ピンダロスでは、イアソン自身が「策によって」目の青い、背のまだらな蛇を殺して金羊毛を得る。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
χρύσειον κῶας物品
エーゲ海とマルマラ海を結ぶ細い海峡は、古くヘレスポントスと呼ばれた。「ヘレの海」という意味である。ヘレとは、空飛ぶ金色の羊の背から落ちて、この海で溺れた少女の名だ。その羊の毛皮こそ、英雄イアソンが命がけで取りに行った金の羊毛である。
金の羊毛の話は、ある王家の継母のたくらみから始まる。
ギリシャ中部のある国の王には、先妻とのあいだに兄と妹、二人の子がいた。後妻は、この継子たちを亡き者にしようと企む。国じゅうの女たちを言いくるめて、男たちに内緒で種麦を炒らせたのだ。炒った種をまいても芽は出ない。不作に困った王がデルポイへ使いを送ると、後妻は使者を抱き込み、偽りの神託を持ち帰らせた。息子をゼウスの生贄にすれば、不作は終わる。
民に迫られた王は、息子を祭壇へ連れて行った。そのとき、子どもたちの実の母が二人をさらい、金色の毛の雄羊に乗せた。伝令神ヘルメスから授かった羊である。羊は二人を乗せて空を飛び、陸と海を越えていった。ところが海峡の上で、妹のヘレが羊の背からすべり落ちて溺れてしまう。海峡がヘレの海と呼ばれるようになったのは、このためだ。

兄は黒海の東の果ての国にたどり着いた。王は太陽神ヘリオスの息子で、魔女キルケの兄弟にあたる。王は少年を迎え入れ、娘のひとりを妻に与えた。少年は、命を救ってくれた雄羊を逃走の守り神としてのゼウスに捧げ、その金の毛皮を王に贈った。王は毛皮を軍神アレスの森の樫の木に打ちつけ、眠ることのない竜に守らせた。
それから一世代のち、この毛皮を求めて、ギリシャからイアソンが船でやって来る。きっかけは、故郷の王が受けた神託だった。片方だけサンダルを履いた男に気をつけよ。ある日、川を渡るときにサンダルを片方流されたイアソンが、王の前に現れる。王は尋ねた。もしお前が王で、国の者に殺されると神託で告げられたら、どうする。イアソンは答えた。金の羊毛を取りに行かせます。王はその言葉どおりに、彼を送り出した。旅のための船アルゴ号を造ったのは、あの羊に乗って逃げてきた少年の息子だった。
羊毛を渡すのを渋った王に、イアソンは火を吐く牛に軛をかけるという難題を課された。これを切り抜けさせたのは、恋に落ちた王女メデイアの魔術だった。最後に羊毛の番をする竜を眠らせたのも、メデイアの薬である。夜のうちに羊毛は船へ運ばれた。ただ、詩人ピンダロスの伝えでは、イアソン自身が知恵を使って竜を殺したことになっている。
羊毛を手に帰国したイアソンは、それを故郷の王に渡した。だが、その王はイアソンの両親を死に追いやっていた。羊毛の旅の終わりは、新しい復讐の始まりでもあった。
この物語の出典: ピンダロス『祝勝歌集』、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』
ピンダロスでは、イアソン自身が「策によって」目の青い、背のまだらな蛇を殺して金羊毛を得る。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
アポロニオスとアポロドーロスでは、竜を眠らせるのはメデイアの薬と呪文。竜は殺されず、夜のうちに金羊毛が持ち出される。
アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ボイオティア王アタマスの後妻イノは、先妻の子プリクソスとヘレを亡き者にしようと、種麦を炒らせて不作を起こし、偽の神託で「プリクソスを生贄に」と言わせた。実の母ネペレはヘルメスから授かった金毛の雄羊に二人を乗せて逃がし、途中で海に落ちたヘレの名から、その海峡はヘレスポントス(ヘレの海)と呼ばれた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
コルキスに着いたプリクソスは雄羊を逃走の神ゼウスに捧げ、毛皮を王アイエテスに贈った。アイエテスはそれをアレスの森の樫の木に打ちつけ、眠らない竜に守らせた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アルゴ船を造ったアルゴスは、プリクソスがアイエテスの娘カルキオペとの間にもうけた子とされる。金羊毛を運んできた少年の息子が、それを取り戻しに行く船を造ったことになる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
帰国したイアソンは金羊毛をペリアスに渡したが、両親を死に追いやられた恨みを晴らす機会をうかがった。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
イノは女たちを説いて男たちに知られずに種麦を炒らせ、まいても実らない不作を起こした。アタマスがデルポイに使いを送ると、使者を言いくるめて「プリクソスをゼウスに捧げれば不作が止む」と偽らせた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
イオルコス王ペリアスは「片方のサンダルの男に気をつけよ」という神託を受けていた。川で片方のサンダルを失って現れたイアソンに、市民の一人に殺されると神託を受けたらどうするかと尋ねると、イアソンは「金羊毛を取りに行かせる」と答え、ペリアスはそのとおりに彼を送り出した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アイエテスは太陽神の子で、キルケとパシパエ(ミノスの妃)のきょうだいでもある。つまりメデイアは、オデュッセウスを引き留めたキルケの姪であり、ミノタウロスの母パシパエの姪、アリアドネの従姉妹にあたる。金羊毛をめぐる家系は、クレタの迷宮の家系と一本につながっている。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロス1.9.1 プリクソスから贈られ、アレスの森の樫に打ちつける。ヒュギヌス22 羊毛がアレスの社にあるかぎり王国を保つというお告げ
1.9.1 アレスの森の樫の木
おひつじ座 / Aries星占いでおなじみのおひつじ座(牡羊座)の羊は、ただの羊ではない。ローマ時代の星座の本、ヒュギヌスの『天文譜』によれば、命をねらわれた兄妹を背に乗せて空を逃げた、金の毛皮の雄羊である。妹は途中で海に落ちて死に、その海峡は彼女の名からヘレスポントスと呼ばれるようになった。兄はコルキスにたどり着き、羊をゼウスに捧げ、金の毛皮を神殿に掛けた。のちにイアソンとアルゴ船の英雄たちが取りに行く金羊毛が、これである。羊の姿は、兄妹の母が星のあいだに置いたという。星の本はもう一つ別の伝えも書き留めている。羊は自分で金の毛皮を脱いで少年に形見として渡し、自分だけが星になった。だからこの星座は暗く見えるのだ、と。英語の Aries はラテン語で「雄羊」の意味で、星座の名としては古英語の終わりごろから使われている。