ヘレノスはブトロトンで、クマエの巫女は木の葉に予言を書いて洞窟に並べるが、扉が開くと風で葉が散り、もう並べ直さないと教える。だから葉に書かせず、自分の口で歌ってもらえと助言する。アイネイアスは実際にシビュラにそう頼む。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃

Σίβυλλα人間
クマエのシビュラ。ミケランジェロの作。 『クマエのシビュラ』 ミケランジェロ 1511年Public domain
「シビュラ、何が望みなの」。子どもたちがそう尋ねると、瓶の中に吊るされた老婆は答えた。「死にたい」。ローマの小説『サテュリコン』で、成金の男が、この目で見たと自慢する光景である。20世紀の詩人T・S・エリオットは、この一節を長い詩『荒地』の巻頭に掲げた。この死ねない老婆が、クマエのシビュラである。
では、この巫女がなぜ死ねなくなったのか、そしてどんな役目を果たしたのか、見ていこう。
南イタリアのクマエの町には、崖をくりぬいた大きな洞窟があった。そこに住む巫女シビュラは、神アポロンの心を吹き込まれて、未来を告げた。
ローマの詩人オウィディウスは、シビュラ自身に身の上を語らせている。若いころ、アポロンに愛され、望みを一つかなえてやると言われた。彼女は手に砂をすくい、この砂の粒の数だけ誕生日を迎えたいと願った。けれども、若いままでいることを願うのを忘れてしまった。自分の愛を受け入れれば永遠の若さも与えようと神は言ったが、彼女は最後まで拒んだ。だから老いだけが続く。すでに700年を生き、砂の数に届くにはあと300年ある。やがて体は小さく縮み、誰の目にも見えなくなって、声だけが残るだろう、と。
ウェルギリウスの『アエネイス』では、シビュラはトロイアの英雄アイネイアスを冥界へ導く案内人になる。イタリアにたどり着いたアイネイアスは、死んだ父にもう一度会いたいと、シビュラに頼んだ。
神がかりになったシビュラは、髪を振り乱し、胸を波打たせて、まず予言を告げた。戦争が見える、恐ろしい戦争が。テヴェレの川が血で泡立つのが見える。この国に着いたことを、お前たちは後悔するだろう。
それから冥界へ下る方法を教えた。冥界へ下るのはたやすい。王の門は昼も夜も開いている。難しいのは、引き返して地上の空気の中へ戻ることだ。そのためにはまず、森に隠れた黄金の枝を見つけ、冥界の女王への贈り物として折り取ってこなければならない。

黄金の枝を手に入れたアイネイアスを、シビュラは冥界の奥へと連れて行った。二人は死者の川を渡り、罪人たちの苦しむ場所を横目に過ぎて、幸いな者たちの住む野にたどり着く。そこでアイネイアスは、父と再会した。
この物語の出典: ウェルギリウス『アエネイス』、オウィディウス『変身物語』、ペトロニウス『サテュリコン』、T・S・エリオット『荒地』
ヘレノスはブトロトンで、クマエの巫女は木の葉に予言を書いて洞窟に並べるが、扉が開くと風で葉が散り、もう並べ直さないと教える。だから葉に書かせず、自分の口で歌ってもらえと助言する。アイネイアスは実際にシビュラにそう頼む。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
神がかりになったシビュラは、トロイア人はラウィニウムの国に着くが、着いたことを後悔するだろうと告げる。「戦争が、恐ろしい戦争が、血で泡立つテヴェレ川が見える」。災いの原因はまたしても異国の花嫁で、救いは思いもよらないギリシャの町から来るという。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
「アウェルヌスへ下るのはたやすい。冥王の門は昼も夜も開いている。だが足を戻して上の空気へ出ること、それが難しい」。冥界へ下るには、森に隠れた黄金の枝を見つけてプロセルピナへの贈り物として折り取らねばならない、とシビュラは教える。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
オウィディウスでは、シビュラ自身が身の上を語る。アポロンに望みを言えと言われ、手にすくった砂の粒の数だけの誕生日を願ったが、若さを願うのを忘れた。愛を受け入れれば永遠の若さも与えると言われても拒んだため、老いだけが続く。すでに700年生き、砂の数に届くにはあと300年ある。やがて体は小さくなって誰にも見えなくなり、声だけが残るだろうという。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ペトロニウス『サテュリコン』で、成金のトリマルキオは、クマエでシビュラが瓶の中に吊るされているのをこの目で見たと自慢する。子どもたちが「シビュラ、何が望み?」とギリシャ語で聞くと、「死にたい」と答えたという。
ペトロニウス『サテュリコン』 1世紀半ば
T・S・エリオットの長詩『荒地』(1922)は、このペトロニウスの一節をラテン語とギリシャ語のまま巻頭に掲げている。死ねないまま老いていくシビュラが、20世紀の詩の入口に置かれた。
ペトロニウス『サテュリコン』 1世紀半ば、T・S・エリオット『荒地』 1922年発表
アイネイアスはシビュラに、自分の国に神殿を建て、民に告げられた彼女の予言を納めて選ばれた者に守らせると約束する。ローマではのちに予言集「シビュラの書」が保管された。ハリカルナッソスのディオニュシオスは、異国の女がタルクィニウス王に予言の書9巻を売りに来て、断られるたびに3巻ずつ焼き、最後に残った3巻を言い値で買わせた話を伝える。ただしディオニュシオスはこの女をクマエのシビュラとは呼んでいない。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃、ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』 前7年頃
シビュラ / sibyl(女予言者)英語 sibyl は「予言の力を持つとされる女性、女の占い師」の意味で1200年頃から使われる。古フランス語、ラテン語 Sibylla を経て、古代のギリシャ人やローマ人が神託を求めた何人もの予言者の女性を指すギリシャ語 Sibylla にさかのぼる。この語そのものの由来は分かっていない。教父ヒエロニムスは、「神の意志」を意味する語から来たと説明している。形容詞 sibylline(シビュラの、謎めいた)は1570年代から。