寄港地は実在の場所なのか。歴史家ポリュビオスは、ホメロスは旅の舞台をシチリアの周辺に置いたと考え、スキュラの描写もスキュライオンの岩の辺りで行われる漁の様子と合うと論じた。トリナキエ島をシチリアの古名トリナクリアと結びつける見方もある。
トゥキュディデス『戦史(ペロポネソス戦争史)』 前5世紀末、ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
出来事
ホンダのミニバンに「オデッセイ」という車がある。会社の説明によれば、その名は「長い冒険旅行」の意味で、もとは古代ギリシャの長い叙事詩『オデュッセイア』から来ている。英語でも、長く波乱に満ちた旅のことを「オデッセイ」と呼ぶ。その語源になったのが、英雄オデュッセウスの10年に及ぶ帰り道である。
トロイアを出てから故郷イタケに帰り着くまでの旅を、港から港へ追っていく。
トロイア戦争に勝ったオデュッセウスは、12隻の船を率いて帰路についた。最初に立ち寄った町では、略奪までは首尾よく運んだ。ところが、早く引き上げろという命令を仲間たちが聞かず、浜で酒盛りを続けているうちに、翌朝、反撃を受けた。どの船からも6人ずつが死んだ。
嵐に9日間流されて10日目、一行は「ロートス」という花のような実を食べる人々の国に着いた。この甘い実を口にした仲間は、故郷へ帰る気持ちをすっかりなくし、ここに住みたいと言い出す。オデュッセウスは泣く彼らを力ずくで船に引きずり戻し、漕ぎ座の下に縛りつけた。
次は、一つ目の巨人キュクロプスの島だった。巨人の洞窟に閉じ込められ、仲間を次々に食われたオデュッセウスは、「誰でもない」と名乗って巨人の目を焼き、羊の腹にしがみついて洞窟から逃れる。ところが船の上から本当の名を叫んでしまったため、巨人は父である海の神ポセイドンに祈った。あの男を帰すな。帰すとしても遅く、仲間をみな失い、他人の船で。この祈りが、旅の残りをそっくり決めてしまう。

風の神は、一行を手厚くもてなし、荒い風をすべて牛の皮の袋に閉じ込めて渡してくれた。西風に送られて9日9晩、10日目には故郷の島の火が見えるところまで来た。ところが、疲れたオデュッセウスが眠ったすきに、仲間たちは袋に金銀が入っていると思い込んで開けてしまう。飛び出した風に、船団は元の島まで吹き戻された。風の神は、神々に憎まれた者を二度と助けはしないと言って、一行を追い払った。

人食い巨人ライストリュゴネス族の港では、岩を投げ落とされて、11隻が一度に沈んだ。残ったのは、オデュッセウスの船ただ1隻である。

たどり着いた魔女キルケの島では、仲間が豚に変えられた。オデュッセウスは神の草に守られて魔法を破り、キルケのもとに1年とどまった。帰り道を知るために、世界の果てで死者の霊を呼び出し、予言者テイレシアスや母の影と語り合ったのも、キルケに言われてのことだった。

帰り道には、さらに難所が続く。歌で船乗りを呼び寄せるセイレーンの島では、仲間の耳に蜜蝋を詰め、自分だけは帆柱に縛りつけさせて、その歌を聞いた。ほどけと合図しても、仲間はかえって縄をきつく締めた。六つの首の怪物スキュラと渦のカリュブディスの海峡では、仲間6人をスキュラにさらわれた。

そして太陽神ヘリオスの島。南風と東風が1か月吹きやまずに足止めされ、飢えた仲間たちは、手を出すなと言われていた神の牛を屠ってしまう。船は海に出たとたんゼウスの雷に打たれて砕け、生き残ったのはオデュッセウスひとりだった。

竜骨にしがみついて流れ着いた女神カリュプソの島で、彼は7年も引き留められた。ようやく筏で島を出ると、ポセイドンが嵐を起こして筏を砕く。海の女神になった人間の娘が、沈まないヴェールを授けてくれ、オデュッセウスは2日2晩泳いで、海の民パイエケス人の国に流れ着いた。

ここまでの冒険のほとんどは、実はこの国の王の宴で、オデュッセウス自身が語った思い出話である。語り終えた彼は、パイエケス人の船で眠ったまま運ばれ、トロイアを出てから10年、出征してから20年目に、ようやく故郷イタケの浜に降ろされた。巨人の祈りどおり、遅く、仲間をすべて失い、他人の船で。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』、本田技研工業『Honda公式Q&A「オデッセイの名前の由来を教えて」』
寄港地は実在の場所なのか。歴史家ポリュビオスは、ホメロスは旅の舞台をシチリアの周辺に置いたと考え、スキュラの描写もスキュライオンの岩の辺りで行われる漁の様子と合うと論じた。トリナキエ島をシチリアの古名トリナクリアと結びつける見方もある。
トゥキュディデス『戦史(ペロポネソス戦争史)』 前5世紀末、ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
反対に、地理学者エラトステネスは「風の袋を縫った靴屋を見つけたら、オデュッセウスがさまよった場所も見つかるだろう」と言ったと伝えられる。詩の地理を現実の地図に当てはめること自体に意味がない、という立場。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
寄港地の大半は、物語の中で「いま起きていること」としては描かれない。パイエケス人の王アルキノオスの宴で、オデュッセウスが名乗ったうえで過去を語る、という入れ子の形になっている。カリュプソの島から先(5〜8歌)だけが、語り手ホメロスによって直接語られる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
トロイアを出て最初に着いたのはキコネス族の町イスマロス。略奪は成功したが、引き上げろという命令を仲間が聞かずに酒盛りを続け、翌朝の反撃で船ごとに6人ずつ失った。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
漂流が長引いた直接の理由は、ポリュペモスの父ポセイドンの怒り。目を潰されたポリュペモスが「帰すな、帰すとしても遅く、仲間を失い、他人の船で」と祈り、その通りの帰り方になる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
船団は途中で一隻ずつ削られていく。ライストリュゴネス族のところで自分の船以外を失い、トリナキエ島を出たあと最後の船も雷で沈んで、オデュッセウスはひとりになる。イタケに着くときは、パイエケス人の船に乗せられ眠ったまま。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
トロイアの10年に帰り道の10年が重なり、イタケに戻るのは出発から20年目。そのうち7年はカリュプソの島に引き留められていた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ロートスを食べて帰郷を忘れた仲間を、オデュッセウスは泣くのもかまわず船へ引き戻し、漕ぎ座の下に縛りつけた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
アイオロスは9歳の牛の皮の袋に荒い風を閉じ込めて銀の紐で船に縛り、西風だけを送った。10日目に故郷の烽火が見えたところで、オデュッセウスが眠ったすきに仲間が金銀が入っていると思って袋を開け、船団はアイオロスの島へ吹き戻された。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
セイレーンの島では、仲間の耳を蜜蝋でふさぎ、自分は帆柱に縛られて歌を聞いた。ほどけと合図すると、仲間はかえって縄を増やして締めた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
3.613-638 キュクロプスの洞窟の場面にいた一人として、自分の目で見たことを語る(『オデュッセイア』9歌には名前は出てこない)
仲間の筆頭格。ヘリオスの牛を食べようと言い出す(12歌)