ティリュンスの遺跡で残っているのは城壁だけで、キュクロプスたちの作とされ、加工しない石で築かれている。どの石もラバ二頭で最も小さいものさえ少しも動かせない大きさで、すき間には小石が詰められて大石を固くつないでいる。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
Τίρυνς場所
ギリシャ人は、自分の国の見事なものより、よその国の見事なものに驚きたがる。2世紀の旅行家パウサニアスは、そう嘆いている。名高い歴史家たちはエジプトのピラミッドをこと細かに書いたのに、ティリュンスの城壁には、ひと言も触れていない。あれも、ピラミッドに劣らず驚くべきものなのに、と。
ティリュンスは、ペロポネソス半島の北東、アルゴスの近くにあった町である。ホメロスの『イリアス』も、この町を「城壁で名高いティリュンス」と呼んでいる。
パウサニアスによれば、町の遺跡で残っているのは城壁だけだった。一つ目の巨人キュクロプスたちの仕事とされ、切り出したままの石を積んである。どの石も大きく、いちばん小さいものでさえ、ラバ二頭がかりでも少しも動かせない。すき間には小石が詰めてあり、大きな石をしっかりつなぎとめているという。

なぜ巨人が城壁を積んだのか。神話集を書いたアポロドーロスによれば、アルゴスの王家に、母の胎内にいるときからけんかをしていた双子の兄弟がいた。大人になると王位をめぐって戦い、そのとき初めて盾が考え出されたという。敗れた弟は国を追われ、遠くリュキアの王のもとへ身を寄せて、王の娘を妻にした。やがてリュキアの兵を率いて戻ってきた弟が住んだのが、キュクロプスたちが城壁を築いてくれたティリュンスだった。兄弟は国を二つに分け、兄がアルゴスを、弟がティリュンスを治めた。
この弟には三人の娘がいた。アポロドーロスによれば、娘たちは年ごろになると正気を失った。酒の神ディオニュソスの祭りを受け入れなかったからとも、女神ヘラの木の像を悪く言ったからともいう。娘たちはアルゴスの地じゅうをさまよい、アルカディアやペロポネソスを越えて、荒れ野を駆けめぐった。
のちにこの町で暮らしたのが、英雄ヘラクレスである。アポロドーロスによれば、女神ヘラに狂わされてわが子を殺してしまったヘラクレスは、デルポイで神託を求めた。巫女は、ティリュンスに住んで、その地の王に十二年仕え、命じられる難業を果たせ、そうすれば不死の者になれると告げた。巨人の積んだ城壁の町は、英雄が罪をつぐなう日々を過ごした町でもあった。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
ティリュンスの遺跡で残っているのは城壁だけで、キュクロプスたちの作とされ、加工しない石で築かれている。どの石もラバ二頭で最も小さいものさえ少しも動かせない大きさで、すき間には小石が詰められて大石を固くつないでいる。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスは、ギリシャ人は外国の驚異に目を奪われがちで、名高い歴史家たちはエジプトのピラミッドを細かく書いたのに、オルコメノスのミニュアスの宝庫とティリュンスの城壁には一言も触れていないが、どちらもピラミッドに劣らず驚くべきものだと書く。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アバスの双子の子アクリシオスとプロイトスは胎内から争い、成長すると王位をめぐって戦い、その戦いで初めて盾が考え出された。敗れたプロイトスはリュキアのイオバテス(一説にアンピアナクス)のもとへ行ってその娘を妻にし、義父がつけたリュキアの軍勢とともに戻って、キュクロプスたちが城壁を築いたティリュンスを占めた。兄弟はアルゴスの地を分け、アクリシオスがアルゴスを、プロイトスがティリュンスを治めた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
プロイトスの娘たちは年ごろになると狂った。ヘシオドスによればディオニュソスの祭儀を受け入れなかったため、アクシラオスによればヘラの木像をけなしたためで、アルゴスの地をさまよい、アルカディアやペロポネソスを越えて荒れ野を駆けた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ヘラに狂わされてわが子を殺したヘラクレスがデルポイで住む所を尋ねると、巫女はティリュンスに住んでエウリュステウスに十二年仕え、課される十の難業を果たせば不死になると告げた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『イリアス』の船の目録では、アルゴスと「城壁で名高いティリュンス」などの兵をディオメデスが率いた。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