キュテラ沖で9日間北風に流された先にある土地。旅の最初の「人ならざる世界」への入口として位置づけられる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

Λωτοφάγοι人間
ロートスを食べた仲間を船へ引き戻すオデュッセウス。17世紀の版画。 『ロートスを食べる人々の島のオデュッセウス』 テオドール・ファン・トゥルデン 1633年Public domain
英語には「ロータス・イーター」という言葉がある。現実を忘れて心地よさにひたっている人のことだ。もとになったのは、英雄オデュッセウスが故郷へ帰る旅の途中で出会った、ある花の実を食べて暮らす人々である。
では、『オデュッセイア』に描かれたこの不思議な人々の話を見ていこう。
トロイア戦争が終わり、オデュッセウスの船団は故郷イタケを目指していた。ところがギリシャの南の岬を回ったところで、北風と潮の流れに押し流され、9日間、魚の多い海の上を漂った。10日目にたどり着いたのが、花の実を食べて暮らす人々の土地だった。
一行は上陸して水を汲み、浜で食事をとった。オデュッセウスは、ここに住むのはどんな人々か確かめるため、仲間を二人選び、伝令を一人つけて送り出した。
三人は、その土地の人々に出会った。人々は三人に危害を加えなかった。ただ、自分たちの食べているロートスという実を分け与えただけだった。
この実が、蜜のように甘かった。口にした者は、仲間のもとへ戻って報告することも、故郷へ帰ることも忘れてしまった。ただ、ここでこの人々と一緒に実を摘んで暮らしたい。それしか考えられなくなったのだ。
オデュッセウスは、泣いて嫌がる三人を力ずくで船まで引きずっていき、漕ぎ手の座る板の下に縛りつけた。そして残りの仲間に、急いで船に乗れと命じた。ほかにもロートスを口にして、帰る気持ちを失う者が出ないように。仲間たちはすぐに乗り込み、並んで座って、灰色の海を櫂で打った。
長い帰り道で、オデュッセウスたちは一つ目の巨人に仲間を食われ、魔女に豚に変えられ、怪物に襲われる。その中で、この人々だけは誰にも暴力を振るっていない。危ないのは人ではなく、甘い実そのものだった。
ロートスが何の植物だったのかは、『オデュッセイア』には書かれていない。「花の食べ物」「蜜のように甘い実」とあるだけだ。のちに歴史家ヘロドトスは、北アフリカのリビアに住む人々の食べるロートスの実を、ナツメヤシのように甘く、酒も造れる実として書き残している。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ヘロドトス『歴史』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
キュテラ沖で9日間北風に流された先にある土地。旅の最初の「人ならざる世界」への入口として位置づけられる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
彼らは偵察の3人を害さず、ロートスを分け与えただけである。『オデュッセイア』の敵の中で、暴力をまったく振るわない唯一の相手。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
蜜のように甘い実を食べた者は、帰ることも報告することも忘れ、ロートパゴイの中に留まって実を摘んでいたいと願うだけになる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
オデュッセウスは泣く彼らを力ずくで船まで引きずり、漕ぎ座の下に縛りつけ、他の者に急いで乗り込むよう命じた。指揮官が仲間の意志に反して助ける、作中で数少ない場面。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ロートスが具体的にどの植物かはホメロスには書かれておらず、原文は「花の食べ物(ἄνθινον εἶδαρ)」「蜜のように甘い実」とだけ記す。実在の植物として描いたのはヘロドトスが早く、リビュアのロートパゴイの食べる実をナツメヤシの実のように甘く、酒も造ると説明する。ポリュビオスはさらに詳しく木と実の姿を述べ、メニンクス島(ジェルバ島)に彼らを置く。現代の植物学でナツメ属 Ziziphus lotus に当てるのは後世の同定である。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ヘロドトス『歴史』 前430年頃
マレア岬を回るところで波と潮と北風に押し戻され、9日間漂流し、10日目にロートパゴイの地に着いた。オデュッセウスは二人を選び、伝令を一人つけて偵察に送った。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
縛りつけたあと、オデュッセウスは他の仲間にロートスを食べて帰郷を忘れる者が出ないよう急いで乗船させ、仲間は並んで座り灰色の海を櫂で打った。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
lotus-eater(ロートパゴス族/怠惰な享楽者)「現実を忘れて心地よさに浸る人」の意の英語(1812年)。『オデュッセイア』第9歌で、その実を食べると帰郷を忘れてしまうロートス(lotos)を常食する人々 lotophagoi にちなむ。英語 lotophagi はすでに1600年頃に見える。