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オデュッセイアの寄港地めぐり 古代の人も地図に探した、二十年の帰り道

ロートスを食べる人々の岸、一つ目の巨人の洞窟、魔女キルケの島、歌う島と海峡の怪物。オデュッセウスが立ち寄った場所を順にたどり、古代の人がそれを地図のどこに置いたか、イタケはどこなのか、帰ったあと何が待っていたのかまで読む。

二十年かかった帰り道

トロイア1. キコネス族(イスマロス(トラキア沿岸))12. ロートパゴイ(蓮を食う人々)(リビュア沿岸の岬)213. パイエケス人(ケルキュラ島(現コルフ島))1314. イタケ(イタキ島)143. ポリュペモス(エトナ山(シチリア))34. アイオロス(ストロンギュレ島(現ストロンボリ島))45. ライストリュゴネス族(フォルミアエ(イタリア))56. キルケ(キルカイオン山(現チルチェオ岬))67. 冥界訪問(ネキュイア)(アウェルヌス湖(ナポリ近郊))78. セイレーン(アテナイオン岬の先の岩の島々)89. スキュラ / カリュブディス(メッシーナ海峡)910. ヘリオスの牛(シチリア(トリナクリア))10

場所の比定がない場面11 カリュプソ12 イノ・レウコテア

点は、古代の文献がその場所だと言った一例です。

トロイアで十年戦い、帰り道でさらに十年。オデュッセウスがイタケの浜に立つのは、家を出て二十年目のことになる。そのうち七年は、女神カリュプソの島に引き留められていた。

ホメロスオデュッセイア

最初の寄港地は、トラキアの海岸にあったキコネス族の町イスマロス。町は落とせたが、引き上げろという命令を仲間が聞かずに酒盛りを続け、翌朝の反撃で船ごとに六人ずつを失った。十二隻の船団は、このあと一隻ずつ削られていく。

ホメロスオデュッセイア

旅がここまで長引いたのは、海の神ポセイドンが怒っていたからだ。目を潰された息子ポリュペモスが父に祈った。帰すな、帰すとしても遅く、仲間をみな失い、他人の船で、と。帰り道は、そのとおりになる。

ホメロスオデュッセイア

もうひとつ、知っておくと読みやすくなることがある。寄港地の大半は、物語の中で「いま起きていること」としては出てこない。漂流の最後に流れ着いたパイエケス人の国で、王アルキノオスの宴に招かれたオデュッセウスが、名乗ったうえで自分の口から語る思い出話(第9〜12歌)なのだ。

ホメロスオデュッセイア

蓮の花ではなかったロートス

ファン・トゥルデンが描いた、ロートスを食べる人々の島のオデュッセウス
ファン・トゥルデンが描いた、ロートスを食べる人々の島のオデュッセウステオドール・ファン・トゥルデン『ロートスを食べる人々の島のオデュッセウス』1633年・Public domain

マレア岬を回るところで、北風と潮に押し戻された。九日のあいだ流され、十日目に着いたのがロートパゴイ、「ロートスを食べる人々」の土地である。様子を見に行かせた三人に、彼らは何の害も加えなかった。ただ、ロートスを分けてくれた。

ホメロスオデュッセイア

それを食べた者は、帰ることも、船に戻って報告することも忘れ、ここに残ってロートスを摘んでいたいとだけ願うようになった。オデュッセウスは泣く三人を力ずくで船まで引きずり、漕ぎ座の下に縛りつけた。ほかの者がうっかり口にしないよう、急いで全員を乗せて岸を離れる。

ホメロスオデュッセイア

日本の百科事典は、ロートパゴイを〈ハス食い人〉と訳してきた。けれどホメロスは、ロートスがどんな植物かを書いていない。「花の食べ物」「蜜のように甘い実」と言うだけだ。

近現代改訂新版 世界大百科事典ホメロスオデュッセイア

ヘロドトスを読むと、「ロートス」が一つの植物の名ではなかったことが分かる。エジプトでは、ナイルが溢れると水の中に咲く百合をロートスと呼び、その中心を砕いてパンを焼いた。一方、リビュアの岬に住むロートパゴイが食べるロートスは、乳香樹の実ほどの大きさで、ナツメヤシのように甘い木の実だった。彼らはそれで酒も造った。

古典期歴史

英語の lotus-eater は、いまも「現実を忘れて心地よさに浸る人」を指す。

近現代オンライン語源辞典ホメロスオデュッセイア

巨人の洞窟、風の袋、魔女の島

ターナーが描いた、ポリュペモスをあざけるオデュッセウス
ターナーが描いた、ポリュペモスをあざけるオデュッセウスJ・M・W・ターナー『ポリュペモスをあざけるオデュッセウス』1829年・Public domain

