ギリシャ神話の地図
ゼウス弟ポセイドン弟ヘルメス使いハデス敵ペルセポネ娘レア母ヘリオス証人ヘカテ道連れ
ヴェールをかぶって座る、クニドスのデメテル。

デメテル

Δημήτηρ神

ヴェールをかぶって座る、クニドスのデメテル。 『クニドスのデメテル』 作者不詳 前350年ごろ(ヘレニズム期。コモンズの説明による) 写真 Raymond.ellis(2011年)CC0

朝食のシリアルは、英語で cereal と書く。この言葉は、ローマの穀物の女神ケレスの名から来ている。ギリシャでケレスにあたるのが、麦と実りの女神デメテルである。

物語は、野に咲いた一輪の花から始まる。

百の花をつけた、見たこともない水仙だった。

野原で花を摘んでいた少女ペルセポネは、その花に両手を伸ばした。そのとき大地が裂け、黄金の戦車に乗った冥界の王ハデスが躍り出て、泣き叫ぶ少女をさらっていった。水仙は、ハデスのために大地が咲かせた罠だった。仕組んだのは少女の父ゼウスである。母デメテルには、何ひとつ知らされていなかった。

花を摘んでいた娘を、冥界の王が抱え上げてさらっていく。
花を摘んでいた娘を、冥界の王が抱え上げてさらっていく。『プロセルピナの略奪』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1636〜1637年Public domain

デメテルは、ゼウスの姉にあたる。娘の悲鳴は山の頂と海の底に響き、母の耳にも届いた。デメテルは髪の覆いを引き裂き、黒い衣をまとって、鳥のように陸と海を駆けめぐった。9日のあいだ、両手に松明を掲げてさまよい、神々の食べ物も口にせず、体を洗うこともしなかった。

10日目の朝、松明を手にした冥界の女神が、悲鳴を聞いたと告げに来る。二人は、天から地上のすべてを見ている太陽神ヘリオスのもとへ向かった。ヘリオスは真相を明かした。ほかの誰でもない、ゼウスが娘をハデスに与えたのだ、と。ハデスはあなたの弟で、世界の三分の一を治める王なのだから、婿として不足はない。そう言い添えもした。

デメテルの悲しみは、怒りに変わった。神々の集まりにもオリュンポスにも寄りつかず、老婆に姿を変えて人間の町をさまよう。たどり着いたのは、エレウシスの町だった。井戸のそばに座っていると、水汲みに来た王の4人の娘が声をかけ、母の王妃が遅くに授かった男の子の乳母として館に迎え入れた。

館に入ったデメテルは、口もきかず、笑いもしなかった。侍女のひとりが冗談を重ね、ようやく女神の口もとに笑みが戻る。

デメテルは幼い王子を、人間の食べ物で育てなかった。昼は神々の食べ物アンブロシアを塗って息を吹きかけ、夜は薪のように火の中に埋めた。子は神のように育っていく。女神はこの子を、不死で老いない者にするつもりだった。ところがある夜、王妃がこっそり覗き見て悲鳴を上げる。デメテルは子を火から引き出して床に放り、愚かな人間たちよ、と言い放った。これでこの子は死を逃れられなくなった。そして本当の姿を現す。背が伸び、老いが消え、金の髪が肩に広がって、館は稲妻に打たれたように光で満ちた。女神は、自分のための神殿を建てよと命じて去った。

神殿が建つと、デメテルはそこにこもった。そして人類にとって最も恐ろしい1年が来る。大地は種を芽吹かせなかった。牛がいくら鋤を引いても、麦をいくらまいても、何も生えない。このままでは人間は飢えて滅び、神々への供え物も絶える。

ゼウスは虹の女神を使いに送った。デメテルは動かない。神々が次々に贈り物を携えて説得に来ても、娘をこの目で見るまでは、オリュンポスに戻らず、実りも返さないと言い張った。ついにゼウスは、ヘルメスを冥界へ送り、ペルセポネを連れ戻させる。

地の底から上がってくる娘と、付き添うヘルメス。両手に松明を掲げる女神と、杖を持つ女神が迎える。前440年ごろの酒器の絵。
地の底から上がってくる娘と、付き添うヘルメス。両手に松明を掲げる女神と、杖を持つ女神が迎える。前440年ごろの酒器の絵。『テラコッタのベル形クラテル(酒と水を混ぜる器)』 前440年ごろ メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)

ハデスは王の命令に従った。ただ、娘が発つ前に、甘いザクロの実をこっそり食べさせた。

エレウシスの神殿の前で、母と娘は抱き合った。その腕の中で、デメテルは急に不安になって尋ねる。下で何か食べなかったか。もし食べたのなら、あなたは毎年、季節の三分の一を地の底で過ごさなければならない。娘は答えた。ザクロの種を口に入れられ、無理に食べさせられました。

冥界から戻ってきた娘ペルセポネと、迎える母デメテル。
冥界から戻ってきた娘ペルセポネと、迎える母デメテル。『ペルセポネの帰還』 フレデリック・レイトン 1891年Public domain

こうして取り決めができた。ペルセポネは1年の三分の一を冥界で、残りを母と神々のもとで過ごす。春の花が咲くころ、娘は地の底から上がってくる。デメテルは怒りを収め、大地は一面に葉と花をつけた。

去る前に、女神はエレウシスの王たちに自分の祭儀を教えた。それが「エレウシスの秘儀」である。口外は許されない。讃歌が伝えるのは、これを見た者は幸いで、見なかった者は死んだあと同じ幸いにあずかれない、という一言だけだ。

