれ、人の世の移り変わりやすさを表す輪を持っていた。この女神がローマのフォルトゥナで、ギリシャの運と偶然の女神テュケにあたる。