ギリシャ神話の地図
ゼウス夫アテナ味方アプロディテ敵アレス息子ヘパイストス息子ヘラクレス敵パリス宿敵レト敵
冠をいただいて立つヘラの大理石像。

ヘラ

Ἥρα神

冠をいただいて立つヘラの大理石像。 『カンパーナのヘラ』 作者不詳 2世紀(ローマ帝政期。コモンズの説明による) ルーヴル美術館(Ma 2283)。写真 Marie-Lan Nguyen(2006年)Public domain

6月を英語でジューンという。この名は、結婚と女性を守るローマの女神ユノにちなむとされる。ギリシャでユノにあたるのが、神々の王ゼウスの妻ヘラだ。

結婚の女神の夫婦仲は、荒れに荒れていた。ある日、ゼウスは神々の前で得意げに宣言した。今日生まれる私の血筋の男が、周りのすべての者の王となる。

妻ヘラはすかさず言った。本当に、誓えますか。今日、女の足のあいだから生まれ落ちる、あなたの血を引く男が王になると。ゼウスは企みに気づかず、固い誓いを立てた。ヘラはオリュンポスの山頂から飛び降りると、ギリシャの町アルゴスへ急いだ。そこにはゼウスの子孫にあたる王の妻がいて、まだ7か月の子を宿していた。ヘラはこの子を月足らずで産ませ、同じ日に生まれるはずだったゼウスの息子ヘラクレスの出産は、お産の女神たちを引き止めて遅らせた。王になったのは月足らずで生まれたその子で、ヘラクレスは生涯その命令に従って働かされることになる。

『イリアス』でこの話を語るのは、英雄アガメムノンである。神々の王でさえ、ヘラには出し抜かれた、と。

ヘラは、我が子を次々に呑み込んだ父クロノスの娘で、呑み込まれた子の一人だった。末の弟がゼウスである。つまりヘラはゼウスの姉であり、妻でもある。ヘシオドスの『神統記』は、ゼウスが次々に迎えた妻たちを並べ、その最後に正妻としてヘラを置いた。ヘラが産んだのは、戦の神アレス、青春の女神ヘベ、そしてお産の女神だった。夫が自分の頭から女神アテナを産むと、対抗するように、夫と交わらずひとりで鍛冶の神ヘパイストスを産んだ、と『神統記』は語る。

夫の恋人とその子どもたちは、ことごとくヘラの敵になる。アポロンが生まれようとしたときには、お産の女神である娘をそばに引き止めて、出産を妨げたと伝えられる。ヘラクレスには、トロイアからの帰りの船に嵐を差し向けたこともあった。

ゼウスのほうも黙ってはいない。ヘラクレスの一件のあと、ゼウスはヘラの両足に金床を二つ吊るし、両手を黄金の枷で縛って、雲のあいだに宙吊りにした。助けようと近づいた神は、天の敷居から投げ落とした。『イリアス』のゼウスは、この罰を持ち出して妻を脅している。

ヘラに恋をした人間もいた。ピンダロスの詩によれば、ある人間の王は、神々のもとで何不自由ない暮らしを許されながら、正気を失ってヘラを欲しがった。ゼウスは、ヘラそっくりの姿の雲をこしらえて罠にした。王はそうとは知らず、その雲と床を共にする。罰として翼のついた車輪に縛りつけられ、いまも回りながら、恩人には恩で報いよ、と人間に告げ続けているという。雲はやがて奇怪な子を産んだ。半人半馬のケンタウロスたちの祖である。

王が抱き寄せているのは、ヘラそっくりの雲の女。本物のヘラは、孔雀を連れてその場を去っていく。
王が抱き寄せているのは、ヘラそっくりの雲の女。本物のヘラは、孔雀を連れてその場を去っていく。『誘惑しようとしたユノに欺かれるラピタイの王イクシオン』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1615年 ルーヴル美術館Public domain

トロイア戦争では、ヘラは最初から最後までギリシャ軍の味方だった。ゼウスが英雄アキレウスの母テティスの願いを聞いてトロイア勢を勝たせると頷けば、ヘラはすぐに気づいて問い詰める。黙って座れ、と夫に凄まれて口をつぐむと、息子ヘパイストスが間に入った。母上、こらえてください、前に母上をかばったら、私は足をつかまれて天から放り出され、一日じゅう落ち続けたのです。そう言いながら神々に酒を注いで回る不格好な姿に、宴の席は笑いに包まれた。

ヘラのトロイア憎しみは徹底している。私が最も愛するアルゴス、スパルタ、ミュケナイの三つの町を、あなたが滅ぼしたくなったら止めはしない。だからトロイアを滅ぼさせて、とまでゼウスに迫った。

