ギリシャ神話の地図
ゼウス弟クロノス父ポセイドン求婚者アポロン求婚者アプロディテ及ばぬ相手アテナ同じ誓いアルテミス同じ誓いレア母
頭から衣をかぶって静かに立つヘスティアの像。

ヘスティア

Ἑστία神

頭から衣をかぶって静かに立つヘスティアの像。 『ジュスティニアーニのヘスティア』 作者不詳 2世紀のローマの写し(元は前460年ごろ。コモンズの説明による)Public domain

古代ローマには、聖なる火を絶やさぬよう守り続ける女たちがいた。「ウェスタの巫女」である。英語では16世紀ごろから、身持ちの固い女性を「ウェスタの」という言葉でたとえてきた。

そのウェスタにあたるギリシャの女神がヘスティア。ゼウスのいちばん上の姉なのに、ヘスティアには物語らしい物語がほとんど無い。恋もせず、戦にも出ず、誰とも争わない。そのかわり、どの家の真ん中にもいる。

物語の少ないこの女神が、どう語られてきたのか。わずかな手がかりを拾い集めてみよう。

ヘスティアは炉の女神だ。炉といっても、ただの台所の火ではない。古代ギリシャの家では、家の中心に炉があり、そこで煮炊きをし、暖を取り、神々に供物を捧げた。家族が集まる場所そのものが、この女神だった。

頭から衣をかぶった姿のヘスティア。「ジュスティニアーニのヘスティア」と呼ばれる像で、紀元前460年ごろのギリシャの像をローマ時代に写したもの。
頭から衣をかぶった姿のヘスティア。「ジュスティニアーニのヘスティア」と呼ばれる像で、紀元前460年ごろのギリシャの像をローマ時代に写したもの。『ジュスティニアーニのヘスティア』 作者不詳(ローマ時代の模刻) 2世紀(原作は紀元前460年ごろ) トルローニア美術館(ローマ)。写真はケンブリッジ大学古典考古学博物館Public domain

生まれは、巨神族の王クロノスの最初の子。『神統記』が子どもたちを並べるとき、先頭に来るのはヘスティアで、そのあとにデメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン、ゼウスと続く。父クロノスは、わが子に王座を奪われるのを恐れて、生まれた子を次々と呑み込んだ。古い讃歌の一つは、そのヘスティアを「クロノスが最初に生み、ゼウスの計らいで最も年下にもなった」と呼ぶ。最初に呑まれ、吐き出されるときは最後に出てきたから、と読める。

結婚を申し込んだ神はいた。海の神ポセイドンと、光の神アポロンである。だがヘスティアはどちらも断り、ゼウスの頭に手を触れて、永遠に処女でいると誓った。愛の女神アプロディテの力も、この女神には届かない。アテナ、アルテミスと並んで、アプロディテに心を動かされなかった三女神の一人に数えられる。

ゼウスは、結婚の代わりに彼女へ贈り物をした。家の真ん中の座と、捧げ物のいちばん良い部分。人間が宴を開くときは、甘い葡萄酒を最初と最後に、この女神に注いだ。どんな祭りも、ヘスティアに始まりヘスティアに終わる。

哲学者プラトンは、神々の行列を思い描いたことがある。ゼウスを先頭に、神々が翼のある車で天を巡っていく。そのなか、ヘスティアだけは神々の家に一人残る、と。

英雄たちの叙事詩には、ほとんど姿を見せない。『オデュッセイア』に出てくるのは「オデュッセウスの炉にかけて」という誓いの言葉だけで、神としては登場しない。

ローマに渡ると、この女神はウェスタと呼ばれ、国そのものの炉を守る神になった。冒頭の巫女たちが守っていたのが、その火である。プルタルコスによれば、聖なる火の番を巫女たちに託したのは、伝説の王ヌマだった。はじめは二人、のちに六人。務めは30年で、最初の10年は学び、次の10年は務め、最後の10年は後に続く者に教えたという。

