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パリスの審判

κρίσις τοῦ Πάριδος出来事

2004年の映画『トロイ』には、この場面がない。神々を一人も登場させない映画だから、三人の女神が美しさを競うことも、羊飼いの王子に判定を任せることもできなかった。戦争の原因は、王子と王妃自身の選択と、ギリシャの総大将の領土欲に置き換えられている。

映画が切り捨てたこの話は、古い伝えではどう語られていたのか。

裁き手になったトロイアの王子パリスは、生まれたときから災いの子とされていた。後の神話集によれば、母の王妃は身ごもっているあいだに、燃えさかるたいまつを産み、その火が町じゅうに燃え広がる夢を見た。夢を解いた者は、この子は国を滅ぼすために生まれてくる、捨てるべきだと告げる。生まれた赤ん坊は、トロイア近くのイデ山に捨てられた。雌熊に乳を与えられて生き延びた赤ん坊を、捨てに行った召使いが拾い、自分の子として育てる。こうしてパリスは、山で家畜の番をしながら大きくなった。

その山に、ある日、三人の女神がやって来る。

失われた叙事詩『キュプリア』の要約によると、始まりは、のちに英雄アキレウスの両親となる海の女神と人間の王の婚礼だった。神々が宴を開いているところへ争いの女神エリスが現れ、ヘラとアテナとアプロディテのあいだに、誰がいちばん美しいかという争いを起こす。ゼウスは、伝令の神ヘルメスに命じて、三女神をイデ山のパリスのもとへ案内させた。ローマ時代の神話集では、招かれなかったエリスが戸口から黄金の林檎を投げ入れ、いちばん美しい女神がこれを取れ、と言い放ったことになっている。

神々の婚礼の宴。黄金の林檎を前に、女神たちの争いが始まる。
神々の婚礼の宴。黄金の林檎を前に、女神たちの争いが始まる。『テティスとペレウスの婚礼(不和の黄金の林檎)』 ヤーコブ・ヨルダーンス(ルーベンスの下絵による) 1636〜1638年 プラド美術館Public domain

女神たちは、それぞれ贈り物を約束した。後の神話集はこう整理している。ヘラは、自分を選べば全世界の王にしてやると言った。アテナの約束は、戦いでの勝利。アプロディテが差し出したのは、スパルタ王の妃ヘレネとの結婚だった。パリスはアプロディテを選んだ。

林檎を手に三人の女神を見比べる羊飼いの王子。後ろには案内役のヘルメスが立つ。
林檎を手に三人の女神を見比べる羊飼いの王子。後ろには案内役のヘルメスが立つ。『パリスの審判』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1632〜1635年ごろPublic domain

ローマの詩人オウィディウスは、パリス自身がヘレネに宛てた手紙という形の詩で、このときの様子を語らせている。女神たちが衣を脱いで裁き手の前に立った、という場面は、後の時代の絵画に好んで描かれていく。詩の中のパリスは、スパルタでヘレネを初めて見たとき、あの審判の日のアプロディテもこんな顔だった、と書く。あなたがあの争いに加わっていたら、女神の勝ちは危うかっただろう、とまで言ってのける。

船出を止めようとした者もいた。アポロドーロスによれば、山で暮らしていたころのパリスは、川の神の娘を妻にしていた。彼女は女神レアから予言の術を学んでいて、ヘレネを迎えに船を出してはいけない、と夫に告げる。聞き入れられないと分かると、こう言い添えた。もし傷を負ったら、私のところへ来なさい。あなたを治せるのは私だけだから。10年後、深い傷を負ったパリスは、その言葉どおり彼女のもとへ向かうことになる。オウィディウスの詩では、船が出る間際に、妹カッサンドラが髪を振り乱して叫ぶ。どこへ急ぐの。あなたは炎を連れて帰ってくる。

パリスは船を造らせ、スパルタへ向かった。ヘレネを連れ帰ったことが、10年に及ぶトロイア戦争の始まりになる。

ところが『イリアス』は、この審判のことをほとんど語らない。ただ一度、最後の巻で、ヘラとアテナがトロイアを憎み続ける理由として、短く触れるだけだ。王子は、自分の家畜小屋にやって来た二人の女神を辱め、破滅を招く欲望をかなえてくれた女神をたたえた、と。三つの贈り物も、黄金の林檎も出てこない。

悲劇作家エウリピデスは、この話そのものを疑ってみせた。『トロイアの女』で、ヘレネが自分の弁護に審判の話を持ち出すと、トロイアの王妃ヘカベは言い返す。女神たちがそんな愚かな美くらべをするはずがない。お前が自分の欲に負けただけだ、と。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』、エウリピデス『トロイアの女』、オウィディウス『名婦の書簡』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』、ウォルフガング・ペーターゼン監督『映画『トロイ』』

この物語の人々

ローマ以後の語り

三つの贈り物を「アジアの王権」「戦いの勝利」「最も美しい女」と整理して語るのはアポロドーロス。この形が後世の定型になった。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

オウィディウス『名婦の書簡』16では、パリスがヘレネに宛てた手紙の中で審判の一部始終を自ら語る。三女神が服を脱いで身を見せたという描写など、後世の絵画に繋がる要素はここで強められている。

オウィディウス『名婦の書簡』 前15年頃

映画『トロイ』(2004)には審判の場面が無い。神々を登場させない方針のため、戦争の原因はパリスとヘレネの個人的な選択と、アガメムノンの領土欲に置き換えられている。

ウォルフガング・ペーターゼン監督『映画『トロイ』』 2004年

アポロドーロスによれば、ヘカベは二人目の子を産む前に、燃えるたいまつを産んでその火が町中を焼く夢を見た。夢解きのアイサコスがこの子は祖国の破滅のもとだと告げ、生まれた子はイデ山に捨てられた。5日間雌熊に乳を与えられた赤子を、捨てに行った召使いアゲラオスが拾って自分の子として育て、パリスと名づけた。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

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『イリアス』での言及は最終巻の一箇所だけ。ヘラとアテナがヘクトルの遺体返還に反対し続ける理由として、「アレクサンドロスの過ち」と、彼が二女神を貶めアプロディテを称えたことが数行で回想される。審判の中身も三つの贈り物も語られない。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

『キュプリア』の要約では、エリスが女神たちの争いを起こし、ゼウスの命でヘルメスが三女神をイダ山のアレクサンドロスのもとへ導く。アレクサンドロスはアプロディテが約束した結婚に唆されて彼女を選ぶ、と短く記される。

作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』 前7世紀頃

エウリピデス『トロイアの女』では、ヘレネが自分の弁護として審判の話を持ち出すが、ヘカベが「女神たちがそんな美人争いをするはずがない、お前が欲に駆られただけだ」と反論する。神話そのものを疑ってみせる場面。

エウリピデス『トロイアの女』 前415年

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このページの出典(7件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前7世紀頃作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』
  3. 前415年エウリピデス『トロイアの女』
  4. 前15年頃オウィディウス『名婦の書簡』
  5. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  6. 1〜2世紀頃ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』
  7. 2004年ウォルフガング・ペーターゼン監督『映画『トロイ』』