ギリシャ神話の地図
アポロン名目上の父ハデス冥界の王ペルセポネ冥界の妃シシュポス聴き入った罪人イアソン仲間アルゴナウタイの遠征加わった遠征セイレーン打ち消した相手カロン渡し守
竪琴を弾くオルペウスと、聞き入る動物たち。ローマ時代のモザイク。

オルペウス

Ὀρφεύς英雄

竪琴を弾くオルペウスと、聞き入る動物たち。ローマ時代のモザイク。 『動物たちに囲まれたオルペウス』 作者不詳(ローマ時代の床のモザイク) 写真は2006年 パレルモ州立考古学博物館。写真 Giovanni Dall'OrtoPublic domain

運動会の徒競走でおなじみの、あの軽快な曲。オッフェンバックの『天国と地獄』は、もとの題を『地獄のオルフェ』という。オルフェとは、ギリシャ神話の歌い手オルペウスのフランス語読みだ。亡くした妻を取り戻すために生きたまま冥界へ下ったこの男の物語は、オペラや映画に何度も描き直されてきた。

オルペウスは、ギリシャの北、トラキアの生まれである。母は芸術の女神ムーサの一人で、父はトラキアの王とも、名目上は音楽の神アポロンだったともいわれる。竪琴を弾いて歌えば、獣も木々も、岩までもが後をついてきた。

英雄イアソンが金の羊毛を求めてアルゴ号の旅に出たとき、オルペウスも仲間に加わった。美しい歌声で船乗りを誘い寄せて命を奪う海の魔物セイレーンの島のそばを通ったとき、オルペウスは竪琴をかき鳴らして歌を打ち消し、仲間たちを救った。

オルペウスの妻は、エウリュディケといった。ローマの詩人オウィディウスによれば、婚礼の日から不吉だった。結婚の神の松明はくすぶって煙ばかり上げ、火がつかなかった。花嫁は川のニンフたちと草原を歩いているとき、毒蛇にくるぶしを噛まれて死んだ。

嘆き悲しんだオルペウスは、生きたまま冥界へ下っていく決心をした。亡霊たちのあいだを抜けて、冥界の王ハデスと妃ペルセポネの前に進み出ると、竪琴を弾いて歌った。妻の命の糸を、もう一度つないでほしい。いずれ妻も寿命を終えてここへ来る。それまでの短い日々を貸してほしいだけだ。かなわないなら、自分も帰らない。

冥界の王と妃の前に立つオルペウスと妻エウリュディケ。右下の暗がりに、番犬がうずくまる。
冥界の王と妃の前に立つオルペウスと妻エウリュディケ。右下の暗がりに、番犬がうずくまる。『冥界の王と妃の前のオルペウスとエウリュディケ』 ピーテル・パウル・ルーベンス 1636年 チューリッヒ美術館Public domain

歌が響くと、血の気のない亡霊たちが泣いた。永遠に罰を受け続けている者たちも、手を止めた。逃げていく水を追い続ける罪人は水を追うのをやめ、岩を押し続けるシシュポスは岩に腰を下ろした。復讐の女神たちの頬が涙で濡れたのは、このときが最初で最後だったという。

冥界の王と妃は、願いを聞き入れた。ただし条件が一つある。地上に出るまで、決して後ろを振り返ってはならない。

竪琴を掲げ、妻を連れて冥界からの道を行くオルペウス。
竪琴を掲げ、妻を連れて冥界からの道を行くオルペウス。『冥界からエウリュディケを連れ出すオルペウス』 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1861年 ヒューストン美術館Public domain

二人は、暗く険しい上り坂を黙って歩いた。地上まであと少しというところで、オルペウスは不安になった。妻はちゃんとついてきているか。もう一度その姿が見たい。彼は振り返った。その瞬間、妻は後ろへ引き戻されていった。抱きとめようと伸ばした腕は、空をつかむばかりだった。二度目の死を迎える妻は、夫を責めなかった。愛されたこと以外に、何を責めることがあるだろう。かすかに「さようなら」と言い残して、妻は冥界へ消えた。

