オウィディウスより100年以上前、泉のあるハリカルナッソス(今のボドルム)では、まったく違う姿で語られていた。前2世紀後半の町の誇りを歌う碑文では、ニンフのサルマキスが幼いヘルマプロディトスを育て、彼が結婚という制度を発明し、夫婦を法で結んだ最初の者とされる。泉の水は野蛮な人の心を和らげる、とも言う。両性具有にも、泉が男を弱くすることにも触れていない。
『サルマキス碑文(「ハリカルナッソスの誇り」)』 前2世紀後半

Ἑρμαφρόδιτος神
泉のほとりのヘルマプロディトスと、衣を脱ぐニンフのサルマキス。バルトロメウス・スプランゲルの作。 『ヘルマプロディトスとニンフのサルマキス』 バルトロメウス・スプランゲル 1580〜1582年 ウィーン美術史美術館Public domain
生物学で、一つの体にオスとメスの両方のしくみを持つことを「雌雄同体」という。英語ではこれを「ハーマフロダイト」と呼ぶ。この言葉は、ギリシャ神話のある少年の名前から来ている。伝令の神ヘルメスと、愛の女神アプロディテの息子。両親の名を合わせて名づけられた、ヘルマプロディトスである。
では、ローマの詩人オウィディウスが語る、この少年の身に起きたことをたどってみよう。
少年は、トロイアの近くのイダ山の洞窟で、泉のニンフたちに育てられた。その顔には、父と母どちらの面影もあった。15歳になると、少年は生まれ育った山を離れ、見知らぬ土地をめぐる旅に出た。
小アジア(今のトルコ)の南西の地で、少年は底まで澄みきった泉に出会った。泉のまわりには葦も水草も生えておらず、みずみずしい草に縁取られていた。その泉に住んでいたのが、泉のニンフ、サルマキスだった。彼女は、狩りの女神の仲間たちのように弓や槍を手にすることはなく、泉で体を洗い、髪をくしけずり、水面を鏡にして過ごしていた。
少年を見たとたん、サルマキスは彼を自分のものにしたいと思った。身なりを整えてから近づき、あなたはまるで神のよう、妻がいるならこっそり私と、いないなら私を妻に、と言い寄る。何も知らない少年は頬を赤くし、立ち去らなければ自分が出て行くと言い返した。サルマキスは去るふりをして茂みに隠れ、様子をうかがった。
誰もいないと思った少年は、服を脱いで泉に入った。その瞬間、サルマキスも服を脱ぎ捨てて水に飛び込み、拒む少年にしがみついた。鷲につかまれた蛇が鷲に巻きつくように、蔓が大木にからみつくように。そして祈った。神々よ、この人と私が決して離れることがありませんように。
祈りは聞き届けられた。二人の体は、接ぎ木された枝が一本になるように溶け合った。そこにいたのは、もはや女とも少年とも呼べない、どちらでもなく、どちらでもある一つの姿だった。
男の声を失ったヘルマプロディトスは、両親に願った。この泉に入った男は誰でも、半ば男になって出てくるように。父と母はその願いをかなえ、泉に薬を混ぜた。オウィディウスは、飲む者を柔弱にするという悪い評判を持つサルマキスの泉が、なぜそうなったのかを語る話として、この物語を置いている。
ところが、泉のある町ハリカルナッソスには、まるで違う話が残っていた。
この物語の出典: 『サルマキス碑文(「ハリカルナッソスの誇り」)』、オウィディウス『変身物語』、ストラボン『地理誌』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
オウィディウスより100年以上前、泉のあるハリカルナッソス(今のボドルム)では、まったく違う姿で語られていた。前2世紀後半の町の誇りを歌う碑文では、ニンフのサルマキスが幼いヘルマプロディトスを育て、彼が結婚という制度を発明し、夫婦を法で結んだ最初の者とされる。泉の水は野蛮な人の心を和らげる、とも言う。両性具有にも、泉が男を弱くすることにも触れていない。
『サルマキス碑文(「ハリカルナッソスの誇り」)』 前2世紀後半
ストラボンは、ハリカルナッソスのサルマキスの泉が「飲む者を柔弱にする」という、なぜか分からない悪評を持つと記し、柔弱さの原因は水や空気ではなく富と放縦な暮らしだ、と退けている。オウィディウスとほぼ同時代に、泉の悪評そのものは広く知られていたことが分かる。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
オウィディウスの形: メルクリウスとウェヌスの子で、イダ山のニンフたちに育てられた少年は、15歳で故郷の山を離れ、リュキアからカリアへと知らない土地を旅した。そこで底まで澄んだ泉に出会い、水に入ったところを、泉のニンフのサルマキスに抱きすくめられる。拒み続ける彼にしがみつき、サルマキスが「この人と私が決して引き離されませんように」と祈ると、二人の体は接ぎ木した枝のように一つになり、「女とも少年とも呼べず、どちらでもなく、どちらでもある」姿になった。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
男の声を失ったヘルマプロディトスは、両親に「この泉に入った男は誰でも半ば男になって出てくるように」と願い、父母はそれをかなえて泉に薬を混ぜた。語り手は冒頭で「サルマキスの泉がなぜ悪評を持ち、男を柔弱にするのか、原因は隠れているが力はよく知られている」と話を始めており、泉の評判の由来譚として語られる。少年の名前が初めて出てくるのは、この最後の願いの場面。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
語り手はミニュアスの娘アルキトエ。よく知られた話はやめて「目新しい話で楽しませる」と言ってこの話を選ぶ。ピュラモスとティスベ、クリュティエとレウコトエに続く三つ目の話で、語り終えた姉妹たちはディオニュソスの祭を拒んだ罰でコウモリに変えられる。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
英語 hermaphrodite は14世紀後半から(最初の綴りは harmofroditus)。ラテン語 hermaphroditus、ギリシャ語 hermaphroditos から来ており、「両性の性質を分け持つ者」の意味。中英語では「二つの役職を不当に兼ねる者」という比喩でも使われた。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
サルマキスは狩りをせず、泉で身を洗い髪をくしけずって水を鏡にして過ごしていた。少年を見て身なりを整えてから言い寄り、拒まれると去ったふりをして茂みに隠れ、少年が水に入ると飛び込んで、鷲に掴まれた蛇、大樹にからむ蔦のようにしがみついた。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ヘルマフロダイト(両性具有・雌雄同体) / hermaphrodite英語では14世紀後半から(最初の綴りは harmofroditus)。ラテン語 hermaphroditus、ギリシャ語 hermaphroditos から来ており、ヘルメスとアプロディテの子ヘルマプロディトスの名がそのまま「両性の性質を分け持つ者」の意味になった。オウィディウスでは、ニンフのサルマキスの祈りで彼女と一つの体に溶け合う。形容詞としての用法は1600年頃から。