ヘロドトスは、ペルシャ人の言い分として、名も知れぬギリシャ人(おそらくクレタ人)がフェニキアのテュロスに上陸して王女エウロペをさらった、という合理化した話を載せる。イオをさらったフェニキア人への仕返し、という位置づけ。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃

Εὐρώπη人間
牡牛に連れ去られるエウロペ。ティツィアーノの絵。 『エウロペの略奪』 ティツィアーノ 1559〜1562年 イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館Public domain
木星のまわりを回る衛星の一つに、エウロパという星がある。氷に覆われた表面の下に、液体の海が隠れているとみられている星だ。その名は、ゼウスにさらわれたフェニキアの王女エウロペから取られた。「ヨーロッパ」という地名と同じ響きの名前である。

エウロペは、地中海の東の岸、フェニキアの王の娘だった。
ローマの詩人オウィディウスの語るところでは、ゼウスはまず伝令の神ヘルメスに命じて、王の牛の群れを海辺へ追わせた。王女がいつも侍女たちと遊ぶ浜である。そして自分は、雪のように白い一頭の牡牛に姿を変えて、群れの中に紛れ込んだ。
角は小さく、磨いた宝石のように透きとおり、目つきはおだやか。王女ははじめ怖がって近づかなかったが、やがて花を差し出し、牛の胸をなで、角に花輪をかけてやった。牛が砂の上に身を横たえると、とうとうその背に腰を下ろす。
その瞬間、牛は少しずつ波打ち際へ歩き出し、足を水に浸し、そのまま沖へ泳ぎ出した。王女は怯えて片手で角をつかみ、振り返って遠ざかる岸を見つめる。風に衣がはためいていた。
海を渡った先は、クレタ島だった。ゼウスはそこで本当の姿を明かし、王女と結ばれる。生まれた息子の一人が、のちにクレタの王となり、迷宮の怪物で知られるミノス。もう一人は、ミノスとともに死者を裁く者となった。のちにエウロペはクレタの王に嫁ぎ、その王が息子たちを育てた、と後の神話集は伝える。
娘がいなくなったフェニキアでは、父王が息子たちに命じていた。エウロペを見つけるまで帰ってくるな、と。兄たちは母を連れて方々を探し回ったが、妹は見つからない。帰ることもできず、それぞれ行った先に住みついた。
兄の一人は、デルポイの神託にエウロペの行方を尋ねる。答えは、妹のことは気にかけるな、一頭の牝牛のあとをついて行き、牛が疲れて倒れたところに町を建てよ、というものだった。こうして建ったのが、ギリシャの都市テーバイである。妹を探す旅が、一つの町の始まりになった。
大陸の名ヨーロッパが、この王女から来たのかどうかは、古代から疑われていた。歴史家ヘロドトスは首をかしげている。エウロペはアジアの生まれで、フェニキアからクレタへ、クレタから小アジアへ移っただけ。ギリシャ人がいまヨーロッパと呼ぶ土地には来ていない。誰がなぜこの名を付けたのか分からない、と。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘロドトス『歴史』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
ヘロドトスは、ペルシャ人の言い分として、名も知れぬギリシャ人(おそらくクレタ人)がフェニキアのテュロスに上陸して王女エウロペをさらった、という合理化した話を載せる。イオをさらったフェニキア人への仕返し、という位置づけ。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
オウィディウスの形: ユピテル(ゼウス)はメルクリウスに王の牛の群れを海辺へ追わせ、自分は雪のように白い牡牛になって群れに紛れる。花を摘む王女は恐る恐る牛をなで、角に花輪をかけ、ついに背に乗る。牛は少しずつ波打ち際へ進み、そのまま沖へ泳ぎ出す。王女は片手で角をつかみ、振り返って遠ざかる岸を見る。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
木星の衛星エウロパも彼女の名。1610年にガリレオが発見した4つの大きな衛星の一つで、氷の表面の下に液体の海があるとみられている。
アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』 1958年〜(2026年9月閲覧)
エウロペが姿を消すと、父アゲノルは息子たちに、エウロペを見つけるまで帰るなと命じて探しに出す。見つけられなかった兄弟は、それぞれフェニキア、キリキア、トラキアなどに住みついた。のちにクレタ王アステリオスがエウロペを娶り、その子らを育てた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
カドモスがデルポイでエウロペの行方を尋ねると、神はエウロペのことは気にかけず、牝牛に導かれて、牛が疲れて倒れた所に町を建てよと告げた。牛が伏した所が今のテーバイである。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『イリアス』では、ゼウスが過去の恋を並べる中で「名高いポイニクスの娘」として触れられ、ミノスとラダマンテュスを生んだとされるだけ。名前も牡牛の話も出てこない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
父親は出典で割れる。ホメロスではポイニクス(フェニキア人の名祖)の娘。アポロドーロスはアゲノルとテレパッサの娘を本筋とし、「ポイニクスの娘だと言う人もいる」と添える。アゲノルの祖先をたどると、牝牛にされたイオとその子エパポスに行き着く。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
クレタでゼウスとの間にミノス、ラダマンテュス、サルペドンを生んだとアポロドーロスは書く。ただし同時に、ホメロスではサルペドンはゼウスとラオダメイア(ベレロポンテスの娘)の子だと断っており、トロイア戦争で戦うリュキアのサルペドンとの関係は出典によって揺れる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
大陸名ヨーロッパが王女エウロペから来たという説明に、ヘロドトス自身が首をかしげている。この女性はアジア生まれで、フェニキアからクレタ、クレタからリュキアへ行っただけで、ギリシャ人が今ヨーロッパと呼ぶ土地には来ていない、と。名前の由来も誰が付けたのかも分からない、とはっきり書いている。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
ヨーロッパ(Europe)/ エウロパ(木星の衛星)木星の衛星エウロパは、ゼウスにさらわれたフェニキアの王女エウロペの名(NASA)。一方、大陸名ヨーロッパの由来ははっきりしない。語源辞典は、ギリシャ語 eurys(広い)+ ops(顔)とする説、アッカド語 erebu(沈む、日が沈む=西)などセム語系とする説を挙げ、いずれも不確かとし、王女エウロペとの結びつきは「伝統的に」言われてきたものとする。前5世紀のヘロドトスも、エウロペはアジア生まれでヨーロッパには来ていないとして、大陸名がどこから来たかは分からないと書いている(『歴史』4.45.4-5)。
おうし座 / Taurusおうし座(牡牛座)の牡牛の正体は、ゼウスである。オウィディウスの『祭暦』によれば、ゼウスは牡牛に化けて海辺の王女エウロペを背に乗せ、海を渡った。王女は片手でたてがみをつかみ、もう片方の手で風にあおられる衣を押さえていた。向こう岸に着くと、牡牛は角のない神の姿に戻っていた。こうして牡牛は天に上り、王女の名は大地の三分の一に付けられた、と詩は結ぶ。ヨーロッパのことである。同じ詩は、これはエジプトの雌牛だという別の説も書き添えている。ヒュギヌスの『天文譜』も、エウリピデスの説として、エウロペを無事にクレタ島まで運んだ牡牛だとする。英語の Taurus はラテン語で「牡牛」で、ギリシャ語の tauros と同じ根に遡る。牛頭の怪物ミノタウロスの名も、ミノス王の名にこの tauros を合わせたものである。