オルペウスはもう一度川を渡らせてくれと渡し守に頼んだが、拒まれた。7日のあいだ、食べ物も口にせず川岸に座り込んで、冥界の神々の無情を嘆き続けた。

最期は、むごいものだった。妻を失ってから女を寄せつけなくなったオルペウスに、トラキアの女たちが怒りを燃やした。酒の神ディオニュソスを祭って狂乱した女たちは、槍や石を投げつけた。はじめのうちは、歌と竪琴の響きに力を奪われた石が、許しを請うように足もとに落ちたという。だが笛や太鼓や叫び声が歌をかき消すと、女たちはオルペウスに襲いかかり、体を八つ裂きにした。

首と竪琴は川に落ち、流れていった。竪琴は悲しげな音を鳴らし、命を失った舌は嘆きの声をつぶやき、川岸がそれに答えた。首と竪琴は海を渡り、レスボス島の浜に流れ着いた。

竪琴とともに流れていったオルペウスの首。
竪琴とともに流れていったオルペウスの首。『オルペウスの首を見つけるニンフたち』 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 1900年Public domain

オルペウスの霊は、ふたたび冥界へ下りていった。そして祝福された者たちの野でエウリュディケを見つけ、腕に抱いた。今は二人で並んで歩き、ときには妻が先を、ときには夫が先を行く。オルペウスは、もう安心して妻を振り返ることができる。

ただし、ローマの詩人たちより前には、少し違う話が伝わっていた。

この物語の出典: アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』、ウェルギリウス『農耕詩』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ジャック・オッフェンバック作曲『天国と地獄(地獄のオルフェ)』

この物語の人々

こういう風にも語られている

前438年のエウリピデス『アルケスティス』で、妻を失うアドメトスは「もしオルペウスの声と歌があれば、ペルセポネかその夫を歌で魅了して、あなたを冥界から連れ戻すのに」と嘆く。振り返って失敗する話には触れていない。

エウリピデス『アルケスティス』 前438年上演

プラトン『饗宴』では、神々はオルペウスに妻の幻だけを見せて本人は返さず、手ぶらで送り返したとされる。愛のために死ぬ覚悟がなく、生きたまま冥界に入る手を使った臆病者と見なされたからで、最後は女たちの手で殺される。ここにも「振り返る」話は出てこない。

プラトン『饗宴』 前4世紀前半

ウェルギリウスとオウィディウスの形: 冥界の王と妃は歌に動かされ、「地上に出るまで振り返らない」という条件で妻を返す。出口の手前でオルペウスは振り返り、エウリュディケは再び冥界へ引き戻される。この結末がまとまった物語として読める現存の文学作品は、この二人のローマの詩人のものが最初期とされる。

ウェルギリウス『農耕詩』 前29年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ウェルギリウス以前には、オルペウスが妻を連れ戻すことに成功する形があったのではないか、という説がある。根拠に挙げられるのはエウリピデス『アルケスティス』の言い方などだが、確かな証拠はなく、議論が分かれている。

エウリピデス『アルケスティス』 前438年上演

ローマ以後の語り

最期は、女を寄せつけなくなったオルペウスに怒ったトラキア(キコネス人)の女たちに八つ裂きにされる。首と竪琴はヘブロス川を流れながらなお嘆きの声を上げ、海を渡ってレスボス島に着いた。オウィディウスでは、亡霊となったオルペウスは冥界の「敬虔な者たちの野」でエウリュディケと再会し、今度は安心して振り返る。

ウェルギリウス『農耕詩』 前29年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

近現代の翻案: モンテヴェルディ『オルフェオ』(1607)は最後にアポロンがオルフェオを天へ導く。グルック『オルフェオとエウリディーチェ』(1762)では愛の神アモーレがエウリディーチェを生き返らせる幸福な結末に変えた。オッフェンバックのオペレッタ『地獄のオルフェ』(1858)は日本では『天国と地獄』の題で知られ、序曲の終盤は運動会の徒競走の定番曲。コクトーの映画『オルフェ』(1950)は舞台を現代のパリに移し、冥界への入口を鏡にした。

クラウディオ・モンテヴェルディ作曲、アレッサンドロ・ストリッジョ台本『オルフェオ』 1607年 マントヴァ初演、クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲、ラニエーリ・デ・カルツァビージ台本『オルフェオとエウリディーチェ』 1762年 ウィーン初演、ジャック・オッフェンバック作曲『天国と地獄(地獄のオルフェ)』 1858年 パリ初演、ジャン・コクトー監督『オルフェ』 1950年