この物語を丸ごと語るのは、ホメロス風讃歌と呼ばれる古い讃歌集の『デメテル讃歌』である。ところが『イリアス』や『オデュッセイア』に、デメテルはほとんど姿を見せない。『イリアス』では、脱穀場で麦ともみ殻を風に選り分ける金髪の女神として、比喩の中に出てくる程度だ。

ただ『オデュッセイア』に一つだけ、短い逸話が残る。女神カリュプソが、神々は女神が人間の男を愛するのを許さない、と嘆く場面で、デメテルの例を挙げるのだ。デメテルは人間の若者に心を許し、三度鋤き返した畑で結ばれた。それを知ったゼウスは、雷でその若者を撃ち殺した。

ギリシャ南部のアルカディア地方には、さらに別の話が伝わっていた。娘を探していたデメテルに、弟の海神ポセイドンが言い寄った。デメテルは牝馬に姿を変えて馬の群れに紛れたが、ポセイドンも牡馬になって見破り、女神は名馬と、名を明かしてはならない娘を産んだという。旅行家パウサニアスが、この地で聞いた話として書き留めている。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

ローマ以後の語り

アルカディアの伝承では、ポセイドンに追われて牝馬に姿を変えたが、牡馬となった彼に捕らえられ、名馬アレイオンと「名を明かせぬ女神」デスポイナを産んだとされる。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

ローマの対応神ケレスの名は英語 cereal(穀物・シリアル)の語源。ラテン語 Cerealis「ケレスの」から。語源の節も参照。

ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

もっと詳しく

ホメロスの叙事詩でのデメテルは、麦を風で選り分ける比喩や「デメテルの穀物」といった表現に現れる程度で、娘の誘拐の物語は語られない。デメテル神話の中心はホメロスの外にある。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

ペルセポネが野で水仙を摘もうとしたとき大地が裂け、ハデスが黄金の車で攫った。仕掛けたのはゼウスとガイアで、デメテルには知らされていない。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

娘を返さないゼウスへの抗議として大地に種を実らせず、「人類が飢えて滅び、神々が供物を失う」ところまで追い込んだ。神を動かしたのは力ではなく、供犠の途絶という脅し。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

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エレウシスで乳母となり、王子デモポオンを夜ごと火に浸して不死の者にしようとしたが、母に見られて中断した。人間が不死になり損ねた話として語られる。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

和解の後、エレウシスの王たちに秘儀を教えた。讃歌は「見た者は幸いであり、見ない者は死後に同じ運びを得ない」と述べ、内容そのものは明かさない。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

カリュプソが「女神が人間の男を愛すると神々は許さない」と抗議する際、デメテルがイアシオンと三度耕した畑で交わり、ゼウスに雷で撃たれたことを挙げる。ホメロスに残る数少ないデメテルの逸話。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

娘の悲鳴を聞いたデメテルは、9日間松明を持って地上をさまよい、飲み食いも沐浴もしなかった。10日目にヘカテが来て、二人でヘリオスのもとへ行く。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

エレウシスの王ケレオスの館で、悲しみから口をきかず笑わなかったデメテルを、侍女イアンベが冗談で笑わせた。デメテルは赤い葡萄酒を断り、大麦と水とミントの飲み物を求めた。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

ハデスはペルセポネを帰す前にザクロの種をこっそり食べさせた。そのため娘は毎年季節の三分の一を冥界で、三分の二を母と神々のもとで過ごす。讃歌は「三分の一」とする。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

ほかのつながり(8人)

家族・恋愛

敵対・殺害

仲間・師弟

出来事・場所・物

今の言葉に残る

シリアル / cereal穀物・穀物加工食品を指す語。ローマの穀物の女神ケレス(デメテルと同一視)に由来するラテン語 Cerealis「ケレスの」から。英語では形容詞が1818年、名詞が1832年、朝食用の加工食品の意は1899年のアメリカ英語から。

セリウム / cerium元素セリウム(記号 Ce)の名は、2段階を経て女神にたどり着く。1801年に最初の小惑星が見つかり、ローマの農業の女神ケレスの名が付いた。ケレスはギリシャのデメテルと同じ女神とされる。その2年後の1803年、ベルセリウスらが新しい物質を見つけ、当時の大発見だったこの小惑星にちなんでセリアと呼んだ。そこから取り出された金属がセリウムで、純粋な形で取り出されたのは1875年。

ミステリー(mystery)英語の mystery は、ギリシャ語の mystērion から来ている。語源辞典によれば、もとは「入信した者だけが知り、行う秘密の儀式や教え」のことで、「入信した者」を指す mystēs、さらに「閉じる」という意味の myein にさかのぼる。閉じるのは、秘密を守る唇とも、入信者しか神聖な儀式を見てはならない目とも考えられている。英語では14世紀前半から使われ、推理小説の意味は1908年から記録がある。古代ギリシャの秘儀の一つに、エレウシスの秘儀がある。『デメテル讃歌』によれば、娘を取り戻した穀物の女神デメテルが、エレウシスの王たちに自分の祭儀を教えた。それは口外が許されないもので、その儀式を見た者は幸いだと讃歌は語っている。

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このページの出典(11件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  4. 前7〜6世紀頃作者不詳『ホメロス風讃歌』
  5. 前3世紀前半カリマコス『讃歌』
  6. 前1世紀末リウィウス『ローマ建国以来の歴史』
  7. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  8. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  9. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』
  10. 2世紀アプレイウス『ソクラテスの神霊について』
  11. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』