アポロドーロスでは、息子エウモルポスを殺されたポセイドンがエレクテウスとその家を滅ぼす。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
Ἐρεχθεύς人間
アテネのアクロポリスの丘には、エレクテイオンと呼ばれる神殿が建っている。2世紀の旅行家パウサニアスが訪れたとき、中には海の神ポセイドンの祭壇があり、神託に従って、ある伝説の王にも犠牲が捧げられていた。建物の奥には海水をたたえた井戸があって、南風が吹くと波の音が響く。岩には三叉の矛の跡が残っていた。この神殿に名を残す王が、エレクテウスである。
アテナイの人々が特別に敬ったこの王が、どんな人物として語られてきたのか、見ていこう。
『イリアス』はアテナイの人々を「心大きいエレクテウスの民」と呼ぶ。エレクテウスは、穀物を実らせる大地から生まれた王で、女神アテナが育て、アテナイの自分の社に住まわせた。アテナイの若者たちは年ごとに、牡牛と牡羊を捧げてこの王を祀った、とある。
歴史家ヘロドトスも、アテナイ人がアテナイ人と呼ばれるようになったのはエレクテウスが王になってからで、それより前は別の名で呼ばれていた、と書く。
後の神話集では、エレクテウスはアテナイの王家の系図の中に置かれる。父の死後、兄弟で役目を分け、エレクテウスが王位を、もう一人の兄弟が女神アテナと海の神ポセイドンの祭司の役を継いだ。エレクテウスには何人もの娘がいた。北風の神にさらわれた娘もいれば、夫との悲しい行き違いで命を落とす娘もいる。
エレクテウスの物語の中心は、アテナイの存亡をかけた戦争である。
隣の町エレウシスとアテナイが戦ったとき、エレウシスの側には、ポセイドンの息子が率いる大軍がついた。どうすれば勝てるのか。エレクテウスが神託に尋ねると、答えは、娘の一人を生贄に捧げれば勝てる、というものだった。エレクテウスは末の娘を殺す。姉たちは、一緒に死のうと誓い合っていたので、自ら命を絶った。
戦いにはアテナイが勝ち、エレクテウスは敵の将であるポセイドンの息子を討ち取る。けれども、それで終わりではなかった。息子を殺されたポセイドンは、エレクテウスとその家を滅ぼしてしまう。ローマ時代の神話集では、エレクテウスはゼウスの雷に打たれて死んだことになっている。
悲劇作家エウリピデスは、この話を悲劇『エレクテウス』に仕立てた。劇はほとんど失われたが、王妃が国のために娘を差し出すよう自ら説く長い台詞だけが残っている。前4世紀の弁論家が、祖国に身を捧げる手本として、法廷でそれをまるごと読み上げたからである。
神殿の岩に残る三叉の矛の跡は、アテナとポセイドンがアテナイの土地を争ったときの証だと伝えられていた。その神殿で、ポセイドンの祭壇に、ポセイドンに滅ぼされた王への犠牲が一緒に捧げられていたのである。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘロドトス『歴史』、エウリピデス『エレクテウス(断片)』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
アポロドーロスでは、息子エウモルポスを殺されたポセイドンがエレクテウスとその家を滅ぼす。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ヒュギヌスでは、犠牲にされる娘はクトニアと名指され、エレクテウスはユピテルの雷に打たれて死ぬ。
ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
後代の系図では、エレクテウスはエリクトニオスの子パンディオンの息子になる。パンディオンの死後、兄弟で役目を分け、エレクテウスが王位を、ブテスがアテナとポセイドンの祭司職を継いだ。妻プラクシテアとの娘にプロクリス、クレウサ、クトニア、オレイテュイアがいる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
エレウシスとの戦いで、ポセイドンの子エウモルポスがエレウシス側についた。勝つには娘の一人を犠牲にせよという神託を受け、エレクテウスは末娘を殺した。姉たちは一緒に死ぬと誓っていたので自ら命を絶った。戦いでエレクテウスはエウモルポスを討つ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パウサニアスによれば、エレクテイオンの中の海水の井戸は、南風が吹くと波の音を立てる。岩には三叉の矛の形があり、ポセイドンが土地を争ったときの証とされる。アテナイの部族の名祖の像の中にもエレクテウスがあり、エレウシス軍を破ってエウモルポスの子イムマラドスを討ったとされる。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
『イリアス』の船の名簿では、アテナイの人々は「心大きいエレクテウスの民」と呼ばれる。エレクテウスは穀物を与える大地が産み、アテナが育ててアテナイの自分の社に住まわせた王で、アテナイの若者たちが毎年、牡牛と牡羊を捧げて祀る、とされる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
エウリピデスの失われた悲劇『エレクテウス』では、王妃プラクシテアが娘を国のために捧げるよう自ら説く。この長台詞は、前330年の弁論家リュクルゴスが、祖国のために身を捧げる手本として法廷でまるごと引用したため残った。
エウリピデス『エレクテウス(断片)』 前420年代後半(前422年頃とする説が多い)
アクロポリスには「エレクテイオン」と呼ばれる建物があり、入口の中にはポセイドンの祭壇があって、神託に従ってエレクテウスにも犠牲を捧げる。建物の中には海水の井戸と、岩に残る三叉の矛の跡があり、ポセイドンが土地を争ったときの証とされた。ヘロドトスも「大地から生まれたエレクテウスの社」に、争いの証のオリーブと海水があると書く。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ヘロドトスによれば、アテナイ人が「アテナイ人」と呼ばれるようになったのはエレクテウスが王になってから。それ以前はケクロプスにちなんでケクロピダイと呼ばれていた。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
エレクテイオン / Erechtheionアテナイのアクロポリスに建つ神殿の名。伝説の王エレクテウスにちなむ。パウサニアスは「エレクテイオンと呼ばれる建物」の中にポセイドンの祭壇があり、神託に従ってエレクテウスにも犠牲を捧げると記す。中には海水の井戸と岩に残る三叉の矛の跡があり、アテナとの土地争いでポセイドンが残した証とされた(1.26.5)。ヘロドトスも同じ場所を「大地から生まれたエレクテウスの社」と呼び、争いの証のオリーブと海水があると書く(8.55)。