アポロドーロスとヒュギヌスでは、父は太陽神ヘリオス、母はペルセイス(ヒュギヌスではペルサ)。キルケ、アイエテス、ペルセスと兄弟姉妹になる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃

Πασιφάη人間
ミノス王の妃パシパエに木の雌牛を見せるダイダロス。 『パシパエに木の雌牛を見せるダイダロス』 作者不詳(ローマ時代の壁画) 1世紀 ポンペイ、ウェッティウス家(食堂の北壁)Public domain
牛の頭に人の体をもつ怪物、ミノタウロス。迷宮の奥に閉じ込められ、英雄テセウスに退治されたこの怪物には、母親がいる。クレタ島の王妃パシパエである。
王妃がなぜ、牛の頭の子を産むことになったのか。きっかけをつくったのは、彼女ではなく夫だった。
では、ミノタウロスの母がどんな女性として語られてきたのか、生まれから順にたどってみよう。
パシパエは太陽神ヘリオスの娘だ。姉妹には、オデュッセウスの仲間を豚に変えた魔女キルケがいて、兄弟には、のちに金の羊毛を手にするコルキスの王がいる。彼女はクレタの王ミノスに嫁ぎ、何人もの子を産んだ。英雄テセウスに糸玉を渡して迷宮から救い出すアリアドネも、その娘のひとりである。
事の起こりは、ミノスが王位につこうとしたときだった。クレタの先の王が子を残さずに死に、ミノスが後を継ごうとすると、反対する者がいた。そこでミノスは、自分は神々から王国を授かった、その証拠に祈ったことは何でもかなう、と言い張る。そして海の神ポセイドンに犠牲をささげながら、海の底から牡牛を送ってほしい、現れたらその牛をささげる、と祈った。
ポセイドンは見事な牡牛を海から送り、ミノスは王になった。ところがミノスは、その牛を自分の牛の群れに入れ、代わりに別の牛をささげてしまう。
怒ったポセイドンは牛を荒々しくし、さらに王妃パシパエがその牛に恋い焦がれるように仕向けた。神の怒りの矛先は、約束を破った王の妻に向けられたのである。

牛への思いを遂げるため、王妃が頼ったのは、アテネから逃れてきた名工ダイダロスだった。ダイダロスは車輪のついた木の雌牛を作って中をくりぬき、はいだ本物の牛の皮で包んで、牡牛がいつも草を食む牧場に置いた。パシパエが中に入ると、牡牛は本物の雌牛だと思って交わった。
こうして生まれたのがミノタウロスである。顔は牛で、体の残りは人間。ミノスは神託に従って、この子をダイダロスが造った迷宮に閉じ込めた。のちにアテネから毎年若者たちが怪物のえさとして送られ、英雄テセウスが退治に乗り込むことになる。
ローマの詩人オウィディウスは『変身物語』で、この出来事を王家の恥として描いた。生まれた怪物の姿が、母の不義をあらわにした。ミノスはこの恥を人目から隠すため、入り組んだ建物に閉じ込めることにした、と。ミノスに恋して祖国を裏切り、そのうえ捨てられた娘は、牡牛を木でだました女こそあなたにふさわしい妻だ、と王をなじっている。
パシパエには、夫への仕返しの話もある。ミノスは多くの女性と関係をもっていた。そこでパシパエは夫に魔法をかけた。ミノスがほかの女と寝ると、その体から獣が出て相手を襲い、女は死んでしまう。のちにアテネから逃れてきたある王女は、この呪いを知っていて、魔女キルケの薬草を先に王に飲ませて難を逃れた。それでも王妃を恐れ、島を去っている。
ダイダロスとの関わりも、書き手によって違う。紀元前1世紀の歴史家ディオドロスは、木の牛のことでミノスに脅されたダイダロスを、パシパエが船を用意して逃がしたと書く。王妃がダイダロスを島にかくまっていた、という別の言い伝えも紹介している。
王妃が恋した牡牛のその後も、語られている。ディオドロスによれば、のちにヘラクレスが功業のひとつとしてクレタに渡り、ギリシャ本土へ連れ帰ったのが、この牛だった。
パシパエという名は、月の呼び名でもあった。ギリシャ南部のある神託所には、太陽神の像と並んでパシパエの青銅像が立っていた。2世紀の旅行家パウサニアスは、このパシパエは土地の女神ではなく月の呼び名だ、と書いている。下の注釈では、母や夫の妻をめぐる別の言い伝えも並べた。
この物語の出典: ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
アポロドーロスとヒュギヌスでは、父は太陽神ヘリオス、母はペルセイス(ヒュギヌスではペルサ)。キルケ、アイエテス、ペルセスと兄弟姉妹になる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
