ローマの詩人たちは冥界の入口を具体的な地名に置いた。オルペウスはペロポネソス南端のタイナロン(テナロン)の洞穴から下り、アイネイアスはイタリアのクマエ近く、アウェルヌス湖のほとりの洞窟から下る。
ウェルギリウス『農耕詩』 前29年頃、ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃
Ἀΐδαο δόμος場所
アイネイアスの漂流12 / 14クマエのシビュラへ戻るキルケへ進む
死者は渡し守の舟で川を渡り、恐ろしい番犬が門を守る地下の国へ行く。善い人は花咲く野へ、悪人は罰の淵へ。多くの人が思い描くギリシャ神話の冥界の姿は、最初からそろっていたわけではない。何百年もかけて、少しずつ書き足されていったものだ。
では、冥界の「地図」がどのように描かれ、描き足されていったのか、古い順に見ていこう。
『イリアス』で、海の神ポセイドンは語る。自分たちクロノスの三人の息子はくじを引いた。ゼウスが天を、ポセイドンが海を、そしてハデスが暗い闇を得た。大地とオリュンポスは三人の共有だ。ハデスはもともと神の名前で、死者の国は「ハデスの館」と呼ばれていた。
その館は、『オデュッセイア』では地下にはない。世界を取り巻いて流れる大河オケアノスを越えた、その向こう岸にある。魔女キルケはオデュッセウスに道を教えた。オケアノスを渡ると、背の高いポプラと、実を結ばずに落とす柳が茂る、冥界の女王ペルセポネの森がある。そこで船を降り、燃える川と嘆きの川が、もう一つの大きな川に流れ込む岩のところで穴を掘り、犠牲の血を注いで死者を呼べ。オデュッセウスはそのとおりにして、予言者の霊や、死んだ母や、英雄アキレウスの霊と言葉を交わした。

『オデュッセイア』の最後には、殺された求婚者たちの魂が、ヘルメスの杖に導かれて冥界へ下っていく場面がある。魂たちはこうもりのようにきいきい鳴きながらついていき、オケアノスの流れと白い岩、太陽の門と夢の国を過ぎて、死者の霊が住む野にたどり着いた。
ヘシオドスの『神統記』には、館の前の恐ろしい番犬が出てくる。入ってくる者には尾と耳を振ってすり寄るが、出て行こうとする者は捕らえて食らう。冥界は、入れても出られない場所だった。
それでも、生きたまま下って戻ってきた者たちがいる。英雄ヘラクレスは、その番犬を地上へ連れ出した。竪琴の名手オルペウスは、ギリシャ南端の岬の洞穴から下り、亡き妻を取り戻しかけた。英雄テセウスは、友人とともに冥界の女王をさらおうとして下っていった。
冥界の地図がいちばん細かくなるのは、ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネイス』である。トロイアの勇将アイネイアスは、巫女に導かれ、イタリアの湖のほとりの洞窟から冥界へ下りた。入口には、悲しみ、病、老い、恐れ、飢え、死、そして戦争が、姿を持って住みついていた。その先の川には、白いひげを伸ばし、目を炎のように光らせた渡し守カロンが舟を操っている。岸には、秋の森の落ち葉のように数えきれない死者が群がり、向こう岸へ渡してくれと手を差し伸べていた。けれど、葬られていない者は渡してもらえない。百年のあいだ岸をさまよって、ようやく渡ることを許される。

川を越えると、道は二つに分かれていた。左は罪人が罰を受ける地の底タルタロスへ、右は善き人々が暮らす祝福の野エリュシオンへ。その奥には忘却の川レテが流れ、生まれ変わる定めの魂たちが、その水を飲んで前世を忘れるのだった。
こうして冥界は、大河の向こうの薄暗い館から、何本もの川と門と分かれ道を持つ、ひとつの国になっていった。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、ウェルギリウス『農耕詩』、ウェルギリウス『アエネイス』、オウィディウス『変身物語』
ローマの詩人たちは冥界の入口を具体的な地名に置いた。オルペウスはペロポネソス南端のタイナロン(テナロン)の洞穴から下り、アイネイアスはイタリアのクマエ近く、アウェルヌス湖のほとりの洞窟から下る。
ウェルギリウス『農耕詩』 前29年頃、ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃
ウェルギリウスでは、冥界の入口に悲しみ・復讐する苦悩・病・老い・恐れ・飢え・貧窮・死・労苦・眠り・戦争などが住み、アケロンの岸では渡し守カロン(白いひげ、炎のような目)が舟を操る。岸には秋の落ち葉のように死者が群がるが、葬られていない者は百年のあいだ岸をさまよってから渡される。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
冥界の奥の谷にはレテの川が流れ、再び肉体を得る定めの魂たちがその水を飲んで長い忘却に入る、とアンキセスが説明する。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
ホメロスでは冥界は「ハデスの館」と呼ばれ、ハデスはもともと神の名で、場所の名ではなかった。『イリアス』では、クロノスの三人の息子がくじを引き、ゼウスが天、ポセイドンが海、ハデスが「暗い闇」を得て、大地とオリュンポスは共有とされた。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『オデュッセイア』の冥界は地下ではなく、世界を取り巻くオケアノスの流れを越えた所にある。キルケの指示では、ペルセポネの森(背の高いポプラと実を落とす柳)がある岸に船を着け、ピュリプレゲトンとコキュトス(ステュクスの支流)がアケロンに流れ込む岩の所で穴を掘って死者を呼べ、とされる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
『オデュッセイア』最終巻では、ヘルメスが杖で求婚者たちの魂を呼び集め、オケアノスの流れ、白い岩、太陽の門、夢の国を過ぎて、死者の霊が住む「アスポデロスの野」へ導く。死者を導く神ヘルメスの姿がはっきり描かれる場面。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ヘシオドスは、ハデスとペルセポネの館の前に恐ろしい番犬がいて、入る者には尾と耳を振って迎えるが、出て行こうとする者は捕まえて食らう、と描く。冥界は「入れるが出られない」場所だった。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
ウェルギリウス『アエネイス』第6巻で、冥界の「地図」はもっとも詳しくなる。入口の擬人化された悲しみや病、アケロンの岸と渡し守カロン、ケルベロス、幼くして死んだ者や自害した者の場所、そして分かれ道の左がタルタロス(罪人の罰の場)、右がエリュシオン(善人の野)で、その奥にレテの川が流れる。ホメロスの「オケアノスの彼方の館」から、ここまで細かい構造が書き足された。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
求婚者たちの魂は、ヘルメスの杖に導かれ、こうもりのようにきいきい鳴きながらついて行った。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
『アエネイス』6.236-898 アイネイアスを連れて冥界を案内する。『変身物語』14.116-155
水を運び続ける罰の場。ホラティウス『歌章』3.11.21-32 / Met. 4.462-463、10.43-44
6.450-476 死後、冥界の「嘆きの野」をさまよい、下ってきたアイネイアスに一言も答えずに立ち去る
死後の冥界。『農耕詩』4.486-503 / Met. 10.48-63、11.61-66
ローマの詩人は車輪の罰を冥界に置く。『農耕詩』4.484 / Met. 10.42
『ゴルギアス』524a ヨーロッパから来た死者を裁く。『変身物語』13.25-26 沈黙の者たちに法を与える
アポロドーロス3.1.2 死後ミノスとともにハデスの国で裁判官を務める。『ゴルギアス』523e-526c アジアから来た死者を裁く