最も詳しい語りは『アエネイス』第2巻。ラオコオンの警告と蛇、わざと残されたシノンの偽りの訴え、城壁を壊して馬を引き入れる市民、夜に腹から降りる兵という一連の流れは、この作品で完成した形である。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
δουράτεος ἵππος物品
「トロイの木馬」と聞いて、まず思い浮かぶのはパソコンのウイルスかもしれない。役に立つふりをして入り込み、中から悪さをするプログラムの呼び名だ。英語では1570年代から、「内側に仕掛けられた罠」のたとえとして使われてきた。
もとになったのは、10年続いたトロイア戦争を終わらせた、一頭の巨大な木の馬である。ただし、戦争の物語として有名な『イリアス』には、この木馬は出てこない。いちばん詳しく語ったのは、ずっと後のローマの詩人ウェルギリウスだった。
10年戦っても、ギリシャ軍はトロイアの城壁を破れなかった。そこで彼らは、山のように大きな木の馬を造らせる。考え出したのは知恵者オデュッセウス、組み上げたのは職人で、女神アテナが手を貸した。腹の中の空洞には、くじで選ばれた選りすぐりの兵士たちが潜り込んだ。残りの軍は陣営を焼き払い、船で近くの島の陰に隠れた。
朝になると、浜は空っぽだった。ギリシャ人は帰った。トロイアの人々は喜んで城門を開き、敵の陣の跡を見物に出た。そこに、あの馬が立っていた。
城の中へ運び込もう、という者がいた。海へ投げ込め、火をかけろ、腹に穴を開けて中を調べろ、という者もいた。そこへ神官ラオコオンが城から駆け下りてきて叫ぶ。ギリシャ人がいなくなったと本気で思うのか。あのオデュッセウスがそんな男か。私はギリシャ人が怖い、贈り物を持ってくるときでさえ。ラオコオンは大槍を馬の脇腹に突き立てた。中の空洞がうつろに鳴り、うめくような音を立てた。
ちょうどそのとき、後ろ手に縛られた一人のギリシャ人の若者が引き立てられてくる。若者は涙ながらに語った。自分はオデュッセウスに憎まれ、生贄にされかけて逃げてきた。あの馬は、ギリシャ人が女神アテナの怒りを鎮めるために残していった捧げ物だ。わざとあれほど大きく造ったのは、城門をくぐらせないためだ。もしトロイア人があれを城に入れれば、女神の守りはトロイアのものになる。
そこへ、海の向こうから二匹の大蛇が現れた。蛇はまっすぐラオコオンの二人の息子に巻きつき、助けに来た父もろとも絞め殺した。槍を突き立てた罰だ、と人々は受け取った。

トロイア人は自分たちの手で城壁を切り開き、車輪をつけた馬を綱で引いた。子どもたちや娘たちは歌いながら、綱に触れて喜んだ。馬は城門の敷居で四度つかえ、そのたびに腹の中で武具が鳴った。それでも誰も気づかない。王女カッサンドラが破滅を予言したが、神の呪いで、彼女の言葉を信じる者はいなかった。人々は神殿を祝いの枝で飾った。

夜が来て、町が酒と眠りに沈むと、島の陰の船団が月明かりの中を戻ってくる。あの若者がこっそり馬の腹のかんぬきを外した。綱を伝って兵士たちが降り、見張りを斬り、城門を開いて仲間を迎え入れた。トロイアは、その夜のうちに落ちた。

