映画『オデュッセイア』を観る前に知りたい神話
ノーラン監督の映画『オデュッセイア』を観る前に、元になったホメロスの神話をざっくり押さえる。オデュッセウスはどんな男で、家ではだれが待ち、帰り道で何に出会うのか。映画の結末には触れないが、神話の筋には少し触れるので、まっさらで観たい人は注意。
この記事で触れること
この記事は、映画の展開や結末には触れない。書くのは、元になったホメロスの叙事詩『オデュッセイア』のあらましと、出てくる人物のことだ。映画は神話の筋を大きく変えたところも多いので、神話を知っても映画の結末までは分からない。ただ、神話の筋を一つも知らずに観たい人は、ここで引き返してほしい。
近現代ガーディアン「Sex, beds and grisly executions: what Christopher Nolan’s The Odyssey changed, invented – and left out」ホメロスオデュッセイア
観たあとに「あの場面は神話ではどうだったのか」が気になったら、ネタバレありの記事「映画『オデュッセイア』ネタバレ解説」へどうぞ。
ホメロスオデュッセイア
オデュッセウスは、どんな男か

ホメロスが真っ先に歌うのは、この男の頭の回転である。叙事詩は「ムーサよ、あの知恵の回る男のことを語ってくれ」と始まる。故郷に帰り着いた場面では、女神アテナがこう言う。お前はいつも抜け目がなく、口がうまくて、ずる賢い。だから、わたしはお前を見捨てられないのだ、と。
ホメロスオデュッセイア
ノーラン監督も、オデュッセウスを複雑な人物と語り、「驚くべき策略家で、とても抜け目のない男」と評している。
トロイア戦争と、木馬

二十年目の帰郷
戦争に十年、帰り道に十年。オデュッセウスが故郷に帰り着くのは、家を出て二十年目のことだ。帰り道では、仲間を一人残らず失う。
ホメロスオデュッセイア
叙事詩は、旅の初めからは語らない。始まるのは二十年目で、父を探しに出る息子テレマコスと、女神カリュプソの島に引き留められているオデュッセウスの話から入る。帰り道の冒険は、あとからオデュッセウス自身が語って聞かせる。映画も、トロイアの浜の木馬と、カリュプソの島のオデュッセウスを交互に映して始まる。
ホメロスオデュッセイア近現代ガーディアン「Sex, beds and grisly executions: what Christopher Nolan’s The Odyssey changed, invented – and left out」近現代ブリタニカ「Christopher Nolan’s The Odyssey」
家で待つ人々

イタケの館には、王の帰りを待つ人々がいる。妻ペネロペのもとには、夫は死んだと決めつけた求婚者たちが押しかけ、館に居座って毎日の宴で王の財産を食いつぶしている。数は百八人にのぼる。その中心にいるのが、アンティノオスだ。
ペネロペは、義父ラエルテスの死に装束を織り上げたら再婚相手を選ぶと約束し、昼に織った分を夜にほどいて、三年のあいだ求婚者たちを待たせた。四年目に、召し使いの女の一人が秘密を漏らしてしまう。
ホメロスオデュッセイア
帰り道で出会う、有名な相手

神話の帰り道には、よく知られた場面がいくつもある。まず、一つ目の巨人キュクロプス族のポリュペモス。海の神ポセイドンの息子で、オデュッセウスに目をつぶされる。ポセイドンがオデュッセウスを恨み、帰り道を阻むのはこのためだ。
ホメロスオデュッセイア
人を動物に変える魔女キルケ。死者の国で、帰り方を予言する老予言者テイレシアス。歌声で船乗りを誘い寄せるセイレーン。六つの首の怪物スキュラと、海の水を飲み込む渦巻きカリュブディス。そして、決して手を出してはいけない太陽神ヘリオスの牛。
ホメロスオデュッセイア
