出典 · ローマ期
地理誌
ストラボン · 1世紀初頭 · Geographica
17巻の地誌。10.3 でクレタのクレテス・プリュギアの母神崇拝を扱い、レアをキュベレー等と同じ神として論じる。
この出典が語っていること
アイアイエ島
- 後代にはイタリア西岸のキルケーオ岬(モンテ・チルチェオ)と同一視されるようになるが、ホメロスは場所を特定していない。イタリアへの移し替えはすでに『神統記』末尾にきざしがあり(キルケがオデュッセウスに産んだ子らがテュルセノイ人を治める)、ストラボンの頃にはキルケーオに「キルケの神殿」とオデュッセウスの杯と称する品があった。誰が最初に同一視したかは辿れない。 (ストラボン『地理誌』5.3.6(アンティウムの先の島のような山キルケーオン。小さな町とキルケの神殿、アテナの祭壇があり、オデュッセウスのものという杯を見せる)を本文で確認。『神統記』1011-1016。初出の特定は不可能と判断し、その旨を本文に書いた)
ヘリオスの牛
- 舞台のトリナキエ島は、後代にシチリア島と同一視されるようになるが、ホメロスは場所を特定していない。トゥキュディデスはシチリアの古名をトリナクリアとし、ストラボンは「シチリアは三角形なので初めトリナクリアと呼ばれ、のちに響きのよいトリナキスに変わった」と書く。つまり実在の地名の方が先にあり、ホメロスの島の名がそれに引き寄せられた可能性が高い。 (『オデュッセイア』12.127、12.135(キルケがトリナキエ島とヘリオスの牛の群れを告げる)を本文で確認。ストラボン 6.2.1 を本文で確認。トゥキュディデス 6.2.2 はシチリアの古名をトリナクリアとする。誰が最初にホメロスの島をシチリアと同定したかは辿れない)
デルポイ
- ストラボンによれば、神託の座は地中深い洞穴で、狭い口から神がかりを起こす息が上ってくる。巫女ピュティアはその上に据えた高い三脚台に上って息を受け、韻文や散文で答えた。散文の答えは神殿付きの詩人が韻文に直した。最初のピュティアはペモノエとされる。 (9.3.5)
- デルポイの人々は神殿の白大理石の「へそ石」(オンパロス)を大地の中心だと言った。ストラボンは、ゼウスが放った二羽の鷲(烏とする説も)が西と東から飛んでここで出会ったという話がピンダロスにあると伝え、へそ石は毛糸の帯で飾られ、二羽の鳥の像が載っていたと記す。 (パウサニアス10.16.3、ストラボン9.3.6)
エンデュミオン
- 墓は二つの土地が名乗った。エリスの人々はオリュンピアの競走路の出発点のそばにエンデュミオンの墓を示し、ミレトス近くのヘラクレイアの人々は、彼がラトモス山に退いたとしてそこに祠を持っていた。ストラボンも、ラトモス山のそばの洞窟にエンデュミオンの墓がある、と記している。 (パウサニアス 5.1.5、6.20.9 / ストラボン 14.1.8)
ヘルマプロディトス
- ストラボンは、ハリカルナッソスのサルマキスの泉が「飲む者を柔弱にする」という、なぜか分からない悪評を持つと記し、柔弱さの原因は水や空気ではなく富と放縦な暮らしだ、と退けている。オウィディウスとほぼ同時代に、泉の悪評そのものは広く知られていたことが分かる。 (14.2.16)
マルシュアス
- オウィディウスによれば、野の神ファウヌスたち、兄弟のサテュロスたち、弟子のオリュンポス、ニンフたち、その山で羊や牛を飼う者たちみなが彼のために泣き、大地が吸い込んだ涙が泉となって湧き出し、プリュギアで最も澄んだ川マルシュアスになった。パウサニアスも、ケライナイのプリュギア人は町を流れる川をかつての笛の名手だと考え、「母神の歌」という笛の曲も彼の作とし、ガリア人の侵入を彼の川の水と笛の音で撃退したと言い伝えている、と記す。 (Met. 6.392-400 / パウサニアス 10.30.9 / ストラボン 12.8.15(アパメイア市中を流れるマルシュアス川))
ミュルミドン人
- ストラボンは、アイギナの人々がミュルミドンと呼ばれたのは、飢饉の際にアイアコスの祈りで蟻が人になったという神話のためではなく、蟻のように土を掘って岩の上に広げ、耕す土地を作り、掘った穴に住んで土をれんがに使わなかったからだ、と合理的に説明する。 (8.6.16)
オリュンピア
- ホメロスはオリュンピアの競技祭に触れていない。『イリアス』でネストルが語る、エリスでの三脚釜を賞品にした戦車競走は、エリスの王アウゲイアスが馬を取り上げた話として出てくるだけで、ストラボンもこれを冠の競技ではないとして、トロイア戦争のころにはオリュンピアの競技は無かったか有名でなかったと論じる。 (『イリアス』11.698-702、ストラボン8.3.30)
