ローマのウェスタは国家の炉の火を守る女神で、ウェスタの巫女が火を絶やさぬよう仕えた。プルタルコスによれば、ヌマがまず二人を、のち四人とし、セルウィウスがさらに二人を加えて六人になった。任期は30年で、最初の10年は学び、次の10年は務め、最後の10年は後進に教える。ギリシャのヘスティアには家々や都市の炉の祭祀はあっても、これほど制度化された神官団は無い。語源の節も参照。
プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』 2世紀初頭

Ἑστία神
頭から衣をかぶって静かに立つヘスティアの像。 『ジュスティニアーニのヘスティア』 作者不詳 2世紀のローマの写し(元は前460年ごろ。コモンズの説明による)Public domain
古代ローマには、聖なる火を絶やさぬよう守り続ける女たちがいた。「ウェスタの巫女」である。英語では16世紀ごろから、身持ちの固い女性を「ウェスタの」という言葉でたとえてきた。
そのウェスタにあたるギリシャの女神がヘスティア。ゼウスのいちばん上の姉なのに、ヘスティアには物語らしい物語がほとんど無い。恋もせず、戦にも出ず、誰とも争わない。そのかわり、どの家の真ん中にもいる。
物語の少ないこの女神が、どう語られてきたのか。わずかな手がかりを拾い集めてみよう。
ヘスティアは炉の女神だ。炉といっても、ただの台所の火ではない。古代ギリシャの家では、家の中心に炉があり、そこで煮炊きをし、暖を取り、神々に供物を捧げた。家族が集まる場所そのものが、この女神だった。

生まれは、巨神族の王クロノスの最初の子。『神統記』が子どもたちを並べるとき、先頭に来るのはヘスティアで、そのあとにデメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン、ゼウスと続く。父クロノスは、わが子に王座を奪われるのを恐れて、生まれた子を次々と呑み込んだ。古い讃歌の一つは、そのヘスティアを「クロノスが最初に生み、ゼウスの計らいで最も年下にもなった」と呼ぶ。最初に呑まれ、吐き出されるときは最後に出てきたから、と読める。
結婚を申し込んだ神はいた。海の神ポセイドンと、光の神アポロンである。だがヘスティアはどちらも断り、ゼウスの頭に手を触れて、永遠に処女でいると誓った。愛の女神アプロディテの力も、この女神には届かない。アテナ、アルテミスと並んで、アプロディテに心を動かされなかった三女神の一人に数えられる。
ゼウスは、結婚の代わりに彼女へ贈り物をした。家の真ん中の座と、捧げ物のいちばん良い部分。人間が宴を開くときは、甘い葡萄酒を最初と最後に、この女神に注いだ。どんな祭りも、ヘスティアに始まりヘスティアに終わる。
哲学者プラトンは、神々の行列を思い描いたことがある。ゼウスを先頭に、神々が翼のある車で天を巡っていく。そのなか、ヘスティアだけは神々の家に一人残る、と。
英雄たちの叙事詩には、ほとんど姿を見せない。『オデュッセイア』に出てくるのは「オデュッセウスの炉にかけて」という誓いの言葉だけで、神としては登場しない。
ローマに渡ると、この女神はウェスタと呼ばれ、国そのものの炉を守る神になった。冒頭の巫女たちが守っていたのが、その火である。プルタルコスによれば、聖なる火の番を巫女たちに託したのは、伝説の王ヌマだった。はじめは二人、のちに六人。務めは30年で、最初の10年は学び、次の10年は務め、最後の10年は後に続く者に教えたという。

ギリシャのヘスティアには、これほど大がかりな神官の仕組みは無かった。そのかわり、どの家の炉にも、どの町の炉にも、この女神がいた。物語を持たない女神は、火のそばで暮らす人々の毎日の中にいたのである。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、プラトン『パイドロス』、プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
ローマのウェスタは国家の炉の火を守る女神で、ウェスタの巫女が火を絶やさぬよう仕えた。プルタルコスによれば、ヌマがまず二人を、のち四人とし、セルウィウスがさらに二人を加えて六人になった。任期は30年で、最初の10年は学び、次の10年は務め、最後の10年は後進に教える。ギリシャのヘスティアには家々や都市の炉の祭祀はあっても、これほど制度化された神官団は無い。語源の節も参照。
プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』 2世紀初頭
ヘシオドスはレアの子を「ヘスティア、デメテル、黄金の履のヘラ、ハデス、大地を揺るがす者、賢いゼウス」の順で挙げ、ヘスティアを最初に置く。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
「最も年長であり最も年少でもある」という言い方は『アプロディテ讃歌』の冒頭にある。ヘシオドスは吐き出される順序を書いていないが、讃歌は「クロノスが最初に生み、またゼウスの計らいによって最も年少にも生んだヘスティア」と呼ぶ。最初に呑み込まれ最後に吐き出されたという説明は、この一行を筋立てたものとして読める。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃、作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
『イリアス』『オデュッセイア』に神としてのヘスティアは登場しない。『イリアス』にはこの語自体が一度も出ず、『オデュッセイア』では「オデュッセウスの炉にかけて」という誓いの定型句に4回出るだけで、いずれも神ではなく家の炉を指す。オリュンポス十二神の一柱とされながら、ホメロスの物語世界には場所を持たない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ポセイドンとアポロンに求婚されたが断り、ゼウスの頭に手を触れて永遠に処女であると誓った。その代償にゼウスは、結婚の代わりに家の中央の座と、人間からの最上の供物を与えた。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
「あなたなしに人間は宴を開かず、そこでは最初と最後に、ヘスティアに甘い葡萄酒を注ぐ」と讃歌(第29歌)は言う。あらゆる祭祀はヘスティアに始まりヘスティアに終わる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
プラトン『パイドロス』では、翼ある車を駆るゼウスを先頭に神々が11の隊に分かれて天を巡るが、ヘスティアだけは神々の家に一人とどまる、と語られる。
プラトン『パイドロス』 前4世紀前半
エンニウスの詩句(アプレイウス『ソクラテスの神霊について』2)とリウィウス22.10.9 のローマの十二柱。ギリシャの神に対応させた
『ヘスティア讃歌』29.1-6。神々の館の中心にある炉の座を与えられている
小惑星ベスタ(4 Vesta)小惑星帯(メインベルト)で、2番目に重い天体。1807年3月29日、ドイツのブレーメンでオルバースが見つけ、数学者ガウスが、ローマ神話のかまどと家庭の女神ウェスタの名を付けた。アメリカ航空宇宙局(NASA)の探査機ドーンは、2011年7月16日から2012年9月5日までベスタのまわりを回り、そのあと準惑星ケレスへ向かった。ウェスタは、ギリシャのかまどの女神ヘスティアにあたる。
ウェスタの処女 / vestalローマの炉の女神ウェスタに仕え聖火を絶やさぬよう守った巫女。ウェスタはヘスティアと同一視され、語源辞典は、両者の名は「住まう」を意味する同じ印欧語根に遡るのかもしれない、と書く。英語 vestal は15世紀半ばから、1580年代には広く「貞潔な女性」の意で使われる。