ギリシャ神話の地図
アテナ勝負の相手ゼウス織り込まれた神エウロペ織り込まれた娘レダ織り込まれた王妃ダナエ織り込まれた娘ポセイドン女神の布の相手ヘカテ薬草の女神ニオベ同郷の王妃
機織りの腕くらべで、アラクネがミネルウァ(アテナ)に挑む場面。ティントレットの作。

アラクネ

Ἀράχνη人間

機織りの腕くらべで、アラクネがミネルウァ(アテナ)に挑む場面。ティントレットの作。 『機織りの腕くらべでミネルウァに挑むアラクネ』 ティントレット 16世紀 ウフィツィ美術館Public domain

クモやサソリ、ダニの仲間を、生物学では「クモ綱」とまとめて呼ぶ。その学名アラクニダは、ギリシャ語で「クモ」を意味する言葉から作られた。そしてギリシャ神話には、まさにその「クモ」という名を持つ娘がいる。女神に機織りの勝負を挑み、クモに変えられたアラクネである。

では、なぜ娘はクモになったのか。ローマの詩人オウィディウスが語る物語をたどってみよう。

アラクネは、今のトルコにあたる小アジアの国、リュディアに住む娘だった。父は羊毛を紫に染める職人で、家柄は低い。けれど機織りの腕前で、その名はリュディア中に知れ渡っていた。近くの山や川に住むニンフたちまでが、仕事を離れて見物に来るほどだった。糸を紡ぐ手つき、布を織る手さばき、そのどれもが見事で、誰もが言った。この娘は、機織りの女神アテナに習ったに違いない。

アラクネは、それが気に入らなかった。私は誰にも習っていない。女神と勝負させてくれればいい。負けたら何をされてもかまわない。

そこへ、白髪の老婆がやって来た。杖をついた老婆は、年寄りの言うことを聞きなさい、人間の中で一番の織り手と呼ばれるのはいい、だが女神には譲って、許しを請いなさい、と忠告した。アラクネは老婆をにらみつけ、言い返す。女神はなぜ自分で来ないのか。なぜ勝負を避けるのか。そのとき老婆が言った。来ていますとも。老婆の姿が消え、女神アテナが現れた。

二人は向かい合って機を据え、織りはじめた。女神が織ったのは、自分がアテナイの町をめぐって海の神ポセイドンと争い、勝った場面だった。まわりには十二の神々が威厳をもって並ぶ。そして布の四隅には、神々に逆らった人間たちがどんな目にあったかを織り込んだ。無言の警告だった。

アラクネが織ったのは、まるで逆のものだった。牡牛に化けて娘をさらうゼウス。白鳥に化けて王妃に近づくゼウス。黄金の雨になって閉じ込められた娘のもとへ降りるゼウス。神々が姿を変えて人間の女たちをだました場面が、次から次へと織り込まれていた。その出来栄えには、女神もあら探しの言いようがなかった。

女神は怒り、神々の罪を描いた布を引き裂いた。そして手にした機織りの道具で、アラクネの額を何度も打った。耐えきれなくなったアラクネは、みずから首に縄をかけた。

ぶら下がった娘を見て、女神は言った。生きなさい。ただし、ぶら下がったままで。この罰は、お前の子孫にもずっと続く。女神が魔術の女神ヘカテの薬草の汁を振りかけると、娘の髪は抜け落ち、鼻も耳も消え、頭は小さく縮んだ。細い指は脚になり、体のほとんどは腹になった。その腹から、アラクネは今も糸を出し、かつての機織りを続けている。

体がクモに変わってしまったアラクネ。
体がクモに変わってしまったアラクネ。『ダンテ『神曲』煉獄篇第12歌の挿絵(アラクネ)』 ギュスターヴ・ドレ(原画)、ジャン・ゴシャール(彫版) 1868年Public domain

この話をまとまった形で伝えているのは、ほぼオウィディウスだけである。

この物語の出典: オウィディウス『変身物語』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

ローマ以後の語り

オウィディウスの形: コロポンの染物師イドモンの娘で、身分は低いが機織りの腕で名を上げ、ニンフたちも見物に来るほどだった。アテナに習ったのだろうと言われるのを嫌い、女神と勝負させろと言い放つ。老婆に化けた女神の忠告も退け、正体を現した女神と織り比べをする。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

二人の布の図柄が対照的に描かれる。女神はアテナイの守護をめぐるネプトゥヌスとの争いで自分が勝つ場面を中央に置き、四隅に神々に逆らった人間の末路を織る。アラクネは神々が人間の女をだました場面を次々に織り、その最初がエウロペをさらう牡牛に化けたユピテル(ゼウス)。レダ、ダナエ、アンティオペなども並ぶ。女神にもあら探しのできない出来だった。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

出来に腹を立てた女神は布を裂き、杼(ひ)でアラクネの額を何度も打つ。アラクネは首を吊るが、女神は「生きよ、ただしぶら下がったまま」と言い、ヘカテの薬草の汁を振りかけてクモに変えた。頭は小さくなり、指は細い脚になり、体のほとんどは腹になって、そこから今も糸を出して昔の機織りを続ける。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

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アラクネの物語をまとまった形で伝える古代の資料は、ほぼオウィディウスに限られる。少し前のウェルギリウスも、戸口に網を張る「ミネルウァに憎まれたクモ」という言い方をしており、クモと女神の対立という発想自体はオウィディウス以前からあったことがうかがえる。

ウェルギリウス『農耕詩』 前29年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃

クモやサソリ、ダニを含む節足動物の「クモ綱(クモガタ類)」の学名 Arachnida、英語の arachnid は、ギリシャ語 ἀράχνη(クモ、クモの巣)から作られた。ラテン語 aranea(クモ)と同系か借用とされ、それ以前の語源は不明。

ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

アテナは杖をついた白髪の老婆に姿を変えて現れ、人間の中で一番と言われるのはよいが女神には譲って許しを請えと忠告する。アラクネが女神はなぜ自分で来ないのかと言い返すと、女神は「来ている」と言って正体を現した。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

今の言葉に残る

クモ綱 Arachnida / アラクニド(arachnid)クモ・サソリ・ダニなどを含む節足動物の分類名 Arachnida と英語 arachnid は、ギリシャ語 ἀράχνη(クモ、クモの巣)のラテン語化形から。英語 arachnid は1854年から、分類名 Arachnida は19世紀初めから使われる(etymonline は1815年とする)。オウィディウスが語る、クモに変えられた娘アラクネの名も、この「クモ」という語そのものである。

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このページの出典(3件)
  1. 前29年頃ウェルギリウス『農耕詩』
  2. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  3. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』