プリアポス
- ストラボンは、プリアポスが神とされたのは後の時代の人々によってで、ヘシオドスでさえ彼を知らない、と書く。ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』にも名は出てこない。 (ストラボン13.1.12。ホメロスと『神統記』は英訳全文を Priapus で検索して該当なし(2026年9月))
- ストラボンは、プリアポスが「ディオニュソスとニンフの子」と呼ばれていたことを、ぶどうの豊かな土地の人々がこの神を敬った理由のひとつとして挙げる。 (13.1.12)
- パウサニアスによれば、プリアポスは山羊や羊の放牧地や蜂の群れのいるところで祀られ、ランプサコスではほかのどの神よりも敬われた。ストラボンは、ヘレスポントス沿岸(プロポンティス)の町プリアポスはこの神にちなんで名づけられたとし、その崇拝はコリントス近くのオルネアイから移されたという説も記す。 (パウサニアス9.31.2(ヘリコン山にあったプリアポス像に触れて)、ストラボン13.1.12)
- ディオドロスは、この神をイテュパロス、テュコンと呼ぶ人もいると書く。ストラボンは、プリアポスをアッティカのオルタネ、コニサロス、テュコンといった神々に似ているとする。 (ディオドロス4.6.4、ストラボン13.1.12)
- 関係: child → dionysus (パウサニアス9.31.2、ディオドロス4.6.1(母はアプロディテ)、ストラボン13.1.12(母はニンフ))
レア
- 後代、小アジアの大母神キュベレーと同一視され「神々の母」として崇拝された。ストラボンはプリュギア人が「レアを崇め、神々の母・アグディスティス・大女神と呼ぶ」と書き、バッコス・キュベレー・キュベベ・ディンデュメネといった名は土地の名から作られたものだと説明する。ヘシオドス・ホメロスにはこの同一視は無い。 (10.3.12(プリュギア人はレアを神々の母・アグディスティス・大女神と呼ぶ)、10.3.13(エウリピデスが大母神キュベレーの祭儀をディオニュソスの祭儀と重ねること)、10.3.15(名が土地に由来するとの説明))
サルマキス
- ストラボンは、マウソロスの墓のあるハリカルナッソスに、飲む者を柔弱にするという悪評の泉サルマキスがあると書き、その悪評には根拠がないとする。 (14.2.16)
サテュロス
- ヘシオドスの断片(ストラボンの引用)では、ヘカテロスとポロネウスの娘から生まれた5人の娘から、山のニンフたちと「役立たずで働くに向かないサテュロスの一族」、踊る神々クレテスが出たとされる。サテュロスの最も古い言及の一つ。 (ストラボン10.3.19(ヘシオドス断片、Rzach 198))
- ストラボンは、シレノス、サテュロス、バッカイ、レナイ、テュイアイ、ミマロネス、ナイアス、ニンフ、ティテュロスと呼ばれる者たちを、ディオニュソスに仕える者として並べる。 (10.3.10)
- 関係: companion → dionysus (ストラボン10.3.10 シレノス、サテュロス、バッカイはディオニュソスに仕える。『キュクロプス』1-40、707-709)
トリナキエ島
- シチリアの古い名はトリナクリアだとトゥキュディデスは書いており、この島をシチリアに重ねる見方が古代からある。ただ、誰が最初にホメロスの島とシチリアを同じだと言い出したかは辿れない。 (トゥキュディデス 6.2.2、ストラボン 6.2.1)
オデュッセウスの漂流
- 寄港地は実在の場所なのか。歴史家ポリュビオスは、ホメロスは旅の舞台をシチリアの周辺に置いたと考え、スキュラの描写もスキュライオンの岩の辺りで行われる漁の様子と合うと論じた。トリナキエ島をシチリアの古名トリナクリアと結びつける見方もある。 (ストラボン 1.2.15(ポリュビオスの説として)。トゥキュディデス 6.2.2 はシチリアの古名をトリナクリアとする)
- 反対に、地理学者エラトステネスは「風の袋を縫った靴屋を見つけたら、オデュッセウスがさまよった場所も見つかるだろう」と言ったと伝えられる。詩の地理を現実の地図に当てはめること自体に意味がない、という立場。 (ストラボン 1.2.15。ポリュビオスがこの言い方を批判する文脈で引かれる)