ギリシャ神話の地図
ゼウス父アポロン双子のきょうだいヘラ天敵アガメムノン怒りの的セレネ月の女神オリオン犠牲者レト母イピゲネイア身代わり
鹿を連れて、矢筒に手を伸ばすアルテミスの大理石像。

アルテミス

Ἄρτεμις神

鹿を連れて、矢筒に手を伸ばすアルテミスの大理石像。 『ヴェルサイユのディアナ』 作者不詳 写真は2021年 ルーヴル美術館(Ma 589)。写真 ShonagonCC0

NASAがいま進めている有人の月探査計画は、「アルテミス計画」という。かつての「アポロ計画」の後を継ぐ計画として、アポロンの双子のきょうだいの名を採ったものだ。

叙事詩『イリアス』には、弓の女神が自分の弓で耳を打たれて泣いている場面がある。

『イリアス』の終盤、神々がギリシャ方とトロイア方に分かれてぶつかり合う場面だ。アルテミスは、海の神ポセイドンとの勝負を避けた兄アポロンを「役立たずの弓を持ち歩いて」となじった。それを聞きつけたのが、ギリシャ方につく神々の女王ヘラである。ゼウスはおまえを女たちに対する獅子にしてくれた、山で獣でも射ていればいいものを、と罵り、左手でアルテミスの両手首をつかむと、右手で肩の弓を取り上げ、笑いながらそれで耳のあたりを打った。矢筒から矢がこぼれ落ちる。アルテミスは、鷹に追われた鳩のように泣きながら逃げ出し、父ゼウスの膝にすがった。ゼウスは娘を抱き寄せ、穏やかに笑って、誰がこんなことをしたのかと尋ねた。

のちの時代の、近寄りがたい純潔の女神とはずいぶん違う姿である。

アルテミスは、ゼウスと女神レトの娘で、アポロンとは双子にあたる。アポロドーロスによれば、レトはデロス島でまずアルテミスを産み、生まれたばかりのその娘の助けを借りて、アポロンを産んだ。

父の膝は、幼いころからアルテミスの居場所だった。前3世紀の詩人が書いた讃歌では、まだ小さな娘のアルテミスがゼウスの膝に座って、次々にねだる。いつまでも処女のままでいさせてください。兄アポロンに負けないくらいたくさんの呼び名をください。弓と矢は一つ目の巨人キュクロプスたちに作ってもらうから、膝までの狩りの衣と、9歳の海のニンフ60人の踊り仲間をください。山は全部ください。町にはめったに下りません、下りるのはお産に苦しむ女に呼ばれたときだけ。母は私を痛みなく産んだから、運命の女神たちは私をお産の助け手に定めたのです、と。そう言って父のひげに触ろうと手を伸ばすが、小さな手は何度伸ばしても届かない。ゼウスは笑ってうなずき、こんな子を産んでくれるなら妻ヘラの嫉妬など気にもならない、と言って、望みをすべてかなえたうえに、アルテミスだけを祀る町を30も与えた。

『ホメロス風讃歌』は、愛と美の女神アプロディテの力が及ばない女神を三人だけ挙げる。知恵の女神アテナ、かまどの女神、そしてアルテミスだ。彼女が好むのは弓と、山での狩り。別の短い讃歌は、その一日を描いている。黄金の弓を引いて風の吹く峰々を駆けると、山の頂が震え、茂みに獣の叫びがこだまする。存分に狩って心が晴れると、女神は弓の弦をゆるめ、兄アポロンの住むデルポイへ向かう。そこで弓と矢を壁に掛け、芸術の女神ムーサたちと優美の女神たちの踊りの先頭に立つ。歌われるのは、母レトがどれほどすぐれた子らを産んだか、という歌だ。

『イリアス』や『オデュッセイア』の世界で、アルテミスの矢は死そのものでもあった。女が長く苦しまずに突然息を引き取ると、「アルテミスのやさしい矢に射られた」と言われる。男の場合はアポロンの矢だ。オデュッセウスが冥界で母に死因を尋ねたときも、真っ先に挙げたのがこの矢だった。

やさしいとは限らない。子だくさんを誇り、女神レトは二人しか産んでいないと言い放った母親ニオベの一家では、アポロンが6人の息子を、アルテミスが6人の娘を射殺した。曙の女神が人間の狩人オリオンを恋人にしたときは、神々がそれを妬み、アルテミスが彼を射殺した。

