アイスキュロス『慈しみの女神たち』の冒頭で、デルポイの巫女は神託の座の主を、大地の女神、その娘テミス、ティタンのポイベ、そしてポイベから誕生の贈り物として受けたアポロンの順に挙げ、争いなく受け継がれたと語る。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年
Δελφοί場所
「汝自身を知れ」。古代ギリシャの格言として知られるこの言葉は、もとはある神殿の入口の間に刻まれていた。隣には「度を越すな」の一句もあった。ギリシャの七賢人がここを訪れ、神に捧げた言葉だと伝えられる。その神殿こそ、ギリシャ中にその名を知られた神託所、デルポイのアポロン神殿である。
王も英雄も、迷えばこの神殿に使いを送り、あるいは自ら足を運んで、神の答えを持ち帰った。では、この神託所がどのように生まれ、どんな言葉を告げてきたのか、はじめから順にたどってみよう。
デルポイは、ギリシャ中部にそびえるパルナッソス山のふもとにある。頭上に崖がのしかかり、その下に岩がちの谷が口を開ける土地だ。『ホメロス風讃歌』の一篇『アポロン讃歌』によれば、アポロンはここを見て、人間のための神託所を建てると決めた。ペロポネソス半島からも、海に囲まれた島々からも、人々が問いを携えてやって来る。自分はその者たちに、外れることのない答えを与えよう、と。神みずから土台を敷き、二人の兄弟が石の床を据え、数えきれない人々が石を積んで神殿を組み上げた。

近くの泉には、一匹の雌の大蛇が棲んでいた。人を襲い、羊を襲う、血なまぐさい災いである。アポロンは強い弓でこれを射た。大蛇は森の中をのたうち回り、血を吐いて息絶えた。ここで腐り果てよ、とアポロンは言い放つ。その言葉どおり、骸は太陽の力で腐っていった。この土地の古い名ピュトは「腐る」から来ている、と讃歌は語る。この大蛇は、後の時代にはピュトンの名で呼ばれるようになる。
神殿はできたが、仕える者がいない。アポロンが海を見渡すと、クレタから商いに出た船が見えた。神はイルカの姿で船に飛び乗り、甲板に横たわる。乗組員たちが海へ放り出そうとすると、船をぐらぐらと揺さぶった。怯えた彼らは帆を下ろすこともできない。船は舵も効かないまま風に運ばれ、ペロポネソス半島をぐるりと回って、デルポイの浜に乗り上げた。
アポロンは星のように輝いて船から跳び、神殿の中に炎を燃え上がらせてから、若者の姿で船に戻ってきた。そして名乗る。お前たちはもう故郷には帰らない。ここで私の神殿を守るのだ。イルカの姿で現れたのだから、私を「イルカのアポロン」と呼んで祈れ。葡萄畑にも牧草地にも向かない土地でどう暮らせばいいのか、と彼らが嘆くと、神は笑った。人々が捧げに来る羊だけで、いくらでも食べていける、と。
神託所の始まりには、まったく違う語りもある。アイスキュロスの悲劇『慈しみの女神たち』では、デルポイの巫女が祈りの冒頭で、この座の主の移り変わりを語る。最初の預言者は大地の女神ガイア。次がその娘で掟の女神のテミス。三番目は、やはり大地から生まれたティタンの女神で、この女神が誕生の祝いとしてアポロンに譲った。奪い合いではなく、次々と譲られてきた座だというのだ。2世紀の旅行家パウサニアスが書き留めた話では、大地の女神と海の神ポセイドンがこの神託を分け合っていて、ポセイドンはのちに、自分の取り分をある島と引き換えにアポロンへ渡したという。
パウサニアスは、神殿そのものの移り変わりも伝えている。最初の神殿は、北の谷から運んだ月桂樹の枝で作った小屋だった。二つ目は、蜜蜂が蜜蝋と鳥の羽で作ったもので、アポロンが北の果ての民のもとへ送ってしまった。三つ目は青銅。四つ目になって、ようやく石で建てられた。
神の言葉を人に伝えるのは、ピュティアと呼ばれる巫女である。地理学者ストラボンによれば、神託の座は地の底深くえぐれた洞穴で、狭い口から、人を神がかりにする息が立ちのぼっていた。その口の上に背の高い三脚の台が据えられ、巫女はこれに上って息を受け、詩や散文で答えを告げた。散文の答えは、神殿に仕える詩人たちが詩の形に直したという。

神殿の中には、白い大理石の「へそ石」が置かれていた。デルポイの人々は、ここが大地の真ん中だと言った。ゼウスが放った二羽の鷲が、一羽は西から、一羽は東から飛んできて、ちょうどこの地で出会ったという話も伝わる。
ここで告げられた言葉は、いくつもの物語を動かした。
