1876年にシュリーマンが城塞内の円形墓域Aを発掘し、黄金の仮面をはじめとする大量の副葬品が出土した。「黄金に富む」というホメロスの添え名が考古学的に裏づけられた形になったが、竪穴墓の年代は前16世紀頃で、伝統的に想定されるトロイア戦争の年代より三、四百年古い。シュリーマンが「アガメムノンの仮面」と呼んだ面も年代が合わない。
『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年
Μυκῆναι場所
青銅器時代のギリシャ本土に栄えた文明を「ミケーネ文明」と呼ぶ。この名前は、一つの都の名から取られている。トロイア戦争の総大将アガメムノンの都、ミュケナイである。
神話の中のこの都と、発掘されたこの都。その二つの姿を、並べてみたい。
旅行家パウサニアスの伝えによれば、町を築いたのは、メドゥサ退治の英雄ペルセウスだった。ペルセウスはこの場所で、剣の鞘の先の飾りが落ちたのを見て、これを町を築けというしるしだと考えたという。別の話では、喉が渇いて地面からきのこを引き抜いたところ、そこから水が湧き出したので、喜んでその地に名をつけたともいう。どちらの話も、ギリシャ語で町の名とよく似た響きの言葉にかけてある。
のちにこの都を治めたのが、アトレウスの一族だった。アトレウスは、黄金の仔羊をめぐって弟と王位を争い、太陽を東に沈ませるゼウスのしるしによって王位を得た。その息子アガメムノンの代に、ミュケナイは頂点を迎える。
『イリアス』は、ミュケナイを「よく築かれた城塞」「黄金に富む」都と呼ぶ。トロイアへ向かうギリシャの船団の中で、アガメムノンは誰よりも多い100隻を、このミュケナイから率いていった。神々の女王ヘラは、自分がいちばん愛する町として、アルゴス、スパルタ、そして道広きミュケナイの三つを挙げている。
だが、この都の王家は血にまみれていた。トロイアから帰ったアガメムノンは、自分の館で、妻と通じていた男に殺された。『オデュッセイア』によれば、その男は7年間ミュケナイを治めたが、8年目に、成長したアガメムノンの息子に討たれた。
パウサニアスが訪れたころ、ミュケナイはすでに廃墟になっていた。それでも城壁の一部と、獅子の像が上に立つ門は残っていた。この城壁は、一つ目の巨人キュクロプスたちが築いたものだと言われていた。廃墟の中には、アトレウスの一族が財宝をしまったという地下の部屋があり、アガメムノンの墓や、彼と一緒に殺された者たちの墓も示された。妻と、その愛人の墓は、城壁から少し離れたところにあった。二人は、城壁の内側に葬られるにはふさわしくないと考えられたのだという。

19世紀、この神話の都が土の中から姿を現した。1876年、ハインリヒ・シュリーマンが城塞の中の円形の墓域を掘ると、黄金の仮面をはじめ、おびただしい黄金の副葬品が出てきた。「黄金に富む」という詩の言葉を裏づけるような発見だった。シュリーマンはその仮面を「アガメムノンの仮面」と呼んだ。ただし、墓の年代は前16世紀ごろで、伝統的に考えられてきたトロイア戦争の時代より三、四百年も古い。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』、『オックスフォード古典学辞典』
1876年にシュリーマンが城塞内の円形墓域Aを発掘し、黄金の仮面をはじめとする大量の副葬品が出土した。「黄金に富む」というホメロスの添え名が考古学的に裏づけられた形になったが、竪穴墓の年代は前16世紀頃で、伝統的に想定されるトロイア戦争の年代より三、四百年古い。シュリーマンが「アガメムノンの仮面」と呼んだ面も年代が合わない。
『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年
青銅器時代のギリシャ本土の文明を「ミケーネ文明」と呼ぶのは、この遺跡の名に由来する。英語 Mycenaean は1590年代から「ミュケナイの」の意で使われていたが、エーゲ海の青銅器文明を指す用法が生まれるのは発掘後の1890年代。神話の都市名が、そのまま一つの時代区分の名前になっている。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
パウサニアスによれば、ペルセウスは剣の鞘の石突き(ミュケス)が落ちた場所を町を築くしるしと見てミュケナイを建てた。別の話では、渇いて地面からきのこ(ミュケス)を引き抜くと水が湧き出したので、その地をミュケナイと名づけたという。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスの時代、ミュケナイには城壁の一部と獅子の立つ門が残り、キュクロプスの作と言われていた。アトレウスとその子らの地下の宝庫、アトレウスの墓、アイギストスに殺された者たちとアガメムノンの墓があり、クリュタイムネストラとアイギストスは城壁から少し離れた場所に葬られていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アガメムノンの都。「よく築かれた城砦ミュケナイ」として船の一覧の筆頭近くに置かれ、100隻という最大の兵力を出す。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
「黄金に富む(ポリュクリュソス)」という添え名を持つ。『イリアス』の中でこの語が付く都市はごく限られている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
ヘラが「私が最も愛する三つの都市」としてアルゴス、スパルタ、道広きミュケナイを挙げる。トロイア滅亡を望む理由の前置きとして語られるこの一節は、ギリシャ側の三大拠点が誰の庇護下にあるかを示している。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
2.4.5「ミュケナイも治めた」
ミケーネ文明(Mycenaean civilization)前16世紀から前12世紀にかけて、ギリシャ本土のミケーネ(ミュケナイ)を中心に栄えた青銅器時代の文明。シュリーマンによって再発見された。名前のもとになったミュケナイは、『イリアス』でギリシャ軍の総大将アガメムノンが治める「黄金に富む」都。この町を開いたのは英雄ペルセウスだとギリシャ人は知っている、とパウサニアスは書き、町の名の由来を二つ伝えている。一つは、ペルセウスの剣の鞘の先の飾り(ミュケス)がそこに落ち、ここに町を築けというしるしと受け取ったから。もう一つは、喉の渇いたペルセウスが地面のキノコ(これもミュケス)を引き抜くと水が湧き出し、喜んでそれを飲んだから、という話である。