母の自慢の子どもたちに、アポロンとアルテミスが矢を放つ。
母の自慢の子どもたちに、アポロンとアルテミスが矢を放つ。『ニオベの子らを襲うアポロンとディアナ』 ジャック=ルイ・ダヴィッド 1772年 ダラス美術館Public domain

供え物を忘れられたときの怒りも深い。ギリシャ西部のある王は、収穫の初穂を神々に捧げながら、アルテミスにだけ供えなかった。女神は白い牙の大猪を送り込み、果樹園を荒らさせた。猪を仕留めるために諸国から狩人が集められ、その獲物の頭と皮をめぐって、やがて戦争まで起きる。

トロイア遠征に向かう総大将アガメムノンも、この女神を怒らせた。今は失われた叙事詩『キュプリア』のあらすじによれば、出航を待つ港で鹿を射たアガメムノンは、アルテミスにも勝る腕前だと豪語した。女神は嵐の風を送って艦隊の出航を阻み、予言者は、王の娘イピゲネイアを捧げよと告げる。娘は祭壇に上げられたが、アルテミスはその場で鹿とすり替え、彼女を遠い異国タウロイ人の地へ運んで、不死にしたという。

祭壇の前にうなだれる王の娘。雲の上から、弓を持つ女神が身代わりの鹿を指さしている。
祭壇の前にうなだれる王の娘。雲の上から、弓を持つ女神が身代わりの鹿を指さしている。『イピゲネイアの犠牲』 ピエトロ・テスタ 1640〜1642年ごろ メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)

アルテミスに従う娘たちも、女神の掟の中で生きていた。オウィディウスの『変身物語』では、仲間の娘の一人が、アルテミスに化けたゼウスに近づかれて身ごもり、水浴びの場でそれが露見して一行から追われる。同じ『変身物語』で、狩人アクタイオンは森の泉で女神の水浴びをたまたま目にし、鹿に変えられて、自分の猟犬に食い殺された。

水浴びの場に、狩人が踏み込んでしまう。このあと彼は鹿に変えられる。
水浴びの場に、狩人が踏み込んでしまう。このあと彼は鹿に変えられる。『ディアナとアクタイオン』 ティツィアーノ 1556〜1559年Public domain

月へ向かう計画に名を貸したアルテミスだが、『イリアス』『オデュッセイア』や『神統記』の月は、セレネという別の女神である。アルテミスが月の女神と重ねられていくのは、もっと後のことだった。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』、カリマコス『讃歌』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』

この物語の人々

ローマ以後の語り

水浴を見たアクタイオンを鹿に変え、自分の猟犬に食い殺させる話はオウィディウスで語られる。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

もっと詳しく

ゼウスとレトの娘で、アポロンの双子。アポロドーロスは、レトがデロスでまずアルテミスを産み、その助けを得てアポロンを産んだとする。『アポロン讃歌』は、アルテミスはオルテュギアで、アポロンはデロスで生まれたと歌う。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃、作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

神々の戦いの場面で、ヘラに「厚かましい牝犬」と罵られ、両手首を掴まれて自分の弓で耳を打たれ、矢をこぼしながら泣いて父ゼウスの膝へ逃げる。後代の峻厳な処女神像とはかけ離れた扱い。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

ホメロスでは、女性が苦しまずに突然死ぬことを「アルテミスの柔らかい矢に射られた」と表現する。男性に対するアポロンの矢と対になる定型。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

残り9件を読む

アウリスで艦隊を足止めし、アガメムノンの娘イピゲネイアの犠牲を要求した。『イリアス』にはこの話は無く、失われた叙事詩『キュプリア』の梗概と悲劇に見える。

作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』 前7世紀頃、エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』 前405年(没後上演)

子の多さを誇ったニオベに対し、アポロンが息子たちを、アルテミスが娘たちを射殺した。アキレウスがプリアモスに食事を勧める比喩としてホメロスが語る。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

アプロディテの力が及ばない三女神(アテナ、アルテミス、ヘスティア)の一人。弓と山での狩りを愛し、結婚を望まないと讃歌は言う。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

月の女神としてのアルテミスは後代の同一視で、ホメロス・ヘシオドスの月はセレネという別の神である。同一視をうかがわせる最も古い例はアイスキュロスの断片で、月を「レト(=アルテミスの母)の娘」と呼ぶ。兄ヘリオス=アポロンの同一視と対になって進んだ。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃、Timothy Gantz『Early Greek Myth: A Guide to Literary and Artistic Sources』 1993年、『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年

