後代の異伝: オウィディウス『変身物語』では、スキュラはもと美しい娘で、海神グラウコスに恋されたことを妬んだキルケが水浴びの入江に毒草を投じ、下半身を犬の群れに変えてしまったとされる。ホメロスにこの由来はない。
オウィディウス『変身物語』 8年頃

Σκύλλα怪物
スキュラとカリュブディスの前のオデュッセウス。ヨハン・ハインリヒ・フュースリの作。 『スキュラとカリュブディスの前のオデュッセウス』 ヨハン・ハインリヒ・フュースリ 1794〜1796年Public domain
英語には「スキュラとカリュブディスの間」という言い回しがある。どちらを選んでもひどい目に遭う、という意味だ。日本語なら、前門の虎、後門の狼に近い。その片方、狭い海峡の崖に棲む六つ首の怪物が、スキュラである。
では、この怪物がどんな姿で、英雄オデュッセウスに何をしたのか、見ていこう。
この怪物のことをオデュッセウスに教えたのは、魔女キルケだった。帰り道には、二つの崖に挟まれた海峡がある。片方の崖の中腹、弓で射ても届かない高さに暗い洞穴があり、そこにスキュラが棲んでいる。
足は12本あって、どれも形が崩れている。首は6本。長い首の先にそれぞれ恐ろしい頭があり、口には歯が三列、すき間なく並ぶ。鳴き声は生まれたばかりの子犬のようだが、神々でさえ見て喜ばない災いだという。スキュラは洞穴から首を伸ばし、通りかかる船から、口の数だけ、つまり6人を必ずさらっていく。
向かいの低い崖の下には、渦潮カリュブディスが潜み、日に三度、海の水を呑み込んでは吐き出す。そこに巻き込まれれば船ごと終わりだ。だからスキュラの崖に寄って通れ、とキルケは言った。6人を失う方が、全員を失うよりましだ、と。
オデュッセウスは食い下がる。怪物と戦って仲間を守れないのか。キルケの答えは厳しかった。あれは死すべきものではない、不死の災いだ。戦おうとせず、逃げよ。
オデュッセウスは、このことを仲間に告げなかった。海峡に近づくと、渦潮にだけ気をつけるよう命じた。仲間がおびえて漕ぐ手を止めてしまうのを恐れたからだと、本人がのちに語っている。そして自分は、キルケの忠告を忘れて鎧をまとい、槍を二本持って船首に立った。
皆がカリュブディスの渦を見つめているあいだに、スキュラは首を伸ばし、6人の仲間をさらった。仲間たちは宙に吊り上げられながら、オデュッセウスの名を呼んだ。怪物は洞穴の入口で彼らを食らった。漂流のあいだに見た中で最も哀れな光景だった、とオデュッセウスは振り返る。
『オデュッセイア』は、スキュラがなぜ怪物なのかを語らない。後の時代、ローマの詩人オウィディウスは、もとは美しい娘だったという話を伝えている。海の神グラウコスがこの娘に恋をし、魔女キルケに恋の薬を頼んだ。ところがキルケの方がグラウコスに恋をしてしまう。嫉妬したキルケは、娘がいつも水浴びをする入江に毒草の汁を流し込んだ。水に入った娘の腰から下は、吠える犬の群れに変わっていた。

この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、オウィディウス『変身物語』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
後代の異伝: オウィディウス『変身物語』では、スキュラはもと美しい娘で、海神グラウコスに恋されたことを妬んだキルケが水浴びの入江に毒草を投じ、下半身を犬の群れに変えてしまったとされる。ホメロスにこの由来はない。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ホメロスでは母をクラタイイスとするのみで父に触れない。後代の資料では親の組み合わせが一定しない。アポロニオスは「夜をさまようヘカテ、人がクラタイイスと呼ぶ者」がポルキュスに産んだとし、アポロドーロスはクラタイイスあるいはトリエノスとポルコスの娘とする。ヒュギヌスはテュポンとエキドナの子の一人に数える。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
12本の足はどれも不格好で、6本の長い首の先にそれぞれ恐ろしい頭が付き、各々の口に三列の歯が隙間なく並ぶ。声は生まれたての子犬のようだが、神々でさえ見て喜ばぬ災いだとされる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
キルケは「彼女は死すべきものではなく不死の災いだ、戦うのではなく逃げよ」と忠告する。武器で倒せる相手ではないと明言される点が、ギリシャ神話の怪物退治譚と決定的に異なる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
実際に通過するとき、カリュブディスを見ているあいだに6人がさらわれる。オデュッセウスは「漂流のあいだに見たもっとも哀れな光景だった」と語る。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
キルケは「犠牲は6人で済む。全員を失うよりよい」と告げるが、オデュッセウスはこのことを仲間に伝えなかった。指揮官として仲間に隠した唯一の情報として読まれる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
スキュラの洞穴は、弓で射ても届かない高い崖の中腹にあり、雲に覆われた頂は夏も冬も晴れることがない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
オデュッセウスは仲間がおびえて漕ぐのをやめることを恐れてスキュラのことを告げず、キルケの忠告を忘れて鎧をまとい、二本の槍を手に船首に立った。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
Met. 13.735-749 まだ怪物になる前の娘スキュラに髪をすかせながら、ガラテイアが自分の恋を打ち明ける
1.9.25 テティスとネレイスたちがヘラの呼びかけで船を導く
スキュラとカリュブディスの間英語の成句 between Scylla and Charybdis は「同じくらい危ない二つの道のあいだ」を言い、1739年から見える(Merriam-Webster)。『オデュッセイア』第12歌で、キルケはオデュッセウスに、渦潮カリュブディスで船ごと失うより六つ首の怪物スキュラに六人を取られる方がましだと助言する。成句では二つの危険は同じ重さだが、原典のキルケは、どちらかといえばスキュラの側を通れと勧めている。