最後に流れ着くのが、女神カリュプソの島だ。カリュプソはオデュッセウスを夫にしようと引き留め、オデュッセウスはここで七年を過ごす。
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知っておくと効く、「ゼウスの掟」
古代のギリシャでは、旅人や助けを求めてきた人をもてなすことが、神の定めた大事な決まりだった。『オデュッセイア』でオデュッセウスは、ゼウスは身を寄せる旅人を守り、その恨みを晴らす神だ、と巨人に向かって言う。客は主人を敬い、主人は客を手厚くもてなす。
ホメロスオデュッセイア
この決まりを知っていると、物語がぐっと分かりやすくなる。客を食べてしまう巨人も、主人のいない館で好き放題する求婚者たちも、この掟を踏みにじる者として描かれているからだ。映画でも、テレマコスが、居座る求婚者たちは「ゼウスの掟」を破っていると責める。
神々は、どう出てくるか

ホメロスの叙事詩は、オリュンポスでゼウスとアテナが話し合う場面から始まる。アテナは姿を変えて何度も現れ、オデュッセウスと息子を助ける。ポセイドンは帰り道を阻み、伝令の神ヘルメスは大事な使いに走る。
ホメロスオデュッセイア近現代ガーディアン「Sex, beds and grisly executions: what Christopher Nolan’s The Odyssey changed, invented – and left out」
ノーラン監督は、オリュンポスの神々に俳優を当てず、自然の力と、人々の信仰を通して神々を表したと語っている。その時代の人々にとって、神々のしるしはいたるところにあった、という。そのなかで女神アテナだけは、ゼンデイヤが演じている。
近現代米国映画協会(MPA)「Christopher Nolan Reveals Lupita Nyong'o's Powerful Dual Role in 'The Odyssey'」近現代ガーディアン「Sex, beds and grisly executions: what Christopher Nolan’s The Odyssey changed, invented – and left out」
この作品の話が出てくる特集
- オデュッセイアの寄港地めぐり 古代の人も地図に探した、二十年の帰り道ロートスを食べる人々の岸、一つ目の巨人の洞窟、魔女キルケの島、歌う島と海峡の怪物。オデュッセウスが立ち寄った場所を順にたどり、古代の人がそれを地図のどこに置いたか、イタケはどこなのか、帰ったあと何が待っていたのかまで読む。
- 惑星と衛星の神話地図 太陽系に並ぶ、神々の家族火星のまわりを回るのは軍神の息子たち、木星のまわりにはゼウスの恋人たち、土星のまわりには子を呑んだ父の兄弟姉妹。天文学者たちが名前を選ぶとき、神話の家族関係をそのまま夜空に写した。惑星ごとに、誰がそのまわりを回っているかをたどる。
- 地図で見るトロイア戦争 どこから誰が来たのかギリシャ中の王たちが船を出し、アナトリアの国々がトロイアに味方した。『イリアス』の「船の目録」をもとに、両軍がどこから来たのかを地図で見る。
この話の項目
- オデュッセウスイタケの王。知略で知られ、トロイア戦争の後に10年かけて故郷に帰る旅が『オデュッセイア』に語られる。木馬の計略でトロイアを落とし、帰路でポセイドンの怒りを買って漂流した。
- ペネロペイアオデュッセウスの妻、イタケの王妃。夫の留守の20年間、館に居座る求婚者たちを機知でかわし続けた。織物をほどく計略と、寝台の秘密による夫の見破りで知られる。
- テレマコスオデュッセウスとペネロペイアの一人息子。父の不在の20年間に成長し、『オデュッセイア』の1〜4歌では父を探す旅に出る。帰還した父とともに求婚者たちを討つ。
