ギリシャ神話の地図
ベレロポン町の英雄アテナ轡の女神シシュポス町を開いた王ポセイドン争った神ヘリオス争った神メデイア悲劇の主イアソン夫アプロディテ岩山の女神

コリントス

Κόρινθος場所

翼のある天馬ペガサスを乗りこなし、怪物キマイラを倒した英雄ベレロポン。その英雄に、みずから馬を馴らし、轡(くつわ)をかけて渡したのは女神アテナだった。コリントスの人々はそう語り、町には「轡をかける女神」アテナの神殿があったと、旅行家パウサニアスは書いている。

コリントスは、ギリシャ本土とペロポネソス半島をつなぐ細い地峡のそばの町。神話の人物が、次々に行き来した町である。

古代コリントスに残るアポロン神殿の柱。背後に岩山がそびえる。
古代コリントスに残るアポロン神殿の柱。背後に岩山がそびえる。『古代コリントスのアポロン神殿』 George E. Koronaios(写真) 2018年撮影CC0

パウサニアスが聞いた話では、この土地をめぐって、海の神ポセイドンと太陽の神ヘリオスが争ったことがある。裁き役を務めたのは、百の腕を持つ巨人だった。巨人は地峡とそのまわりをポセイドンに、町の上にそびえる岩山をヘリオスに与えた。岩山はのちにヘリオスから愛の女神アプロディテへ譲られ、山の上には女神の神殿が建った。

神話集を書いたアポロドーロスによれば、この町を開いたのは、神々さえ欺いたずる賢い男シシュポスだった。天馬の乗り手ベレロポンは、このシシュポスの孫にあたる。

町には、涙からできた泉もあった。パウサニアスによれば、ある女が、狩りの女神アルテミスに誤って殺された息子を嘆き悲しみ、その涙で泉になったという。コリントスの人々は、赤く焼けた青銅をこの泉の水で冷やして鍛えると言っていた。

この町は、魔女メデイアの悲劇の舞台でもある。夫イアソンが、コリントスの王女を新しい妻に迎えようとしたからだ。紀元前5世紀のエウリピデスの悲劇では、メデイアは毒を塗った衣で王女と王を焼き殺し、自分の二人の子まで手にかけて、空へ逃れる。

毒を調合するメデイア。19世紀の絵。
毒を調合するメデイア。19世紀の絵。『メデイア』 フレデリック・サンズ 1868年Public domain

ところが、コリントスには別の話も残っていた。パウサニアスによれば、町には「グラウケの泉」と呼ばれる井戸があり、王女グラウケはメデイアの毒を消そうとして、そこに身を投げたという。そばにはメデイアの子らの墓があった。子らは、王女に贈り物を届けたせいで、コリントスの人々に石で打ち殺されたと伝えられていた。その後、町の赤子たちが次々に死ぬようになり、神託に従って、子らのために毎年ささげ物をすることになった。恐ろしい女の姿をした「恐れ」の像も立てられ、パウサニアスの時代にも残っていたという。

この物語の出典: エウリピデス『メデイア』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』

この物語の人々

こういう風にも語られている

エウリピデスの悲劇では、イアソンに捨てられたメデイアが、毒を塗った衣でコリントスの王女と王を焼き殺し、自分の二人の子を殺して、祖父ヘリオスの車で去る。

エウリピデス『メデイア』 前431年

パウサニアスによれば、コリントスには王女グラウケがメデイアの毒を消そうと身を投げた「グラウケの泉」と、メデイアの子メルメロスとペレスの墓があった。子らはグラウケに贈り物を届けたためにコリントス人に石で打ち殺されたとされ、その祟りで町の赤子が死ぬようになったので、神託に従って年ごとのささげ物が定められ、恐ろしい女の姿の「恐れ」の像が立てられた。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

ローマ以後の語り

コリントスには「轡をかける」アテナの神殿があり、アテナはベレロポンを最も助けた神で、ペガソスをみずから馴らし轡をかけて彼に渡したと伝えられた。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

コリントス人の伝えでは、ポセイドンとヘリオスが土地を争い、ブリアレオスが裁いて、地峡とその周りをポセイドンに、町の上の高地(アクロコリントス)をヘリオスに与えた。アクロコリントスはのちにヘリオスからアプロディテへ譲られた。パウサニアスは、アテナイ人の似た話(アテナとポセイドンの争い)のほうが先だろうと考えている。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

アポロドーロスによれば、シシュポスはエピュラ(いまのコリントス)を建てた。その子グラウコスの子がベレロポンである。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ペイレネは、アルテミスに誤って殺された息子ケンクリアスを嘆く涙で泉になった女だと伝えられ、コリントスの青銅は赤く焼けたときにこの泉の水で鍛えられると言われた。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

今の言葉に残る

コリント式(Corinthian order)古代ギリシャ建築の柱の様式の一つで、アカンサスの葉を飾った華やかな柱頭が目印。ドリス式・イオニア式より後に生まれ、ヘレニズム時代とローマ時代に栄えた。名前は、シシュポスが開きベレロポンが天馬ペガサスを得た町、コリントスから。起こりについては、ローマの建築家ウィトルウィウスが言い伝えを書き残している。コリントスで、嫁ぐ年ごろの娘が病で亡くなった。乳母は娘が好んだ品を籠に集めて墓へ運び、瓦でふたをした。籠の下にあったアカンサスが春に芽を出し、葉が籠を包んで瓦の角で渦を巻いた。その腕と趣味のよさをアテナイ人にたたえられていた職人が通りかかってこれに目を留め、この形を手本に、コリントスのあたりで新しい様式の柱を建てたという。

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このページの出典(3件)
  1. 前431年エウリピデス『メデイア』
  2. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  3. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』