1870年代からハインリヒ・シュリーマンが発掘した現在のトルコ・ヒサルルクの丘の遺跡が、トロイアの跡とされている。その後デルプフェルト、ブレーゲン、コルフマンと発掘が続いた。遺跡は積み重なった複数の層からなり、どの層が『イリアス』の街にあたるかは今も議論が続いている(第VI層後期か第VIIa層か)。
『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年
Ἴλιος場所
パソコンに忍び込むウイルスの呼び名「トロイの木馬」。2004年の映画『トロイ』。どちらも、この街の名から来ている。神話での名はトロイア。ギリシャ軍に10年囲まれ、最後は木馬の計略で落ちた街だ。
話は、この街の城壁が築かれたところから始まる。
その城壁は、神々が賃金で請け負って積んだものだった。そして当時の王は、その賃金を踏み倒した。
『イリアス』の中で、海の神ポセイドンが恨みがましく振り返る。昔、ゼウスの命令で、自分とアポロンは1年のあいだ決まった賃金でトロイアの王ラオメドンに仕えた。ポセイドンは街のまわりに、決して破られないよう広く美しい城壁を築き、アポロンは山の尾根で王の牛を追った。ところが年季が明けると、ラオメドンは賃金を払わない。手足を縛って遠い島に売り飛ばす、青銅で耳をそぎ落とす、と脅して二柱を追い返した。
街の始まりについては、神話の手引き書を残したアポロドーロスが語っている。昔の王が、神託に従ってまだらの牝牛のあとをついて行き、牛が横たわった丘に街を築いた。そのとき王の天幕の前に、天から女神アテナの木像が落ちてきた。これが街を守るお守りになる。ラオメドンは、その王の息子だった。
アポロドーロスは、城壁の話の続きも語る。アポロンは疫病を、ポセイドンは海の怪物を送り込んだ。神託は、王女を怪物に差し出せと告げる。海辺の岩に縛られた王女を救ったのは、通りかかった英雄ヘラクレスだった。約束の褒美は、かつてゼウスがトロイアの美少年をさらった償いに王へ与えた馬。だがラオメドンは、ここでも払わなかった。
ヘラクレスは戻ってきた。『イリアス』では、わずか6隻の船と少ない兵で街を落とし、通りを荒らしたと語られる。アポロドーロスによれば、ラオメドンと息子たちは射殺され、生き残ったのは王子が一人だけ。姉である王女が頭のヴェールを代価にしてこの弟を買い戻し、それ以来、彼はプリアモスと呼ばれた。トロイア戦争の老王は、一度目の落城の生き残りである。
プリアモスの街は豊かだった。宮殿には磨いた石の柱廊がめぐり、息子たちとその妻のための寝室が50、向かいに娘たちとその夫のための寝室が12並んでいた。城門のそばにはイチジクの木が立つ。このあたりで王子ヘクトルは妻と別れ、のちにアキレウスに追われて城壁のまわりを走らされることになる。

王子パリスがスパルタから王妃ヘレネを連れ帰ると、ギリシャ軍が海を渡ってきた。ギリシャ軍の予言者は、戦いは9年続き、10年目に街が落ちると告げていた。城壁は10年もちこたえた。破ったのは力ではなかった。

『オデュッセイア』で、ある宮廷の楽人がその夜を歌う。ギリシャ軍は陣に火を放って船で去ったように見せかけ、オデュッセウスたちは木馬の腹に潜んでいた。トロイアの人々は自分たちの手で木馬を丘の上の城まで引き上げ、まわりに座り込んで、どうするか話し合った。斧で割るか。崖から突き落とすか。神々への捧げ物として残すか。彼らは三つ目を選んだ。街が木馬を迎え入れたときに滅びる、というのが定めだった。