オウィディウスでは、婚礼の松明がくすぶる不吉な婚礼のあと、エウリュディケはナイアスたちと草原を歩いていて蛇に踝を噛まれて死ぬ。オルペウスはタイナロンの門から冥界へ下り、妻の「命の糸を結び直してほしい」、寿命が来ればまた戻るのだから短い日々を貸してほしいと歌う。亡霊が泣き、タンタロス、イクシオン、ティテュオス、ダナオスの娘たち、シシュポスが罰の手を止め、エウメニデスが初めて涙を流した。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

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振り返って妻を失ったオルペウスは、もう一度渡ろうとして渡し守に拒まれ、7日間食を断って川岸に座り込んだ。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

オウィディウスでは、キコネスの女たちが投げた槍や石は初め歌の力で勢いを失ったが、笛・角笛・太鼓・叫び声が歌をかき消すと、女たちは彼を引き裂いた。流れる竪琴は嘆きの音を立て、命のない舌がつぶやき、岸が答えた。冥界で再会した二人は、並んで、あるいは交互に先に立って歩く。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

もっと詳しく

ホメロスとヘシオドスにはオルペウスは登場しない。名前が現れる最古の例は前6世紀の抒情詩人イビュコスの断片「名高きオルペウス」の2語とされる。古典期のピンダロスはアルゴ船の乗組員の一人として歌う。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半

アポロニオス『アルゴナウティカ』では、ムーサのカリオペとトラキアのオイアグロスの子として、英雄の名簿の真っ先に挙げられる。歌で岩や川を魅了し、木々を山から連れ下ろしたという。航海の途中、セイレネスの歌を自分の竪琴の音でかき消して仲間を救う。

アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀

ほかのつながり(5人)

家族・恋愛

  • ムーサ親

    1.3.2 ムーサの一人カリオペがオイアグロスとのあいだに(名目上はアポロンとの子として)オルペウスを産む

仲間・師弟

今の言葉に残る

こと座 / Lyra七夕の織り姫星として知られるベガは、こと座(琴座)の1等星である。その琴は、ギリシャ神話では竪琴の名手オルペウスの竪琴だ。ローマ時代のヒュギヌスの『天文譜』によれば、この竪琴はヘルメスが亀の甲羅から作ったもので、やがてオルペウスの手に渡った。オルペウスはその音色で獣まで引き寄せ、亡くなった妻を追って冥界にまで下った。ところが冥界で神々をたたえて歌ったとき、酒の神ディオニュソスだけをほめ忘れた。のちにこの神は信女たちをけしかけ、オルペウスは引き裂かれて死ぬ。ムーサたちがその体を集めて葬り、アポロンとゼウスの許しを得て、竪琴を星のあいだに置いた。英語で Lyra が星座の名として見えるのは1650年代から。ベガの名はアラビア語から来ていて、「砂漠の鷲」とも「舞い降りるハゲワシ」とも訳される。

天国と地獄(オッフェンバック『地獄のオルフェ』)オッフェンバックが作曲した全二幕のオペレッタ。1858年にパリで初演された。原題は「地獄のオルフェ」で、ギリシャ神話の歌い手オルフェウス(オルペウス)が、死んだ妻を取り戻しに冥界へ下る悲しい話を、笑いの劇に仕立て直したもの。日本では1914年(大正3年)に東京の帝国劇場で初めて上演されて以来、『天国と地獄』の題で親しまれている。最後を飾るにぎやかな踊りの音楽は、フレンチ・カンカンの音楽として世界に広まり、無声映画の大活劇の伴奏にもよく使われた。

この話が出てくる作品

星座になった話

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このページの出典(12件)
  1. 前5世紀前半ピンダロス『祝勝歌集』
  2. 前438年上演エウリピデス『アルケスティス』
  3. 前4世紀前半プラトン『饗宴』
  4. 前3世紀アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』
  5. 前1世紀末〜後1世紀初めコノン『物語集(ディエーゲーセイス)』
  6. 前29年頃ウェルギリウス『農耕詩』
  7. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  8. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  9. 1607年 マントヴァ初演クラウディオ・モンテヴェルディ作曲、アレッサンドロ・ストリッジョ台本『オルフェオ』
  10. 1762年 ウィーン初演クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲、ラニエーリ・デ・カルツァビージ台本『オルフェオとエウリディーチェ』
  11. 1858年 パリ初演ジャック・オッフェンバック作曲『天国と地獄(地獄のオルフェ)』
  12. 1950年ジャン・コクトー監督『オルフェ』