小アジアの大国リュディアの王は、まずギリシャ各地の神託所を試した。使者を送り出して100日目に、いま王が何をしているかを問わせたのだ。言い当てたのはデルポイの巫女だけだった。甲羅の固い亀が、子羊の肉といっしょに、青銅の鍋で煮えている。王はその日、誰にも見当のつかないことをしようと、亀と子羊を切り刻んで青銅の鍋で煮ていた。すっかり心服した王は莫大な供物を贈り、東の大国ペルシャに攻め込むべきかを尋ねる。攻め込めば大きな帝国を滅ぼすだろう、というのが答えだった。王は攻め込み、滅んだのは自分の国だった。
コリントスの王子として育ったオイディプスは、宴の席で酔った男に「父親の本当の子ではない」と言われ、両親に内緒でデルポイへ向かった。神はその問いには答えなかった。代わりに告げたのは、お前は母と交わり、父を殺す、という恐ろしい言葉だった。彼はコリントスに二度と戻るまいと逃げ出し、その道の途中、三叉路で見知らぬ老人を打ち殺す。それが実の父だった。
狂気にとりつかれてわが子を手にかけ、国を離れた英雄も、これからどこに住むべきかを尋ねにここへ来た。ヘラクレスという名で彼を初めて呼んだのは、このときの巫女である。それまで彼は別の名で呼ばれていた。巫女は、ある王に仕えて課される仕事をやり遂げよ、そうすれば不死になれる、と告げた。のちに「十二の功業」と呼ばれる仕事は、この神託から始まった。
トロイア戦争の総大将アガメムノンの息子も、父の仇として母を殺したあと、ここへ逃げ込んだ。『慈しみの女神たち』の幕が開くと、神殿に入った巫女が、恐ろしさのあまり四つん這いで出てくる。へそ石の上に、血の滴る手に抜き身の剣を握った男が座り、そのまわりで、黒くおぞましい女たちの一団が眠っていた。母の血の仇を追う、復讐の女神たちである。
神殿には、各地の王や町が贈った宝が積み上がっていった。『イリアス』のアキレウスは、命と引き換えにはならないものの例として、岩がちのピュトでアポロンの石の敷居の内に納められた富を挙げている。まだデルポイという名さえ出てこない『イリアス』の中で、この神殿はすでに富の代名詞だった。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』、ヘロドトス『歴史』、ソポクレス『オイディプス王』、ストラボン『地理誌』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
アイスキュロス『慈しみの女神たち』の冒頭で、デルポイの巫女は神託の座の主を、大地の女神、その娘テミス、ティタンのポイベ、そしてポイベから誕生の贈り物として受けたアポロンの順に挙げ、争いなく受け継がれたと語る。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年
アポロドーロスでは、アポロンがデルポイに来たとき神託を告げていたのはテミスで、神託の裂け目に近づくのを妨げた大蛇ピュトンを殺して神託所を手に入れた、と力ずくの継承になっている。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パウサニアスが引く『エウモルピア』という詩では、神託はもとは大地の女神とポセイドンの共有だった。大地の女神の取り分はテミスを経てアポロンに渡り、ポセイドンはトロイゼン沖のカラウレイア島と引き換えに自分の取り分を譲ったという。最初の巫女は山のニンフのダプニスだったともいう。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスが聞いた伝えでは、最初の神殿はテンペの谷の月桂樹の枝で作った小屋、二つ目は蜜蜂が蜜蝋と羽で作ったもので、アポロンが北の果ての民ヒュペルボレオイのもとへ送った。三つ目は青銅、四つ目がトロポニオスとアガメデスの石の神殿で、これは前548年に焼けた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ストラボンによれば、神託の座は地中深い洞穴で、狭い口から神がかりを起こす息が上ってくる。巫女ピュティアはその上に据えた高い三脚台に上って息を受け、韻文や散文で答えた。散文の答えは神殿付きの詩人が韻文に直した。最初のピュティアはペモノエとされる。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
パウサニアスは、羊飼いたちが立ちのぼる気に打たれて予言を始めたという話や、最初の預言者を女のペモノエとする説、北の民の男オレンとする詩を紹介したうえで、伝承に残る預言者は、オレンのほかは女ばかりだと書く。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