- ラエルテスオデュッセウスの父、元イタケ王。息子の不在と妻の死を嘆いて町を離れ、田舎の農園で粗末な身なりで暮らしていた。物語の最後に息子と再会し、求婚者の縁者との戦いで槍を振るう。
- アテナゼウスの頭から武装して生まれた知恵と戦術の女神。トロイア戦争ではギリシャ側、とりわけディオメデスとオデュッセウスの後ろ盾となる。荒ぶる戦のアレスに対し、計略と工芸を司る戦の神として対置される。
- ポセイドン海を支配する神で、ゼウス・ハデスの兄弟。地震と馬をも司る。『イリアス』ではギリシャ側に立つが、『オデュッセイア』では息子ポリュペモスを潰されたことを恨んでオデュッセウスの帰還を十年阻み続ける、物語の主たる敵対者。
- ゼウスオリュンポスの神々の王。クロノスとレアの末子で、父を倒して天を得た。多くの女神・人間の女性との間に子をもうけ、神々と英雄の多くの父になった。トロイア戦争では人間の側に肩入れしつつ、最後は運命の側に立つ。
- ヘルメス神々の伝令であり、境界と旅人と盗人と商人の神。生まれたその日に竪琴を発明し、アポロンの牛を盗んだ。魂を冥界へ導く役目も担い、生と死、神と人の境を行き来する神として描かれる。
- トロイアの木馬ギリシャ軍が中に兵を潜ませてトロイア城内に運び込ませた巨大な木の馬。『イリアス』には出てこず、『オデュッセイア』で三度短く語られ、最も詳しく描くのはウェルギリウス『アエネイス』第2巻である。
- ヘレネゼウスの娘で、スパルタ王メネラオスの妻。トロイアの王子パリスに連れ去られたことがトロイア戦争の発端となる。生まれ方については諸説ある。
- メネラオススパルタ王でヘレネの夫。アガメムノンの弟。妻を連れ去られたことでトロイア遠征の当事者になる。
- アガメムノンミュケナイ王でギリシャ連合軍の総大将。アキレスからブリセイスを奪って『イリアス』の発端をつくる。帰国した日に殺されるが、誰が手を下したかは出典によって違う。
- ポリュペモスポセイドンの子である一つ目の巨人。洞窟に閉じ込めたオデュッセウスの仲間を食らうが、酒に酔わされて目を焼かれる。彼の祈りがポセイドンの怒りを呼び、オデュッセウスの漂流を長引かせた。
- キュクロプス族一つ目の巨人たち。ところが、ヘシオドスとホメロスで中身がまるで違う。ヘシオドスではゼウスに雷を作った三柱の鍛冶の神、ホメロスでは法も畑も持たずに洞窟で暮らす乱暴な牧人の一族として描かれる。
- キルケアイアイエ島に住む魔女的な女神。太陽神ヘリオスの娘。薬で人を豚に変えるが、モーリュの草で守られたオデュッセウスには効かず、以後1年にわたり彼をもてなし、冥界行きの道を教える。
- テイレシアステバイの盲目の予言者。死後も知性を保つことをペルセポネに許された唯一の霊とされる。冥界を訪れたオデュッセウスに帰路と死の予言を与える。
- セイレーン航海者を歌声で惑わし、その骨を岸辺に積み上げる海の存在。ホメロスは声の魅力だけを語り、姿も数も名も記さない。鳥の体を持つ姿や3人という数は後代の壺絵と神話誌に由来する。
- スキュラ海峡の岩の洞に棲む六つ首の怪物。通る船から必ず6人をさらう。向かいのカリュブディスと対になり、「どちらを選んでも損をする二者択一」の比喩として今も使われる。
- カリュブディス海峡の一方で海水を一日三度呑み込み、三度吐き出す渦。スキュラと向かい合い、どちらを避けても他方に近づくため、船乗りは必ずどちらかの犠牲を選ばねばならない。
- ヘリオスの牛トリナキエ島で飢えた仲間たちが太陽神ヘリオスの神聖な牛を屠った事件。テイレシアスとキルケの二重の警告を破ったため、ゼウスの雷で船は砕かれ、オデュッセウスを除く全員が死ぬ。
- カリュプソオギュギア島に住む女神(ニンフ)。難破したオデュッセウスを7年引き留め、不死と不老を与えると申し出るが、彼は故郷と妻を選ぶ。ゼウスの命でヘルメスが遣わされ、ようやく彼を送り出す。
