パウサニアスによれば、アンテドンの人々は、グラウコスはもとは漁師で、ある草を食べて海の神霊になったと語る。いまも未来を予言すると信じられ、とくに船乗りは毎年グラウコスの予言の話をする。ピンダロスは少し歌っただけだが、アイスキュロスはこの話で一本の劇を書いた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

Γλαῦκος神
海の神グラウコスとスキュラ。ローラン・ド・ラ・イールの作。 『グラウコスとスキュラ』 ローラン・ド・ラ・イール 1640〜1644年ごろ J・ポール・ゲティ美術館Public domain
釣り上げた魚を草の上に並べたら、魚がぴくぴくと動きだし、海へ跳ね戻っていった。不思議に思った漁師がその草を噛んでみると、胸が騒いで、海へ飛び込まずにいられなくなった。こうして人間の漁師は、海の神になった。グラウコスの物語である。
では、この海の神がどんな物語を残したのか、見ていこう。
グラウコスは、ギリシャ中部の海辺の町の漁師だった。ローマの詩人オウィディウスは、グラウコス自身に身の上を語らせている。海に飛び込んだ彼を、海の神々は仲間として迎え入れた。大洋の神々が、人間だったころの汚れをすっかり洗い落とした。気がつくと、彼には青緑色のひげと、魚の尾が生えていた。
グラウコスは、恋をした。相手は、海辺で水浴びをしていた美しい娘スキュラだった。けれど、半分魚の姿をした海の神に、娘はおびえて逃げてしまう。困ったグラウコスは、魔女キルケのもとへ行き、娘の心を動かす恋の薬を頼んだ。
これが裏目に出た。キルケ自身が、グラウコスに恋をしてしまった。拒まれたキルケは、恨みを恋敵の娘に向けた。スキュラがいつも水浴びをする入り江に、毒のある草の汁をまいた。何も知らずに水に入ったスキュラの下半身は、吠えたてる犬の群れに変わっていた。グラウコスは泣き、キルケとは決して結ばれなかった。スキュラはのちに、船乗りを襲う海峡の怪物になる。

グラウコスは、未来を告げる海の予言者としても知られていた。2世紀の旅行家パウサニアスによれば、グラウコスの故郷の町の人々は、グラウコスが今も未来を予言すると信じていて、とくに船乗りたちは毎年のように彼の予言の話をしていたという。
実際、グラウコスは英雄たちの前に何度も姿を現した。金の羊毛の冒険を描いた詩人アポロニオスの叙事詩では、英雄ヘラクレスを置き去りにしてしまったことで仲間割れしかけたアルゴ号の前に、海の底から浮かび上がった。ヘラクレスは故郷へ戻り、12の難業を果たす定めなのだ。そう告げて、グラウコスは波の下へ沈んでいった。エウリピデスの悲劇では、トロイア戦争から帰るメネラオスの前に波間から現れ、兄アガメムノンが、故郷で妻の手にかかって殺されたことを告げた。
哲学者プラトンは、この海の神を、たとえ話に使っている。長いあいだ海にいたグラウコスは、波に打たれて体のあちこちが欠け、すり減り、貝や海藻や石がこびりついて、本来の姿よりも獣のように見える。この世にいる魂も同じだ。見えている姿から、本当の姿を思い描かなければならない、と。
この物語の出典: エウリピデス『オレステス』、プラトン『国家』、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』、オウィディウス『変身物語』、パウサニアス『ギリシア案内記』
パウサニアスによれば、アンテドンの人々は、グラウコスはもとは漁師で、ある草を食べて海の神霊になったと語る。いまも未来を予言すると信じられ、とくに船乗りは毎年グラウコスの予言の話をする。ピンダロスは少し歌っただけだが、アイスキュロスはこの話で一本の劇を書いた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
オウィディウス『変身物語』では、グラウコス自身がスキュラに身の上を語る。漁で獲った魚を草地に並べると、魚が草に触れて動きだし海へ跳ね戻った。その草を噛んでみると胸が騒ぎ、海へ飛び込んだ。海の神々に迎えられ、オケアノスとテテュスに人間のものを洗い落とされて、青緑のひげと魚の尾をもつ神になったという。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
オウィディウスでは、グラウコスは乙女スキュラに恋し、キルケに恋の薬を頼む。ところがキルケ自身がグラウコスを愛し、拒まれると恋敵のスキュラを恨んで、彼女が水浴びする入り江に毒草を撒く。水に入ったスキュラの下半身は吠える犬の群れに変わった。グラウコスは泣き、キルケとの結婚を避けた。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ホメロスに海の神グラウコスは出てこない。『イリアス』のグラウコスは、トロイア側で戦うリュキアの将で、まったくの別人。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
エウリピデス『オレステス』では、トロイアから帰るメネラオスがマレア岬に船を寄せたとき、波間から「ネレウスの予言者、偽らぬ神」グラウコスが現れ、兄アガメムノンが妻の手で最後の湯浴みのうちに殺されたと告げた。
エウリピデス『オレステス』 前408年
アポロニオス『アルゴナウティカ』では、ヘラクレスを置き去りにして仲間割れしかけたアルゴー船の前に、グラウコスが海の底から姿を現す。ヘラクレスはアルゴスに戻って十二の功業を果たす定めであり、ポリュペモス(キュクロプスとは別人)はミュシアに町を築き、ヒュラスはニンフに夫として迎えられた、と告げて海に沈む。
アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀
プラトン『国家』は、この世にある魂の姿を海のグラウコスにたとえる。波に打たれて体の一部は折れ、すり減り、そこへ貝や海藻や石がこびりついて、元の姿よりも獣のように見える。見えている姿から本来の姿を想像しなければならない、という比喩。
プラトン『国家』 前375年頃