ボイオティアのエウボイア海峡(エウリポス)に面した実在の港。パウサニアスは、ここに白大理石の像を二体(一方は松明を持ち、一方は矢を射る姿)置くアルテミスの神殿があり、ホメロスの歌う鈴懸の木の残りも伝えられていたと記す。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
Αὐλίς場所
トロイアへ攻め込むギリシャの大艦隊は、ある港に集まった。ギリシャ本土と大きな島とを分ける、狭い海峡に面した港アウリス。ここは、出陣の前にあった二つの出来事の舞台として語り継がれている。一つは不思議な前兆、もう一つは一人の娘の犠牲である。
この港で何があったのか、作品ごとに見ていこう。
『イリアス』でアウリスを思い出させるのは、知将オデュッセウスだ。戦争が9年目に入り、兵たちが故郷に帰りたがって浮き足立ったとき、彼は皆の前で語った。つい昨日か一昨日のことのように覚えているだろう。アウリスに船が集まったとき、私たちは泉のそばのきれいな鈴懸の木の下で、神々に生贄を捧げていた。そのとき、背中の赤い恐ろしい大蛇が祭壇の下から這い出し、鈴懸の木に登って、梢の雀の巣の雛8羽と、鳴き叫んで飛び回る母鳥を呑み込んだ。大蛇はそのまま石に変わった。予言者は言った。雛と母鳥は9羽。われわれは9年戦い、10年目にトロイアを落とすだろう。そして、いまその10年目が来ているではないか、と。
『イリアス』がアウリスで語るのは、この前兆だけだ。逆風も、娘を殺す王も出てこない。
今は失われた叙事詩『キュプリア』のあらすじでは、もう一つの出来事が語られる。総大将アガメムノンが鹿を射て、狩りの女神アルテミスにも勝る腕だと豪語した。女神は怒り、嵐の風を送って船出を阻んだ。予言者は、王の娘イピゲネイアを女神に捧げよと告げる。

悲劇作家たちは、このアウリスを待機と決断の港として描いた。アイスキュロスの『アガメムノン』の合唱隊は、風のやんだ港で軍が疲れ、飢えていくさまから、口をふさがれて祭壇に上げられる娘の姿までを一気に歌う。エウリピデスは、劇の全体をこの港に置いた『アウリスのイピゲネイア』を書いている。
アウリスは、実在の港でもある。2世紀の旅行家パウサニアスによれば、港にはアルテミスの神殿があり、白い大理石の女神像が二体、一体は松明を持ち、一体は矢を射る姿で立っていた。ギリシャ軍が娘を捧げようとしたとき、女神が身代わりに鹿を置いた、という話が伝わっていた。神殿には、『イリアス』に出てくるあの鈴懸の木の残りが大事に保存され、その木が生えていた泉と、近くの丘の上にはアガメムノンの天幕の青銅の敷居まで示されたという。
地元にはこんな話もあった。逆風に足止めされていたギリシャ軍に、突然順風が吹いた。兵たちはそれぞれ手元にある獣を、雄も雌も構わずにアルテミスに捧げた。それ以来、アウリスでは、生贄はどんな獣でもよいことになっている、という。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』、アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』、エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』、パウサニアス『ギリシア案内記』
ボイオティアのエウボイア海峡(エウリポス)に面した実在の港。パウサニアスは、ここに白大理石の像を二体(一方は松明を持ち、一方は矢を射る姿)置くアルテミスの神殿があり、ホメロスの歌う鈴懸の木の残りも伝えられていたと記す。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスによれば、アウリスでは逆風に足止めされていたギリシャ軍に突然順風が吹き、各自が手元の獣を雄雌構わずアルテミスに捧げたので、以来アウリスではどんな獣でも生贄にしてよいとされた。泉と、近くの丘のアガメムノンの天幕の青銅の敷居も示されていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
『イリアス』2巻で、オデュッセウスが士気を立て直すためにアウリスでの予兆を思い出させる。犠牲を捧げている最中、蛇が現れて雀の雛8羽と母鳥を呑み、そのまま石に変わった。カルカスはこれを「9年戦い、10年目にトロイアは落ちる」と解いた。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
ホメロスはアウリスに触れながら、イピゲネイアの犠牲には一言も触れない。逆風も、娘を殺す王も出てこない。アウリスでの出来事として語られるのは、蛇と雀の予兆だけである。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『キュプリア』の要約では、アガメムノンが鹿を射て「アルテミスにも勝る」と豪語したために女神が怒り、逆風で船を出させなかった。カルカスが原因を告げ、イピゲネイアの犠牲を命じる。
作者不詳(スタシノスに帰される)『キュプリア』 前7世紀頃
悲劇ではアウリスは待機と決断の場になる。アイスキュロス『アガメムノン』の合唱歌は、風の止んだ港で軍が飢えていく様子から犠牲までを一気に語る。エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』は劇の全体をこの港に据える。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年、エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』 前405年(没後上演)
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