ローマの中心、フォロ・ロマーノに残るウェスタの神殿の跡。
ローマの中心、フォロ・ロマーノに残るウェスタの神殿の跡。『フォロ・ロマーノのウェスタ神殿』 写真: Gary Todd 2019年撮影 ローマ、フォロ・ロマーノPublic domain

ギリシャのヘスティアには、これほど大がかりな神官の仕組みは無かった。そのかわり、どの家の炉にも、どの町の炉にも、この女神がいた。物語を持たない女神は、火のそばで暮らす人々の毎日の中にいたのである。

この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、プラトン『パイドロス』、プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

ローマ以後の語り

ローマのウェスタは国家の炉の火を守る女神で、ウェスタの巫女が火を絶やさぬよう仕えた。プルタルコスによれば、ヌマがまず二人を、のち四人とし、セルウィウスがさらに二人を加えて六人になった。任期は30年で、最初の10年は学び、次の10年は務め、最後の10年は後進に教える。ギリシャのヘスティアには家々や都市の炉の祭祀はあっても、これほど制度化された神官団は無い。語源の節も参照。

プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』 2世紀初頭

もっと詳しく

ヘシオドスはレアの子を「ヘスティア、デメテル、黄金の履のヘラ、ハデス、大地を揺るがす者、賢いゼウス」の順で挙げ、ヘスティアを最初に置く。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

「最も年長であり最も年少でもある」という言い方は『アプロディテ讃歌』の冒頭にある。ヘシオドスは吐き出される順序を書いていないが、讃歌は「クロノスが最初に生み、またゼウスの計らいによって最も年少にも生んだヘスティア」と呼ぶ。最初に呑み込まれ最後に吐き出されたという説明は、この一行を筋立てたものとして読める。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃、作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

『イリアス』『オデュッセイア』に神としてのヘスティアは登場しない。『イリアス』にはこの語自体が一度も出ず、『オデュッセイア』では「オデュッセウスの炉にかけて」という誓いの定型句に4回出るだけで、いずれも神ではなく家の炉を指す。オリュンポス十二神の一柱とされながら、ホメロスの物語世界には場所を持たない。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

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ポセイドンとアポロンに求婚されたが断り、ゼウスの頭に手を触れて永遠に処女であると誓った。その代償にゼウスは、結婚の代わりに家の中央の座と、人間からの最上の供物を与えた。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

「あなたなしに人間は宴を開かず、そこでは最初と最後に、ヘスティアに甘い葡萄酒を注ぐ」と讃歌(第29歌)は言う。あらゆる祭祀はヘスティアに始まりヘスティアに終わる。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

プラトン『パイドロス』では、翼ある車を駆るゼウスを先頭に神々が11の隊に分かれて天を巡るが、ヘスティアだけは神々の家に一人とどまる、と語られる。

プラトン『パイドロス』 前4世紀前半

ほかのつながり(5人)

家族・恋愛

仲間・師弟

出来事・場所・物

今の言葉に残る

小惑星ベスタ(4 Vesta)小惑星帯(メインベルト)で、2番目に重い天体。1807年3月29日、ドイツのブレーメンでオルバースが見つけ、数学者ガウスが、ローマ神話のかまどと家庭の女神ウェスタの名を付けた。アメリカ航空宇宙局(NASA)の探査機ドーンは、2011年7月16日から2012年9月5日までベスタのまわりを回り、そのあと準惑星ケレスへ向かった。ウェスタは、ギリシャのかまどの女神ヘスティアにあたる。

ウェスタの処女 / vestalローマの炉の女神ウェスタに仕え聖火を絶やさぬよう守った巫女。ウェスタはヘスティアと同一視され、語源辞典は、両者の名は「住まう」を意味する同じ印欧語根に遡るのかもしれない、と書く。英語 vestal は15世紀半ばから、1580年代には広く「貞潔な女性」の意で使われる。

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このページの出典(8件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  4. 前7〜6世紀頃作者不詳『ホメロス風讃歌』
  5. 前4世紀前半プラトン『パイドロス』
  6. 前1世紀末リウィウス『ローマ建国以来の歴史』
  7. 2世紀初頭プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』
  8. 2世紀アプレイウス『ソクラテスの神霊について』