ケクロプスの時代、ポセイドンとアテナがこの土地を争った。ポセイドンはアクロポリスの中ほどに三叉の矛を打ちつけて海水の泉を湧かせ、アテナはオリーブを植えた。十二神の審判はアテナの勝ちとし、怒ったポセイドンはトリアシオン平野を海に沈めた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
Ἀθῆναι場所
アテネのアクロポリスの丘にそびえるパルテノン神殿。その西側の破風には、かつて一つの争いの場面が彫られていた、と2世紀の旅行家パウサニアスは記している。女神アテナと海の神ポセイドンが、この土地をめぐって争った場面である。

アテネは、古代にはアテナイと呼ばれた。この町が女神アテナのものになるまでには、ひと悶着あった。
まだアテナイという名がなかったころ、この地を治めていたのは、上半身は人で下半身は蛇という王だった。後の神話集によれば、そのころ神々は、それぞれ自分が祀られる町を持とうと決めた。この土地に最初にやって来たのはポセイドン。アクロポリスの真ん中に三叉の矛を打ちつけ、海水の泉を湧き出させる。続いてアテナが来て、王に見届けさせながらオリーブの木を植えた。
二柱の神の争いを裁いたのは、十二の神々である。先にオリーブを植えたのはアテナだと王が証言し、土地はアテナのものと決まった。女神は町を自分の名にちなんでアテナイと名づける。怒ったポセイドンは、近くの平野を海の水で沈めてしまった。

ローマの詩人オウィディウスの物語でも、この場面が出てくる。機織りの腕を競う娘アラクネとの勝負で、アテナが布に織り出したのが、まさにこの争いだった。十二の神々が並ぶ前で、海の神は岩を打って海の水を湧かせ、女神はオリーブを生やしている。
争いの跡は、ずっとアクロポリスに残っていた。王の名を持つ神殿には、海水をたたえた井戸と、岩に残る三叉の矛の跡と、女神のオリーブの木があった。

歴史家ヘロドトスは、このオリーブにまつわる不思議な話を書き残している。ペルシャ軍がアテナイに攻め込んでアクロポリスを焼いたとき、この聖なるオリーブも焼けてしまった。ところが翌日、アクロポリスに登った人々は、焼けた株から肘ほどの長さの若枝が伸びているのを見たという。
この町の王たちは、土地から生まれたと語られてきた。蛇の体を持つ最初の王に続いて、大地から生まれた王、女神アテナが育てた王。『イリアス』はアテナイの人々を、大地から生まれ女神に育てられた王の名で「エレクテウスの民」と呼び、トロイア戦争には50隻の船を送ったと記す。住民の呼び名も、王の代替わりとともに変わっていった、とヘロドトスは伝える。
のちのアテナイの王には、英雄テセウスの父もいる。夫に裏切られた魔女メデイアが逃げ込んだのも、この王のもとだった。町を流れる小川のほとりでは、王の娘が北風の神にさらわれたという話も伝わる。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、エウリピデス『メデイア』、ヘロドトス『歴史』、プラトン『パイドロス』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
ケクロプスの時代、ポセイドンとアテナがこの土地を争った。ポセイドンはアクロポリスの中ほどに三叉の矛を打ちつけて海水の泉を湧かせ、アテナはオリーブを植えた。十二神の審判はアテナの勝ちとし、怒ったポセイドンはトリアシオン平野を海に沈めた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パルテノン神殿の西の破風(裏側の破風)には、この土地をめぐるポセイドンとアテナの争いが彫られていた、とパウサニアスは記す。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
オウィディウスでは、アラクネとの機織り競争でアテナ(ミネルウァ)が織り出す図柄が、まさにこの争い。十二神が並ぶ前で、ネプトゥヌスが岩を打って海を湧かせ、ミネルウァがオリーブを生やす。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
アポロドーロスによれば、土地がアテナのものとされたのは、先にオリーブを植えたのがアテナだとケクロプスが証言したためで、アテナは町を自分の名にちなんでアテナイと名づけた。オリーブは今もパンドロセイオンに示されている、とも書く。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ヘロドトスによれば、ペルシア軍がアクロポリスを焼いたとき、エレクテウスの社にあった争いの証のオリーブも焼けた。ところが翌日、クセルクセスの命で犠牲を捧げに登った(ペルシア軍に従っていた)アテナイ人は、焼けた株から1ペキュス(肘から指先ほど)の若枝が伸びているのを見た。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
ヘロドトスは住民の呼び名の変遷を、クラナオイ、ケクロピダイ、アテナイ人、イオニア人と並べる。アポロドーロスでは、もとアクテと呼ばれた土地を、ケクロプスが自分の名にちなんでケクロピアと呼んだ。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『イリアス』の船の名簿では、アテナイは「よく建てられた城塞」で、心大きいエレクテウスの民の町。メネステウスが率いて50隻を出す。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『ティマイオス』24e-25c、『クリティアス』108e
6.444-451。ピロメラを迎えにアテナイへ行く
48 アテナイ王の名簿に「デイオンの子ケパロス」が入っている
2.546-556 メネステウスが50隻を率いる
アポロドーロス3.14.1、パウサニアス1.26.5 アクロポリスを打って海水を湧かせる
3.14.1 アテナとポセイドンの争いを裁き、アテナのものとした
アテネ(Athens)ギリシャの首都アテネは、古くはアテナイと呼ばれた。いくつもの地区から成る町だったので、複数形の名になっている。語源辞典によれば、この名は昔から女神アテナにちなむと説明されてきたが、実際には、ギリシャ語より前の言葉の、今は失われた名がもとになっているらしい。女神の名アテナも、ギリシャ語より前の言葉だとみられている。神話の側は、町の名を女神の勝利の話として語る。アポロドーロスによれば、この地をめぐって海の神ポセイドンとアテナが争った。ポセイドンは三叉の矛でアクロポリスを打って海水の泉を湧かせ、アテナはオリーブの木を植えた。神々の裁きで土地はアテナのものと決まり、女神は町に自分の名を付けた。怒ったポセイドンは、近くの平野を海の水で沈めたという。