ヘラは口を出すだけの女神ではなかった。戦の神アレスがトロイア方について暴れ回ると、自ら黄金の額飾りをつけた馬に軛をかけ、娘の青春の女神が青銅の車輪を戦車にはめた。天の門はひとりでに開き、ヘラは女神アテナを乗せて戦場へ駆け下りる。あの乱暴者を追い払ってよいか、とゼウスの許しまで取りつけていた。

終盤、アキレウスがトロイアの川の神の濁流に呑まれかけたときも、真っ先に叫んだのはヘラだった。足の曲がった我が子よ、火を放て。呼ばれたヘパイストスは平原の死体を焼き尽くし、川そのものに炎を向けた。

最大の見せ場は、夫をまんまとだます場面だ。ゼウスが山の上から戦を見張っていては、ギリシャ軍が押し返せない。ヘラは念入りに身を整え、愛の女神アプロディテから恋心を呼び起こす帯を借り、眠りの神を抱き込んで、イデ山のゼウスのもとへ向かった。誘惑されたゼウスは妻と寝て、そのまま眠りに落ちる。そのあいだにギリシャ軍は反撃に出た。

愛の帯を身につけて、イデ山のゼウスのもとを訪れたヘラ。
愛の帯を身につけて、イデ山のゼウスのもとを訪れたヘラ。『イデ山でユノに惑わされるユピテル』 ジェームズ・バリー 1790年代 シェフィールド美術館Public domain

目覚めたゼウスは激怒した。先の宙吊りの罰を思い出させたのは、このときである。ヘラは震え上がった。

ヘラが大事にしたのはギリシャ軍だけではない。アキレウスの母テティスは、ヘラ自身が育て、人間の英雄に嫁がせた女神だった。だからアキレウスは女神の子で、人間の女の乳で育ったヘクトルと同じ扱いはできない、と『イリアス』の終わりでヘラは言い張る。

なぜヘラはそこまでトロイアを憎んだのか。『イリアス』はその理由を、最後の巻でたった一度、ほんの数行だけ口にする。トロイアの王子パリスが、訪ねてきたヘラとアテナをはねつけ、欲望をかなえてくれる女神のほうを持ち上げたこと。後に「パリスの審判」として知られる話だが、『イリアス』が触れるのはここだけだ。

三柱の女神の中から一人を選ぶ、トロイアの王子パリス。
三柱の女神の中から一人を選ぶ、トロイアの王子パリス。『パリスの審判』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1632〜1635年ごろPublic domain

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、ピンダロス『祝勝歌集』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

こういう風にも語られている

ゼウスが自分の頭からアテナを産んだことに対抗し、交わりなしに独力でヘパイストスを産んだ、とヘシオドスは語る。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

一方ホメロスでは、ヘパイストスはゼウスを「父」と呼び、ゼウスとヘラの子として扱われている。単独出産の話はホメロスには無い。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

ローマ以後の語り

ローマの対応神ユノは結婚と成人女性の守護神で、6月 June の名はユノに由来するとされる。語源の節も参照。

ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

もっと詳しく

クロノスとレアの娘で、ゼウスの姉。ヘシオドスは「黄金の履のヘラ」と呼ぶ。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

『神統記』でゼウスの妻の列挙の最後に置かれ、ヘベ、アレス、エイレイテュイアを産む。ゼウスの遍歴の終着点として正妻の地位が与えられている。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

戦況を変えるため、アプロディテから愛の帯を借り、ヒュプノス(眠り)と結んでゼウスを誘惑し、イデ山で眠らせた。『イリアス』第14巻の「ゼウスの欺き」として有名な場面。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

残り8件を読む

目を覚ましたゼウスは、かつてヘラの両足に金床を括りつけ両手を黄金の枷で縛って天空から吊るした罰を思い出させて脅す。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

『イリアス』全編でパリスの審判に触れるのはここ一箇所だけで、ヘラとアテナがトロイアを憎む理由として短く言及される。審判の物語そのものは語られない。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

「私が最も愛する三つの町はアルゴス、スパルタ、そして道広きミュケナイだ」と語り、その三つを滅ぼしてもよいとまで言ってトロイアの滅亡をゼウスから引き出す。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

ゼウスが「今日生まれる自分の血筋の男が周囲の王になる」と誓わされた日、ヘラはアルゴスへ行ってステネロスの妻の子エウリュステウスを7か月で産ませ、アルクメネの出産はお産の女神たちを引き止めて遅らせた。アガメムノンが「迷妄(アテ)」の例として語る。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

トロイアを攻め落として帰るヘラクレスの船に、ヘラは北風を差し向けてコス島へ流した。ゼウスが眠っているあいだの企みで、目覚めたゼウスは激怒した。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

テティスとの密談を問い詰めてゼウスに凄まれたヘラを、息子ヘパイストスがなだめ、かつて母をかばって天から投げ落とされた話をする。神々は酒を注いで回るヘパイストスを見て笑った。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