次は、種も蒔かず耕しもしない一つ目の巨人キュクロプスたちの国。ポリュペモスの洞窟に閉じこめられ、仲間が二人ずつ食われていく。名を聞かれたオデュッセウスは「ウーティス(誰でもない)」と答えた。強い酒で眠らせ、焼いたオリーブの丸太で一つきりの目を潰す。叫び声に集まった仲間の巨人たちは、「誰でもないがわたしを殺す」と聞いて、何も起きていないと帰っていった。

ホメロスオデュッセイア

風の神アイオロスは、荒い風を牛の皮の袋に閉じこめ、西風だけを送ってくれた。十日目には故郷の烽火まで見えた。ところがオデュッセウスが眠ったすきに、仲間が金銀でも入っているのだろうと袋を開け、船団はアイオロスの島まで吹き戻される。

ホメロスオデュッセイア

人を食う巨人の民ライストリュゴネス族の港では、岸壁から岩を落とされ、入り江の中に泊めた十一隻がまとめて沈んだ。外の岩につないでいたオデュッセウスの船だけが逃げ出せた。ここから先、旅は一隻で続く。

ホメロスオデュッセイア

たどり着いたアイアイエ島には、太陽神ヘリオスの娘キルケが住んでいた。薬入りの酒で仲間を豚に変えたが、ヘルメスにもらったモーリュの草で守られたオデュッセウスには効かない。仲間は人に戻され、一行は島で丸一年を過ごした。帰り道を教える前に、キルケは命じる。まず世界の果てで死者の霊を呼び出し、予言者テイレシアスに聞け、と。

ホメロスオデュッセイア

歌う島と、海峡の二つの怪物

ウォーターハウスが描いた、オデュッセウスとセイレーン
ウォーターハウスが描いた、オデュッセウスとセイレーンジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『オデュッセウスとセイレーン』1891年・Public domain

セイレーンの島では、仲間の耳を蜜蝋でふさぎ、自分だけは帆柱に縛らせて歌を聞いた。歌が誘ったのは、声の美しさではなく知識だった。トロイアで起きたことも、地上で起きるすべてのことも、わたしたちは知っている、と。ほどけと合図すると、仲間はかえって縄を増やした。

ホメロスオデュッセイア

続く海峡には、片側に六つの首を持つ怪物スキュラ、向かいに一日三度海を呑む渦カリュブディスがいる。キルケは、全員を失うよりは六人を取られるほうがいいとスキュラの側を勧めた。オデュッセウスはそれを仲間に言わず、渦に目を奪われているあいだに、六人がさらわれた。

ホメロスオデュッセイア

最後の難所はトリナキエ島。太陽神の牛には手を出すなと、テイレシアスにもキルケにも念を押されていた。だが逆風で一か月足止めされて食べ物が尽き、オデュッセウスが眠ったすきに仲間は牛を屠ってしまう。島を出た船にゼウスが雷を落とし、助かったのはオデュッセウス一人だった。

ホメロスオデュッセイア

七年の島から、眠ったままの帰郷

ベックリンが描いた、オデュッセウスとカリュプソ
ベックリンが描いた、オデュッセウスとカリュプソアルノルト・ベックリン『オデュッセウスとカリュプソ』1882年・Public domain

流れ着いたオギュギア島で、女神カリュプソは七年のあいだオデュッセウスを離さなかった。不死にも不老にもしてやろうと言う女神に、彼は答える。妻ペネロペイアはあなたに姿も背丈も及ばない、それでも家に帰りたい、と。昼は浜の岩に座り、泣きながら海を見ていた。

ホメロスオデュッセイア

ゼウスの命でヘルメスが来て、ようやく女神は彼を放す。四日で筏を組み、十八日目に見えたのがパイエケス人の陸だった。この島にだけは、古代から地図の上に有力な候補がある。トゥキュディデスによれば、ケルキュラ(いまのコルフ島)の人々は、自分たちの海の名声がパイエケス人の時代に遡ると誇っていた。

ホメロスオデュッセイア古典期戦史(ペロポネソス戦争史)

パイエケス人の船は、乗る人の考えが分かり、舵取りもいらないという。オデュッセウスは死に似た深い眠りのまま運ばれ、夜明けのイタケの浜に、贈り物と一緒に下ろされた。送り届けて戻る船は、港の目の前でポセイドンに石に変えられる。