神々の戦いで、ポセイドンとの戦いを避けた兄アポロンを「風のように役に立たない弓を持つ」となじったことが、ヘラの怒りを招く直接のきっかけになる。ヘラは「ゼウスはおまえを女たちに対する獅子にした」と罵る。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

カリュドン王オイネウスが収穫の初穂を彼女にだけ供えなかったため、白い牙の大猪を送って果樹園を荒らさせた。猪はメレアグロスが諸国の狩人を集めて仕留めたが、女神は頭と皮をめぐる争いを起こさせた。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

曙の女神エオスが人間オリオンを恋人にしたことを神々が妬み、アルテミスがオルテュギアでやさしい矢で射殺した、とカリュプソが語る。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

カリマコスの讃歌では、幼いアルテミスがゼウスの膝の上で、永遠の処女、アポロンに負けない数の呼び名、キュクロプスの作る弓矢、膝丈の狩衣、9歳のオケアノスの娘60人の合唱隊、すべての山を願う。町へ下りるのはお産の女に呼ばれたときだけで、母が痛みなく自分を産んだのでモイライがお産の助け手に定めた、と言う。ゼウスは笑ってすべてを許し、30の町を与えた。

カリマコス『讃歌』 前3世紀前半

『ホメロス風讃歌』第27歌では、山々で狩りを終えたアルテミスが弓をゆるめてデルポイのアポロンの館へ行き、弓矢を掛けてムーサたちとカリスたちの踊りを率いる。一同はレトが産んだ子らをたたえて歌う。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

ほかのつながり(15人)

家族・恋愛

敵対・殺害

  • アドメトス敵対

    1.9.15。婚礼でアルテミスへの犠牲を忘れ、寝室に蛇の群れが現れる

  • アプロディテ敵対

    『アプロディテ讃歌』5.16-20。アプロディテが心を動かせない三女神の一人

  • アドニス殺された側

    3.14.4 冒頭「アルテミスの怒りによって」狩りの最中に猪に突かれて死んだ、という説。直接手を下したのは猪

  • ピュトン殺された側

    2.7.7 アポロンとアルテミスがピュトを殺した、とする

仲間・師弟

  • ダプネ仲間

    15 狩りに生きる娘としてアルテミスに愛され、弓の腕を授かる

  • ヒッポリュトス仲間

    15-19 アルテミスだけを敬い、狩りの伴をする。1420-1430 死後、アルテミスがトロイゼンでの祭祀を約束する

  • ニンフ仲間

    6.102-108 アルテミスとともに野で遊ぶ山のニンフたち

  • シュリンクス仲間

    Met. 1.694-697 オルテュギアの女神(ディアナ)を慕って処女を守り、弓が角か金かの違いがなければディアナと見分けがつかないほどだった

  • プロクリス贈られた側

    7.753-756。オウィディウスでは犬はキュンティア(ディアナ=アルテミス)から授かったもの

  • オリュンポス十二神構成員を持つ集団

    エンニウスの詩句(アプレイウス『ソクラテスの神霊について』2)とリウィウス22.10.9 のローマの十二柱。ギリシャの神に対応させた

出来事・場所・物

今の言葉に残る

アルテミス計画 / Artemis programNASAの現行の有人月探査計画。NASAの説明によれば、アルテミスはギリシャ神話でアポロの双子の姉妹にあたる月の女神で、太陽の神の名を採ったアポロ計画に続いて、宇宙飛行士を再び月へ送る取り組みの名になった。

呼び名の話

この話が出てくる作品

星座になった話

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このページの出典(20件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  4. 前7〜6世紀頃作者不詳『ホメロス風讃歌』
  5. 前7世紀頃作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』
  6. 前5世紀前半(第5歌は前476年)バッキュリデス『祝勝歌・ディテュランボス』
  7. 前428年上演エウリピデス『ヒッポリュトス』
  8. 前414年頃エウリピデス『タウリケのイピゲネイア』
  9. 前405年(没後上演)エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』
  10. 前405年上演エウリピデス『バッコスの信女』
  11. 前3世紀前半カリマコス『讃歌』
  12. 前1世紀パルテニオス『恋の苦しみ(エロティカ・パテマタ)』
  13. 前1世紀末リウィウス『ローマ建国以来の歴史』
  14. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  15. 8年頃(未完)オウィディウス『祭暦』
  16. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  17. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』
  18. 2世紀アプレイウス『ソクラテスの神霊について』
  19. 1993年Timothy Gantz『Early Greek Myth: A Guide to Literary and Artistic Sources』
  20. 第4版 2012年『オックスフォード古典学辞典』