アポロドーロスの一つ目の系譜: ムーサのクレイオが、アドニスへの恋をからかった罰でアプロディテに恋心を吹き込まれ、マグネスの子ピエロスとのあいだにヒュアキントスを生んだ。詩人タミュリスが彼に恋し、「男を愛した最初の者」となった。そのあとでアポロンが彼を愛した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ὑάκινθος人間
ヒュアキントスの死。ジャン・ブロックの作。 『ヒュアキントスの死』 ジャン・ブロック 1801年Public domain
花の名前のヒヤシンスは、ギリシャ神話の美少年ヒュアキントスから来ている。弓と竪琴の神アポロンに愛され、神の投げた円盤に当たって死んだ少年だ。ただし、神話に出てくる「ヒュアキントスの花」が今のヒヤシンスと同じ花だったかどうかは、分かっていない。
では、少年の死と花の誕生を、ローマの詩人オウィディウスの語りでたどってみよう。
ヒュアキントスは、ギリシャ南部スパルタの少年だった。アポロンはこの少年を深く愛し、自分の神殿のあるデルポイを留守にしてまで、スパルタで一緒に過ごした。竪琴も弓も放り出して、少年の網を運び、犬を引いて、山の尾根を歩き回った。
ある真昼、二人は着ていたものを脱いで体に油を塗り、円盤投げを始めた。先に投げたのはアポロンだった。円盤は雲を割って高く飛び、しばらくしてから地面に落ちた。少年は自分も投げたくて、夢中で円盤を拾いに駆け寄った。ところが円盤は硬い地面で跳ね返り、少年の顔をまともに打った。
アポロンは、少年と同じくらい真っ青になった。崩れ落ちた体を抱き起こし、温め、傷をふさごうとし、薬草で命を引き留めようとした。けれど、どんな技も役に立たなかった。庭で茎を折られたスミレやケシやユリが頭を垂れるように、少年の首はがくりと肩に落ちた。
アポロンは嘆いた。君を殺したのは私の手だ。君と遊んだことが罪なのか。君を愛したことが罪なのか。代われるものなら、君の代わりに死にたい。けれど神である私は死ねない。だから君はいつも私と一緒にいる。私の竪琴は君を歌い、君は新しい花になって、私の嘆きを刻むだろう。
すると、草を染めた少年の血は血ではなくなり、そこから紫の花が咲いた。形は百合に似ていたが、色は紫だった。アポロンはその花びらに、自分の嘆きの声を書き込んだ。ああ、ああ、という嘆きの文字が、今も花びらに刻まれているという。
オウィディウスによれば、スパルタの人々は、今も毎年ヒュアキントスの祭りを祝っている。2世紀の旅行家パウサニアスも、スパルタ近くの町にあるアポロンの像の台座の中に少年が葬られていると言われ、祭りではアポロンより先に少年に供え物をする習わしがあったと書いている。
少年の死は、本当にただの事故だったのか。後の時代には、ある風の神が円盤の向きを変えたのだ、という話も語られるようになった。
この物語の出典: エウリピデス『ヘレネ』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
アポロドーロスの一つ目の系譜: ムーサのクレイオが、アドニスへの恋をからかった罰でアプロディテに恋心を吹き込まれ、マグネスの子ピエロスとのあいだにヒュアキントスを生んだ。詩人タミュリスが彼に恋し、「男を愛した最初の者」となった。そのあとでアポロンが彼を愛した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロスの二つ目の系譜とパウサニアス: スパルタ王家のアミュクラス(ラケダイモンの子)の子。パウサニアスは、アミュクラスの息子たちのうち最年少で最も美しく、父より先に死んだとする。同じ本の中で、母がムーサとも人間の王妃とも書かれていることになる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