アレスがトロイア方で暴れると、ヘラは自ら馬に軛をかけ、ヘベが戦車に車輪を付けた。天の門がひとりでに開き、ヘラはアテナを乗せて出陣し、ゼウスからアレスを追い払う許しを得る。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

川の神スカマンドロス(クサントス)がアキレウスを呑もうとしたとき、ヘラは息子ヘパイストスを呼んで火を放たせ、自らは西風と南風を起こした。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

ほかのつながり(39人)

家族・恋愛

敵対・殺害

  • アルクメネ敵対

    19.114-119 ヘラが出産の女神エイレイテュイアたちを止めてアルクメネのお産を遅らせる

  • アルテミス敵対

    21.479-496。ヘラに両手を掴まれ、自分の弓で耳を打たれて泣きながら逃げる

  • アタマス敵対

    アポロドーロス 1.9.2, 3.4.3、『変身物語』4.416-542。ディオニュソスを育てたことを恨んだヘラに狂わされる

  • カリスト敵対

    Met. 2.466-495 ヘラ(ユノ)が熊に変える / 3.8.2 熊を射させる

  • イオ敵対

    2.1.3 ヘラの女神官だった。ヘラは牝牛をもらい受けてアルゴスに見張らせ、アブを送る / Met. 1.601-624, 1.724-727

  • ラミア敵対

    λ 84 ヘラがねたんで、ラミアの産んだ子を殺す

  • ペリアス敵対

    1.9.8 継母シデロをヘラの祭壇で殺し、以後ヘラを軽んじる。1.9.16 ヘラはメデイアをペリアスへの災いにしようとする

  • セメレ敵対

    3.4.3 ヘラに欺かれる / Met. 3.259-295 ヘラが乳母ベロエに化けてそそのかす

仲間・師弟

出来事・場所・物

今の言葉に残る

ギャラクシー / galaxy・ミルキーウェイ(天の川)英語の galaxy(銀河)は、ギリシャ語で天の川を指した「乳の輪」から来ている。「乳」を意味する gala がもとで、英語の Milky Way(乳の道)もラテン語の「乳の道」を訳した言葉である。夜空の白い帯を、古代の人は乳にたとえた。ではだれの乳か。ヒュギヌスの『天文譜』は説をいくつも並べる。ヘラが知らずに赤ん坊のヘルメスに乳を与え、別の女性が産んだ子だと気づいて突き放したときにこぼれた、という説。眠っているヘラの胸に赤ん坊のヘラクレスがあてがわれた、という説。ヘラクレスが欲ばって飲みすぎ、口からあふれた、という説。さらに、ゼウスの代わりに石を夫クロノスに渡したレアが乳を搾ったとき、という説まである。英語で galaxy が天文学の「銀河」の意味になったのは1848年ごろから。

6月 / June月名 June はラテン語 Iunius (mensis) から。おそらく Iunonius「ユノに捧げられた」の短縮形で、ヘラと同一視されるローマの女神ユノにちなむ。ユノは成人女性と結婚を司る神で、ユピテル(ゼウス)の姉妹で妻。英語での June は1300年頃から。

木星探査機ジュノー / Juno2011年8月に打ち上げられ、2016年から木星を回っているNASAの探査機ジュノーは、ゼウスの妻ヘラのローマ名ユノ(英語読みでジュノー)から名付けられた。NASAの子ども向けサイトは、その理由を神話で説明している。木星の名のもとになった神ユピテル(ゼウス)は、自分のいたずらを隠すために雲のベールをまとったが、妻のユノは雲を見通して夫の正体を暴いた。探査機も同じように、木星の分厚い雲の下をのぞき込む、というわけだ。もとになった場面は、オウィディウスの『変身物語』にある。ゼウスはイオという娘に言い寄り、逃げる彼女を捕まえるために、広い土地を闇で覆い隠した。空から見下ろしたヘラは、晴れた昼間にそこだけ夜のような雲がかかっているのを不審に思う。川から立つ霧でもない。夫が天にいないと分かると、「思い違いか、それとも裏切られているのか」と地上へ降り、雲を退かせた。ゼウスは妻が来るのを察して、イオを雌牛に変えていた。

呼び名の話

この話が出てくる作品

星座になった話

次に読む

このページの出典(13件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  4. 前7〜6世紀頃作者不詳『ホメロス風讃歌』
  5. 前5世紀前半ピンダロス『祝勝歌集』
  6. 前1世紀末リウィウス『ローマ建国以来の歴史』
  7. 前19年頃ウェルギリウス『アエネイス』
  8. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  9. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  10. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』
  11. 2世紀アプレイウス『ソクラテスの神霊について』
  12. 10世紀(編者不詳)『スーダ辞典』
  13. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』