縮み続けて最後は蝉(セミ)になった、という続きは讃歌には無い。これを明記するのは『イリアス』の古註で、3.151(トロイアの長老たちを蝉にたとえる直喩)への註が、長い生に疲れ果てたティトノスを女神が蝉に変えたと述べ、ヘラニコスの名を挙げる。11.1 への註も同じ話を伝える。讃歌が「声だけは尽きることなく流れ続ける」と書いていることが、その連想の下地になっている。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃、『『イリアス』古註(スコリア)』 アレクサンドリア期の学説を伝える写本欄外註

Τιθωνός人間
アウロラ(エオス)とティトノス。セバスティアーノ・リッチの作。 『アウロラとティトノス』 セバスティアーノ・リッチ 1705年 英国王室コレクションPublic domain
死なない体を手に入れたのに、若さを願い忘れた男がいる。年を取り続け、動けなくなっても、死ぬことだけはできない。トロイアの王子ティトノスである。
では、神に愛されたこの若者に何が起きたのか、見ていこう。
ティトノスは、トロイアの王家に生まれた。のちの老王プリアモスとは兄弟にあたる。神々にも似た美しい若者だった。
その若者を、朝焼けの女神がさらっていった。女神は神々の王ゼウスのもとへ行き、この人を死なない体にして、永遠に生かしてほしいと願った。ゼウスはうなずき、願いをかなえた。
ところが女神は、うかつだった。若さのまま保ってほしいと願うこと、老いの皮を脱がせてやることを、思いつかなかったのである。
若いうちは、二人は世界の果て、大洋の流れのほとりで楽しく暮らした。けれども、形のよい頭とあごに白いものがまじりはじめると、女神は彼の寝床に近づかなくなった。それでも館には置き、食べ物と神々の食べ物を与え、立派な衣を着せてやった。
やがて憎むべき老いがすっかり彼を押しつぶし、手足を動かすことも持ち上げることもできなくなる。女神は、彼を一つの部屋に寝かせ、輝く扉を閉ざした。部屋の中で、老人はいつまでもしゃべり続けている。かつてのしなやかな手足の力は、もうどこにもない。
この話を語っているのは、愛の女神アプロディテである。神々をたたえる古代の詩『アプロディテ讃歌』で、女神はトロイアの人間の男と結ばれ、のちに英雄アイネイアスとなる子を身ごもる。けれども、あなたを不死にしてほしいとは願わない、と女神は言う。ティトノスのような姿で永遠に生きるあなたを見たくはないから、と。
『イリアス』と『オデュッセイア』には、夜明けを告げる決まった言い回しがある。曙の女神が、ティトノスの寝床から起き上がる。毎朝の夜明けそのものが、この夫婦の姿として描かれていた。
女神とのあいだには息子も生まれた。トロイア戦争の終盤に援軍として駆けつける、エチオピアの王である。
老いたティトノスが最後には蝉になった、という話もある。けれどもそれは讃歌には書かれていない。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、『『イリアス』古註(スコリア)』
縮み続けて最後は蝉(セミ)になった、という続きは讃歌には無い。これを明記するのは『イリアス』の古註で、3.151(トロイアの長老たちを蝉にたとえる直喩)への註が、長い生に疲れ果てたティトノスを女神が蝉に変えたと述べ、ヘラニコスの名を挙げる。11.1 への註も同じ話を伝える。讃歌が「声だけは尽きることなく流れ続ける」と書いていることが、その連想の下地になっている。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃、『『イリアス』古註(スコリア)』 アレクサンドリア期の学説を伝える写本欄外註
エオスがゼウスに「この者を不死にしてほしい」と願い、聞き入れられたが、永遠の若さを願い忘れた。やがて髪が白くなり動けなくなっても死ねず、エオスは彼を部屋に押し込めて扉を閉ざした、と讃歌は語る。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
この話はアプロディテ讃歌の中で、アンキセスを不死にはしない理由としてアプロディテ自身が語るものである。神と人間の交わりの結末を示す例として置かれている。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
ホメロスの定型句「曙(エオス)はティトノスの臥所から起き上がり」は『イリアス』と『オデュッセイア』の双方に現れ、毎朝の夜明けそのものがこの夫婦の情景として語られている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
エオスとの間にエチオピアの王メムノンをもうけた。トロイアの最後の援軍メムノンは、こうしてプリアモスの甥にあたる。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
20.230-240 トロイア王家の系譜