『神統記』で、コイオスとポイベの娘アステリアがペルセスに嫁いでヘカテを産む。ゼウスはヘカテを誰よりも重んじ、大地と海と星空の天に分け前を与えた。戦の勝利、競技、騎兵、漁、家畜の増減まで、望む者には惜しみなく授ける女神として、約40行にわたって讃えられる。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃

Ἑκάτη神
夜の闇にうずくまる、三つの姿のヘカテ。ブレイクの絵。 『ヘカテ』 ウィリアム・ブレイク 1795年Public domain
夜と魔術をつかさどり、三つの顔を持つ女神。のちの時代のヘカテは、そんな姿で語られることが多い。ところが、この女神について書かれたいちばん古い記録を開くと、魔術の話はどこにも出てこない。
古い順に追うと、この女神の姿は少しずつ変わっていく。
最初にまとまった形で登場するのは、ヘシオドスの『神統記』である。そこでは、ヘカテはゼウスより前の古い神々、巨神族の血を引く女神として紹介される。ゼウスが古い神々を倒して天下を取ったあとも、彼女だけはそれまでの取り分を奪われなかった。それどころか、ゼウスは誰よりも彼女を重んじ、大地と海と星空のすべてに分け前を与えたという。
『神統記』は、この女神を言葉を尽くして讃えている。戦で勝たせたいと思う者には勝利を、競技の選手には栄冠を、騎兵にも、漁師にも、望む者には惜しみなく恵みを授ける。牛や山羊や羊の群れを、少ない数から増やすことも、多い数を減らすこともできる。母のたった一人の子でありながら、神々の中でとりわけ重んじられた女神。そして、ゼウスから若者たちを育てる役目を与えられていた。
次に姿を見せるのは、『デメテル讃歌』だ。冥界の王ハデスが、穀物の女神デメテルの娘ペルセポネをさらっていったとき、娘の叫び声を聞いたのは、洞窟の中にいたヘカテと、太陽の神ヘリオスだけだった。娘を探して9日間さまよったデメテルのもとに、10日目の朝、松明を手にしたヘカテがやって来る。声は聞いたが、姿は見なかった。二人の女神は連れ立って、すべてを見ている太陽の神のもとへ向かった。
やがてペルセポネが冥界から母のもとへ戻ってくると、ヘカテは彼女を何度も抱きしめた。それからずっと、ヘカテはペルセポネに付き従う伴侶になったという。冥界と地上を行き来する女神、という後のヘカテの姿の芽は、ここにある。

魔術の女神としてのヘカテがはっきり現れるのは、ずっと後、前3世紀のことだ。詩人アポロニオスが金の羊毛の冒険を描いた叙事詩では、コルキスの王女メデイアはヘカテの神殿に仕える巫女で、薬草の扱いを女神から教わっている。英雄イアソンは、火を吐く牛との試練に挑む前夜、メデイアに言われたとおり、ひとり夜の闇の中でヘカテをなだめる儀式を行った。
三つの顔を持つ姿も、最初からあったわけではない。2世紀の旅行家パウサニアスは、ある島のヘカテ像は顔も体も一つだが、三体の像を背中合わせにつないだ姿を最初に作ったのは、アテナイのある彫刻家だろうと書いている。

気前のよい万能の女神から、夜と魔術の女神へ。ヘカテは、時代とともにいちばん大きく姿を変えた神の一人である。
この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』、パウサニアス『ギリシア案内記』
『神統記』で、コイオスとポイベの娘アステリアがペルセスに嫁いでヘカテを産む。ゼウスはヘカテを誰よりも重んじ、大地と海と星空の天に分け前を与えた。戦の勝利、競技、騎兵、漁、家畜の増減まで、望む者には惜しみなく授ける女神として、約40行にわたって讃えられる。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
パウサニアスによれば、ヘシオドスの『女たちのカタログ』は、イピゲネイアは死なずにアルテミスの意志でヘカテになった、と語っていた。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パウサニアスは、アイギナのヘカテ像はミュロン作で顔も体も一つだが、三つの像を背中合わせにつなげた姿で最初に作ったのはアルカメネスだと考えている。アテナイのアクロポリスの「翼のない勝利の女神」の神殿の脇にあるものがそれだという。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ヘシオドスは、ヘカテは母のただ一人の子だが、それでかえって少なからぬ誉れを受けている、と繰り返し、ゼウスが彼女を「若者の養い手」にしたと結ぶ。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
『デメテル讃歌』では、ペルセポネが連れ去られるときの叫びを洞窟の中で聞いたのは、ペルセスの娘ヘカテとヘリオスだけだった。十日目の朝、ヘカテは松明を手にデメテルに会い、声は聞いたが姿は見なかったと告げ、ともにヘリオスのもとへ行く。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
ペルセポネが冥界から戻ると、ヘカテは彼女を何度も抱きしめ、それ以来ペルセポネの従者であり伴侶となった。冥界と行き来する女神としてのヘカテの原型がここにある。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
アポロニオス『アルゴナウティカ』では、メデイアはヘカテの神殿の巫女で、ヘカテから薬草の扱いを教わっている。イアソンは夜にペルセスの一人娘ヘカテを宥める儀式をしてから試練に挑む。魔術の女神としてのヘカテ像はこのヘレニズム期の叙事詩にはっきり現れる。
アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀
ホメロスの二つの叙事詩にヘカテは登場しない。まとまった記述はヘシオドスとホメロス風讃歌から始まる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