- アルゴス(犬)オデュッセウスが飼っていた猟犬。主人が出征する前に自ら育てた犬で、20年後に乞食姿で戻った主人をただ一匹で見分け、尾を振ったのち息絶える。
- エウマイオスオデュッセウス家の豚飼いの長。帰国したオデュッセウスが乞食の姿で最初に身を寄せる相手で、主人への忠誠を貫く。もとはシュリエ島の王子で、幼い頃にさらわれて奴隷になった身の上を自ら語る。
- エウリュクレイアオデュッセウス家の老女奴隷・乳母。オデュッセウスとテレマコスを育てた。足を洗うときに猪の牙の傷跡から主人の正体を見抜く場面は、『オデュッセイア』でもっとも有名な認知の場面の一つ。
- アンティノオスペネロペイアの求婚者の筆頭格で、もっとも横暴な人物として描かれる。テレマコス暗殺を企て、乞食姿のオデュッセウスに足台を投げつけた。帰還したオデュッセウスが最初に射殺す相手。
- イタケオデュッセウスの王国であるイオニア海の島。岩がちで馬を走らせる土地はないが「若者を育てるよき乳母」と本人が語る。『オデュッセイア』全体が、この島へ帰ろうとする物語である。
- トロイア小アジア北西部にあった城市。ポセイドンとアポロンが築いたとされる城壁に守られ、プリアモスが治めていた。ヘレネを巡る十年の攻囲の末に木馬の計略で陥落する。19世紀以降、現在のトルコのヒサルルクの丘の遺跡と同一視されている。
- オデュッセウスの漂流トロイアを出たオデュッセウスが、12隻の船団を失いながら島から島へ流され、ひとりイタケへ帰り着くまでの旅。寄港地の多くは、パイエケス人の宴で本人が語る回想(9〜12歌)として出てくる。
ほかの作品の話
- 聖闘士星矢女神アテナを護る少年たちが、星座の名を背負って戦う。海皇ポセイドン、冥王ハーデス、眠りと死の双子の神。『聖闘士星矢』に出てくる名前は、ギリシャ神話のどの話から来ているのか。
- トロイトロイア戦争を描いた2004年の映画『トロイ』。ホメロスの『イリアス』と並べると、どこが同じで、どこが変えられているのか。
- オデュッセイア(ノーラン監督)【結末までネタバレあり】ノーラン監督の映画『オデュッセイア』に出てきた巨人や魔女や亡霊は、ホメロスの神話では何者で、どう語られているのか。映画の場面の順に並べて、同じところと違うところを確かめる。
- ヘラクレス(ディズニー)ディズニーのアニメ映画『ヘラクレス』。神話の英雄の話と並べると、母も、敵も、師匠も、メガラの役回りも、ずいぶん入れ替わっている。
- パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々ギリシャの神々が今もいて、神と人間のあいだに生まれた子どもたちが怪物と戦う。『パーシー・ジャクソン』のどこが、神話のどの話につながっているのか。
- ゴッド・オブ・ウォースパルタの戦士クレイトスが、オリュンポスの神々に挑むゲーム『ゴッド・オブ・ウォー』。主人公の名前からして、ギリシャ神話に出てくる神の名前だった。
- ワンダーウーマンアマゾン族の王女ダイアナが、人間の世界で戦う『ワンダーウーマン』。その故郷の島の名前も、一族の名前も、ギリシャ神話にさかのぼる。
- ハデス(ゲーム)冥界の王子になって、死者の国からの脱出を何度も試みるゲーム『ハデス』。神話で、冥界から出ていこうとした者たちはどうなったのか。
- タイタンの戦い英雄ペルセウスが、メドゥーサの首で海の怪物クラーケンに立ち向かう映画『タイタンの戦い』。神話のペルセウスの話と、どこが重なり、どこが違うのか。
- Fate/Grand Order歴史や伝説の人物が「サーヴァント」として戦う『Fate/Grand Order』。ギリシャ神話から来たメドゥーサ、ヘラクレス、アタランテは、神話ではどんな人物だったのか。
- 海のトリトン(手塚治虫)少年トリトンが、海の支配者ポセイドンの一族と戦う手塚治虫の『海のトリトン』。ところが神話では、トリトンはポセイドンの息子だった。