ペルシャ軍が聖域を焼いたとき、アテナとポセイドンの争いの証しとされたオリーブの木も焼けたが、翌日に聖域へ上がったアテネ人は、焼け株から一腕ほどの芽が伸びているのを見た。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
Ἀκρόπολις場所
ギリシャと聞いて、白い柱が並ぶパルテノン神殿を思い浮かべる人は多いだろう。その神殿が建っているのが、アテネの町の真ん中にそびえる岩の丘、アクロポリスである。

神話の中でも、ここは特別な丘だった。
2世紀にこの丘に登った旅行家パウサニアスによれば、丘はまわりを切り立った崖と頑丈な城壁に囲まれ、入口はひとつしかなかった。白い大理石の門をくぐった右手には小さな勝利の女神の神殿があり、そこからは海が見えた。伝説によれば、英雄テセウスの父であるアテネの王が身を投げたのは、この場所だったという。

怪物退治のためにクレタ島へ向かう息子と、父は約束を交わしていた。勝って帰るなら、船の帆を白に替える。ところが息子は、帰り道で王女アリアドネを失い、合図を忘れてしまう。丘の上から黒い帆の船を見た父は、息子が死んだと思いこみ、身を投げた。
丘の主は、女神アテナである。パウサニアスは、パルテノン神殿の正面の破風にはアテナの誕生が、裏側の破風にはこの土地をめぐるアテナと海の神ポセイドンの争いが刻まれていたと書いている。神殿の中には、金と象牙でできた女神の像が立っていた。胸には見た者を石に変える怪物メドゥサの顔、片手には勝利の女神の像、もう片方の手には槍。足もとの盾のそばには大きな蛇がいて、パウサニアスはこれを、アテネの伝説の王エリクトニオスだろうと書く。
争いの跡も、丘の上に残っていた。エレクテイオンと呼ばれる建物の中には海の水をたたえた井戸があり、南風が吹くと波の音がした。岩には三叉の矛の跡があった。どちらも、ポセイドンがこの土地を自分のものだと示した証しだと伝えられていた。近くには、アテナが自分の証しとして生やしたオリーブの木が立っていた。

このオリーブには、後日談がある。ペルシャの大軍がアテネに攻め込み、町を焼いたとき、オリーブの木も焼けてしまった。歴史家ヘロドトスによれば、次の日にアテネの人々が聖域に上がってみると、焼け株から一腕ほどの新しい芽が伸びていた。パウサニアスが聞いた話では、焼けたその日のうちに、二腕ほどの高さまで伸びたという。
丘には、ほかにも話が残る。鍛冶の神ヘパイストスの子として大地から生まれた赤子を、アテナは箱に入れ、アテネの王の娘たちに預けて、開けてはならないと言いつけた。ところが姉妹のうち二人が、好奇心から箱を開けてしまう。中の赤子には蛇が巻きついていた。神話集を書いたアポロドーロスによれば、二人は怒ったアテナに狂わされ、アクロポリスから身を投げたともいう。この赤子が、のちのエリクトニオスである。王となった彼は、アクロポリスにアテナの木の像を立て、死後はアテナの聖域に葬られた。
丘の上には、アテナの像がもう一体あった。マラトンに上陸したペルシャ軍から得た戦利品で造られた、青銅のアテナである。パウサニアスによれば、船でアテネへ向かう人には、スニオン岬を過ぎたあたりから、その槍の穂先と兜の飾りが見えたという。海の上からも見える女神の丘。それがアクロポリスだった。
この物語の出典: ヘロドトス『歴史』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
ペルシャ軍が聖域を焼いたとき、アテナとポセイドンの争いの証しとされたオリーブの木も焼けたが、翌日に聖域へ上がったアテネ人は、焼け株から一腕ほどの芽が伸びているのを見た。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
パウサニアスの聞いた話では、オリーブは焼けたその日のうちに二腕ほどの高さまで伸びた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アクロポリスは切り立った崖と強い城壁に囲まれ、入口はひとつだけだった。門は白大理石の屋根を持ち、その右手に翼のない勝利の女神(ニケ)の神殿があって、そこから海が見えた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
伝説では、アイゲウスはこの場所から、黒い帆を張った息子テセウスの船を見て、息子が死んだと思いこみ身を投げた。テセウスは勝って帰るなら白い帆を使うと約束していたが、アリアドネを失ったことで合図を忘れた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パルテノン神殿の正面の破風はアテナの誕生、裏の破風はアテナとポセイドンの土地争いを表していた。神殿の像は金と象牙で造られ、胸には象牙のメドゥサの頭、手には勝利の女神の像と槍、足もとに盾と蛇があった。パウサニアスはこの蛇をエリクトニオスだろうと書き、台座にはパンドラの誕生が浮き彫りにされていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
エレクテイオンの中には海水をたたえた井戸があり、南風が吹くと波の音がした。岩には三叉の矛の跡があり、どちらもポセイドンが土地の所有を主張した証しとして現れたと伝えられた。入口の奥にはポセイドンの祭壇があり、神託に従ってエレクテウスにもそこで犠牲が捧げられた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アテナは赤子のエリクトニオスを箱に入れてケクロプスの娘パンドロソスに預け、開けることを禁じたが、姉妹が好奇心から開け、中の赤子に巻きつく蛇を見た。姉妹は蛇に殺されたとも、アテナの怒りで狂ってアクロポリスから身を投げたともいう。エリクトニオスはのちに王となり、アクロポリスにアテナの木像を立て、アテナの聖域に葬られた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
マラトンに上陸したペルシャ軍からの戦利品の十分の一で造られた青銅のアテナ像があり、ペイディアスの作とされた。船でアテネへ向かう人には、スニオン岬を過ぎると、この像の槍の穂先と兜の飾りが見えたという。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