『オデュッセイア』にも、木馬は短い思い出話として出てくる。スパルタに戻ったヘレネの夫メネラオスが語るところでは、あの夜ヘレネが馬のまわりを三度めぐり、中にいる男たちの妻の声をまねて一人ひとりの名を呼んだ。思わず返事をしかけた者を、オデュッセウスが押さえつけて黙らせたという。
馬の中に何人いたのかは、伝える作品によってまるで違う。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』、ウェルギリウス『アエネイス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
最も詳しい語りは『アエネイス』第2巻。ラオコオンの警告と蛇、わざと残されたシノンの偽りの訴え、城壁を壊して馬を引き入れる市民、夜に腹から降りる兵という一連の流れは、この作品で完成した形である。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
古代から合理化した読みもあった。パウサニアスはアクロポリスの青銅の木馬像に触れ、「エペイオスの作ったものがトロイアの城壁を破るための仕掛けだったことは、プリュギア人をよほどの愚か者と思わないかぎり誰にでも分かる」と書いている。そのうえで、中に勇士たちが隠れていたという言い伝えも像の造りに合う、と付け加える。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
英語 Trojan horse は1570年代から「内部に仕掛けられた罠」の比喩として使われ、コンピュータ用語としては1982年からの用例が記録される。無害を装って持ち込まれ内部から加害するものの名。語源の節も参照。
『オックスフォード英語辞典』 現代、『Merriam-Webster英語辞典』 現代、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
『アエネイス』では、ギリシャ勢は陣を焼いてテネドス島の陰に隠れ、トロイア人は城門を開いて見物に出る。馬を城に入れろ(テュモイテス)、海に捨てるか焼くか腹を探れ(カピュス)と意見が割れるなか、ラオコオンが「贈り物を持ってくるギリシャ人をこそ恐れる」と叫んで槍を突き立てる。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
シノンは、馬はパラディオンを盗んだ罪を償うミネルウァへの捧げ物で、城門を通れないよう巨大に造らせたのはカルカスだ、城内に入ればトロイアが守られると偽った。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
トロイア人は城壁を切り開き、車輪をつけた馬を綱で引き入れた。少年少女が歌いながら綱に触れた。馬は城門の敷居で四度止まり、そのたびに腹の中の武具が鳴った。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
夜、テネドスの船団が月明かりの中を戻り、シノンが閂を外して兵が綱を伝って降り、見張りを殺して城門を開いた。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
『イリアス』に木馬は出てこない。『イリアス』はヘクトルの葬儀で終わっており、落城までは描かれない。「トロイア戦争といえば木馬」という印象は『イリアス』以外の伝承から来ている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『オデュッセイア』には三度現れる。メネラオスがヘレネの振る舞いを語る場面、デモドコスが宮廷で歌う場面、冥界でオデュッセウスがアキレウスにネオプトレモスの勇敢さを伝える場面である。いずれも短い回想で、全体像は語られない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
『オデュッセイア』の逸話が印象的である。ヘレネは木馬の周りを三度回り、中の男たち一人ひとりの妻の声を真似て名を呼んだ。危うく答えそうになった者をオデュッセウスが押さえつけたという。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
造ったのはエペイオスという職人で、アテナ(ミネルウァ)の助言によるとされる。考案したのはオデュッセウスである、と役割を分けて書くのはアポロドーロス。ヒュギヌスは馬に「ギリシャ人がミネルウァに捧げる」という奉納の銘が刻まれていたと伝える。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
中に入った人数は出典によってまちまちで、アポロドーロスは50人とし、注釈は『小イリアス』が3000人、クイントゥスが30人の名を挙げ、ツェツェスは23人としていると伝える。『イリオスの陥落』の要約は「最も優れた者たち」と言うだけで数を挙げない。
アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』 前7世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、クイントゥス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚(ポストホメリカ)』 3〜4世紀
戦争を終わらせた計略
トロイの木馬(マルウェア)無害な顔をして侵入し内部から加害するプログラムの総称。内に隠れた者が中から襲う罠のたとえとしては、すでにローマ時代にラテン語で「トロイアの馬」と言われていた。英語の Trojan horse は1570年代から見え、コンピュータ用語としての用例は1982年から記録される。Trojan は「トロイアの」という意味だが、『オデュッセイア』によれば、木馬を作ったのはギリシャ方のエペイオスで、アテナの助けを借りたという。