ホメロスオデュッセイア

イタケはどこにあるのか

オデュッセウス自身は、故郷をこう語る。日の沈む方へいちばん寄った低い島で、岩がちで馬を走らせる土地はないが、若者を育てるよい乳母だ。自分の国にまさるものを見たことがない、と。

ホメロスオデュッセイア

いまギリシャ西岸のイオニア海には、イタキという島がある。ところがホメロスの描く地形と合わないとして、19世紀から別の島を「本当のイタケ」とする説が出され続けてきた。デルプフェルトは『古イタケ』(1927)でレフカダ島を、ビトルストンらは『オデュッセウス・アンバウンド』(2005)で、ケファロニア島西部のパリキ半島を挙げる。半島は青銅器時代には独立した島だった、という考えである。決着はついていない。

近現代古イタケ — ホメロス問題への一寄与近現代オデュッセウス・アンバウンド — ホメロスのイタケを探して

二十年待った犬と、メントルの姿の女神

犬のアルゴスに気づかれる、乞食姿のオデュッセウス
犬のアルゴスに気づかれる、乞食姿のオデュッセウス『犬のアルゴスに気づかれるオデュッセウス』1632〜1633年・CC0

乞食に姿を変えて館へ向かうオデュッセウスを、真っ先に見破ったのは人間ではなかった。犬のアルゴス。トロイアへ発つ前に自分で育てた猟犬で、いまは誰にも世話をされず、門の前の騾馬と牛の糞の山に寝そべって、蚤にたかられていた。

ホメロスオデュッセイア

アルゴスは主人を見るなり耳を伏せ、尾を振った。けれど、もう近寄る力はない。オデュッセウスは豚飼いエウマイオスに気づかれないよう涙を拭う。二十年目に主人を見たその時、アルゴスは息を引き取った。この犬の場面は、四十行にも満たない。

ホメロスオデュッセイア

これより前、息子テレマコスは父の消息を求めて海に出ていた。船と漕ぎ手を整え、彼を導いたのは、オデュッセウスが家を託した老友メントル。ただしその多くは、メントルの姿を借りた女神アテナである。英語の mentor(助言者、指導者)はこの人物の名から来ている。

ホメロスオデュッセイア近現代オンライン語源辞典

帰ったあとの話

世界の果てで霊を呼び出したとき、テイレシアスは帰ったあとのことまで予言していた。求婚者たちを討ったら、櫂を担いで、海を知らない人々の国まで歩いていけ。櫂を見て「箕」と呼ぶ旅人に会ったら、そこに櫂を立ててポセイドンに生贄を捧げよ。死は、穏やかな老いの果てに来るだろう、と。

ホメロスオデュッセイア

『オデュッセイア』は、その先を語らない。続きを語ったのは、いまは要約だけが残る叙事詩『テレゴニア』だった。主人公は、オデュッセウスとキルケのあいだに生まれた息子テレゴノス。父を探してイタケに渡り、そこが父の島とは知らずに家畜を奪う。防ごうとしたオデュッセウスを、エイの棘を穂先に付けた槍で突き、父と知らないまま殺してしまう。

古拙期テレゴニアローマ期ビブリオテーケー(ギリシア神話)

父と知ったテレゴノスは激しく嘆き、亡骸とペネロペイアをキルケのもとへ運ぶ。要約によれば、テレゴノスはペネロペイアを、テレマコスはキルケを妻とした。二十年かけて帰り着いた家族の話は、こんな結末を迎える。

古拙期テレゴニアローマ期ビブリオテーケー(ギリシア神話)

地図の点について

上の地図の点は、ホメロスが示したものではない。多くは、後の時代の人が「ここがその場所だ」と考えた所である。トゥキュディデスは、シチリアにいちばん古く住んでいたのはキュクロプスとライストリュゴネス族だと伝えながら、どんな種族で、どこから来てどこへ去ったのかは分からない、詩人の語ることで満足してもらうしかない、と書いた。

古典期戦史(ペロポネソス戦争史)ホメロスオデュッセイア

歴史家ポリュビオスは、ホメロスは旅の舞台をシチリアのまわりに置いたと考え、スキュラの描写もその海峡で行われる漁の様子と合うと論じた。反対に地理学者エラトステネスは、風の袋を縫った靴屋を見つけたら、オデュッセウスがさまよった場所も見つかるだろう、と言ったという。古代の人も、この帰り道を地図に探しては、首をひねっていた。

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