デルポイの人々は神殿の白大理石の「へそ石」(オンパロス)を大地の中心だと言った。ストラボンは、ゼウスが放った二羽の鷲(烏とする説も)が西と東から飛んでここで出会ったという話がピンダロスにあると伝え、へそ石は毛糸の帯で飾られ、二羽の鳥の像が載っていたと記す。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
神殿の前室には、七賢人がデルポイを訪れて捧げたとされる格言「汝自身を知れ」「度を越すな」が刻まれていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アポロドーロスによれば、狂気でわが子を殺したヘラクレスがデルポイで住む地を尋ねると、ピュティアが初めて彼を「ヘラクレス」と呼び(それまではアルケイデス)、ティリュンスでエウリュステウスに12年仕えて十の仕事を果たせば不死になると告げた。後にヘラクレスは答えを得られず三脚台を奪おうとし、アポロンと争ってゼウスの雷で引き分けられた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
カドモスは妹エウロペの行方を尋ねにデルポイへ行き、妹のことは気にせず、牛について行って牛が倒れた所に町を建てよと告げられた。これがテーバイ建国につながる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホメロスには「デルポイ」という名は出てこない。『イリアス』『オデュッセイア』では古名の「ピュト」だけが使われ、「岩がちのピュト」「聖なるピュト」と呼ばれる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
『イリアス』でアキレウスは、命と引き換えにならないものの例として、ピュトのアポロンの石の敷居の内に納められた富を挙げる。神殿はすでに富の象徴として扱われている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『オデュッセイア』では、アガメムノンがピュトで石の敷居を越えて神託を求め、最もすぐれたアカイア人たちが言い争うことになると告げられていた。アガメムノンはその言葉が実現したと喜んだ。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
『アポロン讃歌』では、アポロンが雪をいただくパルナッソスのふもと、崖の下の谷を選び、人間のための神託所を開くと宣言する。神が土台を敷き、トロポニオスとアガメデスの兄弟が石の床を据え、人々が神殿を築いた。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
同じ讃歌で、アポロンは泉のそばの雌の大蛇を射殺し、骸が太陽の力で腐ったことから、土地はピュト、神はピュティオスと呼ばれるようになったと説明される。讃歌の大蛇には名がない。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
アポロンはイルカの姿でクレタの商船に乗り移り、船をデルポイの港クリサへ導いて、乗組員を神殿の仕え手にした。イルカの姿にちなんで「デルピニオスのアポロン」として祈るよう命じる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
リュディア王クロイソスは各地の神託所を試し、100日目に王のしていることを当てたデルポイだけを本物と認めた(亀と子羊を青銅の鍋で煮ていた)。ペルシャ攻めを問うと「攻めれば大帝国を滅ぼす」と告げられて攻め、滅んだのは自国だった。ヘロドトスは、どちらの帝国かを問い直さなかった王の落ち度だとする。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
ソポクレス『オイディプス王』で、オイディプスは出生の噂を確かめにデルポイへ行き、問いには答えられず、母と交わり父を殺すと告げられる。コリントスを避けて逃げる途中、デルポイとダウリアからの道が合わさる三叉路で、実の父を殺す。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
『慈しみの女神たち』では、母を殺したオレステスがデルポイの神殿に逃げ込み、へそ石の上に嘆願者として座る。周りでは復讐の女神たちが眠っており、それを見た巫女は恐れて這い出してくる。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年
『アポロン讃歌』282-285 雪をいただくパルナッソスのふもとのクリサ