エリスだけが招かれなかった、という筋はヒュギヌスで明確になる。閉め出されたエリスが戸口から林檎を投げ入れ、最も美しい者が取るようにと言い放つ。
ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
γάμος Πηλέως καὶ Θέτιδος出来事
神々がそろって招かれた婚礼の宴に、ただ一柱、招かれなかった女神がいた。争いの女神エリスである。閉め出されたエリスは、戸口から一個の黄金のリンゴを投げ入れ、いちばん美しい女神がこれを取れ、と言い放った。この一個のリンゴが、やがてトロイア戦争を引き起こすことになる。
花嫁は、海の女神テティス。花婿は、人間の英雄ペレウスだった。女神が人間に嫁ぐのは、ふつうのことではない。そこには理由があった。
もともとテティスには、神々の王ゼウスと、海の神ポセイドンの二柱が求婚していた。ところが、掟の女神が予言した。テティスの産む子は、父親よりも強くなる。ゼウス自身、かつて父を倒して王になった神である。二柱の神は、すぐに身を引いた。そしてテティスは、人間に嫁がされることになった。
テティスは、自分から望んで嫁いだわけではなかった。賢者のケンタウロス、ケイロンの助言を受けたペレウスは、テティスを待ち伏せてつかまえた。テティスは火になり、水になり、獣になって逃れようとしたが、ペレウスは元の姿に戻るまで決して放さなかった。
婚礼は、ケイロンの住む山で行われた。神々が集まり、宴を開き、歌で祝った。『イリアス』でも女神ヘラが、私が育てたテティスを人間に嫁がせ、神々はみなその婚礼に出た、と振り返っている。神々は花婿に贈り物をした。ケイロンはトネリコの槍を、ポセイドンは不死の馬2頭を贈った。『イリアス』によれば、神々が作った見事な鎧も、この婚礼の贈り物だった。

しかし、宴には争いの種が投げ込まれていた。黄金のリンゴをめぐって、女神ヘラ、アテナ、アプロディテの三柱が、自分こそ最も美しいと言い争った。ゼウスはその判定を、トロイアの王子パリスに任せる。パリスがアプロディテを選んだことから、スパルタの王妃ヘレネの略奪、そしてトロイア戦争へとつながっていく。

この婚礼から生まれた子が、英雄アキレウスである。父より強い子を産むという予言どおり、アキレウスは人間の父をはるかにしのぐ戦士になった。父の鎧と、父の槍と、父の不死の馬を携えて、彼はトロイアの戦場に立つ。戦争の発端となった争いと、その戦争で最も強い戦士が、同じ一つの婚礼から生まれていた。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』、ピンダロス『祝勝歌集』、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
エリスだけが招かれなかった、という筋はヒュギヌスで明確になる。閉め出されたエリスが戸口から林檎を投げ入れ、最も美しい者が取るようにと言い放つ。
ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
ペレウスはペリオン山でテティスと結婚し、神々は宴と歌で祝った。ケイロンはトネリコの槍を、ポセイドンは不死の馬バリオスとクサントスを贈った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『イリアス』もこの婚礼を知っている。ヘラが「私が育てたテティスをペレウスに嫁がせ、神々はこぞって宴に集まった」と語る。ただしエリスの妨害も林檎も出てこない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
この婚礼で神々がペレウスに贈った品が、後の物語の道具になる。アキレウスが着る神造りの武具も、不死の馬クサントスとバリオスも、神々の結婚祝いとして語られる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
女神が人間と結婚する理由も語られている。テティスの産む子は父より強くなるという予言があったため、ゼウス(とポセイドン)は自ら娶ることを避け、人間のペレウスに嫁がせた。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
テティスは望んで嫁いだのではなく、次々に姿を変えて逃げるところをペレウスが掴んで離さず、組み伏せて得た妻とされる。神と人間の結婚が力ずくで成立している点が、後の不和の伏線にもなる。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
この婚礼から生まれた子がアキレウスである。戦争の発端(エリスの争い)と、その戦争最強の戦士が、同じ一つの宴に由来していることになる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