ディオドロスは、ミノスが「ヘリオスとクレテの娘パシパエ」を娶ったと書き、母をクレテとする。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
ミノスは王位の証しに、海から牡牛が現れたら犠牲にするとポセイドンに祈った。牡牛は現れ、ミノスは王になったが、その牛を群れに入れて別の牛を犠牲にした。怒ったポセイドンは牛を荒々しくし、パシパエがその牛に恋するように仕向けた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ディオドロスでは、ミノスには毎年いちばん美しい牡牛をポセイドンにささげる習わしがあった。あるとき際立って美しい牡牛が生まれ、ミノスは劣った牛を代わりにささげた。怒ったポセイドンが妻パシパエに牡牛への恋をさせた、とする。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
アポロドーロスは、ミノスの妻をパシパエとしたうえで、アスクレピアデスは妻をアステリオスの娘クレテとしている、と別説を添える。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
オウィディウスは、二つの姿をもつ怪物の誕生で母の不義が明らかになり、ミノスがその恥を迷宮に隠したと描く。ミノスに捨てられたスキュラ(メガラ王の娘)は、牡牛を木でだました女こそ王にふさわしい妻だとなじり、別の箇所では、太陽の娘は牡牛を愛したが、それでも女が男を愛したのだ、と語られる。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ミノスが多くの女性と関係したため、パシパエは夫に魔法をかけ、ほかの女と寝ると体から獣が出て相手を死なせるようにした。アテナイから逃れてきたプロクリスは、先にキルケの薬草を飲ませて害を免れたが、ミノスの妻を恐れてアテナイへ戻った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パウサニアスは、ラコニアのタラマイにあるイノの夢占いの神託所に、ヘリオスとパシパエの青銅像が立っていると記し、パシパエは月の呼び名で、タラマイの土地の女神ではないと説明する。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』にパシパエの名は出てこない。『オデュッセイア』の冥界の場面にはミノスの娘アリアドネやパイドラが登場するが、母の名は無い。王妃と牡牛の話が詳しく残るのは、ディオドロスやアポロドーロスなど後代の書き物。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロスによれば、ミノスとの子は息子カトレウス、デウカリオン、グラウコス、アンドロゲオス、娘アカレ、クセノディケ、アリアドネ、パイドラ。ディオドロスはデウカリオン、カトレウス、アンドロゲオス、アリアドネを挙げる。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ダイダロスは車輪のついた木の雌牛を作って中をくりぬき、はいだ牛の皮で包んで牡牛の牧場に置いた。パシパエが中に入ると、牡牛は本物の雌牛と思って交わった。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
生まれた子の姿は、アポロドーロスでは顔が牛で体の残りは人間。本名はアステリオスで、ミノタウロスと呼ばれた。ディオドロスでは肩から上が牛で、残りが人間。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ディオドロスは、木の牛のことでミノスに脅されたダイダロスが、パシパエの手助けで船を得てクレタを脱出したと書き、別伝として、パシパエがダイダロスをかくまい、ミノスが島中の船を探させたので翼を作って飛んで逃げた、という話も伝える。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
ディオドロスは、ヘラクレスが功業として生け捕りにしたクレタの牡牛を「パシパエが恋したと言われる牛」とする。アポロドーロスは、その牛をエウロペを運んだ牛とする説と、ポセイドンが海から送った牛とする説を併記する。ヒュギヌスも、ヘラクレスが「パシパエが交わった牡牛」をクレタから生け捕りにしてミュケナイへ連れてきたと記す。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
アポロドーロス1.9.1、ヒュギヌス序文