時代はずっと下って1870年代、ハインリヒ・シュリーマンが、トルコ北西部ヒサルルクの丘を掘りはじめた。いまトロイアの跡とされるのはこの遺跡である。ただし、遺跡はいくつもの街が上へ上へと積み重なった層になっていて、どの層が『イリアス』の街にあたるのかは、今も決着がついていない。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』、ウォルフガング・ペーターゼン監督『映画『トロイ』』、『オックスフォード古典学辞典』
1870年代からハインリヒ・シュリーマンが発掘した現在のトルコ・ヒサルルクの丘の遺跡が、トロイアの跡とされている。その後デルプフェルト、ブレーゲン、コルフマンと発掘が続いた。遺跡は積み重なった複数の層からなり、どの層が『イリアス』の街にあたるかは今も議論が続いている(第VI層後期か第VIIa層か)。
『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年
ヒッタイトの文書に現れる西方の都市ウィルサ(Wilusa)をイリオスと、その王アラクサンドゥ(ムワタリ2世と条約を結んだ)をアレクサンドロス(パリス)と結びつける説がある。西アナトリアの地名比定が1990年代に進んだことで議論が活発になった。神話と同時代の文字資料との接点として扱われる。
トレヴァー・ブライス『トロイア人とその隣人たち』 2006年、『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年
アポロドーロスによれば、王トロスが国をトロイアと名づけ、その子イロスが神託に従ってまだらの牝牛のあとを追い、牛が伏した「プリュギアのアテの丘」に街を築いてイリオンと名づけた。そのとき天からパラディオンが落ちてきた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
神々に賃金を払わなかったラオメドンの国に、アポロンは疫病を、ポセイドンは海の怪物を送った。王女ヘシオネが怪物に差し出され、ヘラクレスが馬を報酬に救うが、ラオメドンはまた約束を破った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホメロスはこの街をイリオスとトロイエの二つの名で呼ぶ。『イリアス』という題名は前者から、「トロイア戦争」という呼び名は後者から来ており、同じ街の二つの名が別々の言葉として日本語にも入っている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
城壁はポセイドンがラオメドンのために築いたものとされる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
スカイア門とそのそばのイチジクの木は、ヘクトルとアンドロマケの別れ、ヘクトルの最期など、作中の重要な場面が繰り返し置かれる場所として機能している。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
プリアモスの宮殿は、磨いた石の柱廊の中に息子たちのための50の寝室が並び、向かいに娘婿たちのための12の寝室がある、という具体的な建築として描かれる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
トロイアが落ちるのは一度ではない。ラオメドンの約束破りに怒ったヘラクレスが先に一度落としており、その時の生き残りがプリアモスである。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
予言者カルカスは、蛇が雀の雛8羽と母鳥を食った前兆から、戦いは9年続き10年目に街が落ちると告げた。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
木馬を城山に引き上げたトロイア人は、割るか、崖から落とすか、神への捧げ物として残すかで議論し、最後の案を選んだ。街が木馬を迎え入れたときに滅びるのが定めだった、とデモドコスは歌う。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
トロイアを見下ろす山として
『オリュンピア祝勝歌』8.30-46 ポセイドンとアポロンに呼ばれ、城壁づくりを手伝う
20.302-308 「アイネイアスの子孫がトロイア人を治める」
20.239-240 トロイア王家アッサラコスの系統
6.402-403 名前そのものが「街の王」で、トロイアの未来を背負わされている
20.231-235 トロス王家の一員
トロイアの神官
12.290-399 ギリシャ勢の防壁を最初に突き破る
20.230-240 トロイア王家の系譜
落ちる街
攻められた側の都市
トロイオンス / troy ounce(トロイアとは無関係)金の値段でよく見る単位トロイオンス。「トロイ」と聞くとトロイの木馬のトロイアを思い浮かべるが、関係はない。語源辞典によれば、このトロイはフランスの町トロワ(Troyes)のことで、中世にこの町で開かれた大きな市で使われた重さの決まりが「トロワの重さ」と呼ばれた。中世の大きな町はそれぞれ自前の重さの基準を持っていて、その一部が他の土地の商人にも広く使われるようになったという。英語では14世紀後半から宝石や貴金属を量る単位として使われ、1トロイポンドは12トロイオンスに分けられる。トロワの町の名も、古代にそこに住んだ人々の部族名から来ていて、トロイアとはつながらない。