オウィディウスの形: 真昼に二人が裸で油を塗り、円盤投げを始める。アポロンの投げた円盤は雲を割って高く飛び、落ちてきたところを拾おうと駆け寄ったヒュアキントスの顔に、地面で跳ね返って当たった。アポロンは「私の手が君の死の原因だ」と嘆き、血から百合に似た紫の花を咲かせ、花びらに自らの嘆き「AI AI」を書き込んだ。風の神の嫉妬は出てこず、跳ね返りは事故として語られる。アポロンは嘆きの中で「いつか最も勇敢な英雄がこの花に加わる」とも予言し、これは第13巻でアイアスの血から同じ花が咲き、文字が彼の名の頭 AI とも読める場面につながる。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
西風ゼピュロスの嫉妬説: ヒュアキントスに恋していたが相手にされなかったゼピュロスが、タユゲトス山から吹き下ろして円盤の向きを変え、少年の頭に当てた。ルキアノスではアポロンがヘルメスにそう打ち明ける。パウサニアスも「西風のこと、アポロンが意図せず殺したこと、花の話」を伝承として挙げたうえで、事実ではないかもしれないと付け加えている。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀、ルキアノス『対話篇(神々の対話・海神たちの対話)』 2世紀後半
アミュクライのアポロン像の台座は祭壇の形をしていて、その中にヒュアキントスが葬られていると言われた。祭ヒュアキンティアでは、アポロンへの犠牲の前に、台座の左の青銅の扉からヒュアキントスに英雄としての供物が捧げられた。台座の浮彫には、神々がヒュアキントスと妹ポリュボイアを天へ運ぶ場面があった。オウィディウスも、スパルタが今も毎年ヒュアキンティアを祝うと書く。
オウィディウス『変身物語』 8年頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
オウィディウスでは、アポロンはヒュアキントスのためにデルポイを留守にしてスパルタで過ごし、竪琴も弓も顧みず、網を運び犬を引き、少年について山の尾根を歩いた。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
アポロンは、手当ての術も役に立たず首を垂れた少年を抱いて、「私の手が君の死の原因だ。代われるなら死にたいが、それはかなわない。私の竪琴と歌は君を響かせ、君は新しい花となって私の嘆きを刻むだろう」と嘆いた。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ホメロスには少年ヒュアキントスは出てこない。ὑάκινθος は花の名としてだけ現れ、ゼウスとヘラの寝床に咲く花の一つ(『イリアス』)や、アテナが整えたオデュッセウスの巻き毛のたとえ(『オデュッセイア』)に使われる。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
アポロンが円盤投げでヒュアキントスを殺した話は、前412年上演のエウリピデス『ヘレネ』の合唱にすでに出てくる。合唱は、ヒュアキントスの夜の祭と、ゼウスの子(アポロン)がラコニアの地に定めた牛を捧げる日を歌う。
エウリピデス『ヘレネ』 前412年
神話の「ヒュアキントス」の花は、今のヒヤシンス(Hyacinthus 属)とは限らない。古代のこの語は紫か濃い赤の花を指すが、どの花かは分かっておらず、グラジオラス、アイリス、ヒエンソウなどが候補に挙がる。今の植物の属名として使われ始めたのは1570年代。「花びらに文字がある」という言い方は、オウィディウスより前、前3世紀のテオクリトスの「文字の書かれたヒュアキントス」に見える。
テオクリトス『牧歌(エイデュリア)』 前3世紀前半、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
ルキアノス『神々の対話』14 嫉妬した西風が円盤を少年の頭に当てる。パウサニアス3.19.5 は言い伝えとして挙げる。オウィディウス『変身物語』10.174-219 では西風は出ず、事故として語られる
ヒヤシンス / hyacinth花の名。ギリシャ語 hyakinthos から。古代には青い宝石(サファイアか)と、紫か濃い赤の花の両方を指したが、どの花かは分かっていない。英語では宝石の意味(jacinth)が1200年頃、植物の意味が1550年代で、今の Hyacinthus 属に使われるのは1570年代から。ギリシャ語以前の地中海の言葉から来た語と考えられている。