ギリシャ神話の地図
オデュッセウス王ペネロペイア王妃テレマコス王子ラエルテス先代の王アテナ女神ニンフ洞窟の主ペネロペイアの求婚者たち居座る者パイエケス人海の民

イタケ

Ἰθάκη場所

オデュッセウスの漂流14 / 14

アメリカのニューヨーク州に、イサカという町がある。1795年、この土地を測量した役人が、英雄オデュッセウスの故郷の島にちなんで名付けた。まわりの土地にも、ユリシーズ、ホーマー、トロイといった古代ゆかりの地名が並んでいる。1911年にカヴァフィスが詩「イタケ」を書いてからは、この島の名は、たどり着く場所というより、旅そのものを表す言葉として読まれることが多くなった。

本家のイタケは、『オデュッセイア』の中でどう描かれているのか。

イタケは、イオニア海に浮かぶ小さな島である。オデュッセウス自身が、海の民パイエケス人の王の前で、故郷をこう紹介している。私の住むイタケには、森が風に揺れる山がそびえ、遠くからでもよく見える。まわりには島々がいくつも寄り合っているが、イタケはいちばん西の、夕闇のほうに寄っている。岩だらけの島だが、若者を育てるよい乳母だ。自分の国ほど甘いものを、私はほかに知らない。

女神アテナも、島をこう描く。岩がちで、馬を走らせるような土地はない。狭いけれど、決して貧しい島ではなかった。麦は数えきれないほど実り、葡萄も育ち、雨も露も絶えない。山羊や牛を飼うにもよく、あらゆる木が茂り、一年中涸れない泉もある。

オデュッセウスがトロイア戦争に出てから、この島では20年のあいだ、一度も民会が開かれなかった。王のいない館には、王妃ペネロペイアに言い寄る男たちが、イタケとまわりの島々から押しかけ、主人の財産を食いつぶしていた。

機を織るペネロペイアのもとへ、求婚者たちが押しかけてくる。
機を織るペネロペイアのもとへ、求婚者たちが押しかけてくる。『ペネロペイアと求婚者たち』 ピントゥリッキオ 1509年ごろ ロンドン・ナショナル・ギャラリーPublic domain

20年目、オデュッセウスは、パイエケス人の船で眠ったまま島に運ばれ、港の奥の入り江の浜に降ろされた。入り江の奥にはオリーブの木があり、そのそばに、ニンフたちの洞窟があった。ところが目を覚ましたオデュッセウスには、そこが故郷だと分からなかった。女神アテナが、あたりに霧をかけていたからである。どこの国に置き去りにされたのか、と彼は嘆いた。

やがて女神が霧を晴らすと、見覚えのある入り江とオリーブの木、洞窟と山が姿を現した。オデュッセウスは喜び、麦を実らせる大地に口づけした。

『オデュッセイア』の描く地形は、現在のイタキ島とうまく合わないところがある。そのため19世紀から、別の島こそが「本当のイタケ」だという説が何度も出されてきた。決着はまだついていない。

この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、コンスタンディノス・カヴァフィス『イタケ』、ヴィルヘルム・デルプフェルト『古イタケ — ホメロス問題への一寄与』、ロバート・ビトルストン(J. ディグル、J. アンダーヒルと共著)『オデュッセウス・アンバウンド — ホメロスのイタケを探して』、New York Almanack『測量長官サイモン・デウィット——ニューヨーク州のギリシャ地名をつくった男』

この物語の人々

こういう風にも語られている

ホメロスの地理描写が現在のイタキ島の地形と合わないとして、別の島を「ホメロスのイタケ」とする説が19世紀以降繰り返し提出されてきた。デルプフェルトは『古イタケ』(1927)でレフカダ島を、ビトルストンらは『オデュッセウス・アンバウンド』(2005)でケファロニア島西部のパリキ半島(青銅器時代には独立した島だったとする)を挙げる。決着はついていない。

ヴィルヘルム・デルプフェルト『古イタケ — ホメロス問題への一寄与』 1927年、ロバート・ビトルストン(J. ディグル、J. アンダーヒルと共著)『オデュッセウス・アンバウンド — ホメロスのイタケを探して』 2005年

もっと詳しく

オデュッセウス自身が「陽の沈む方に最も寄った低い島。岩がちで馬を走らせる土地はないが、若者を育てるよき乳母だ。自分の国にまさるものは見たことがない」と語る。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

近隣の島としてドゥリキオン、サメ、ザキュントスが挙げられる。求婚者もこの4島から集まっており、イタケは小島の連合の中心として描かれる。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

帰着の場所はポルキュスの入り江。奥にオリーブの木があり、ニンフ(ナイアス)たちの洞があって、石の織機と甕、蜜蜂の巣があると詳細に描写される。パイエケス人は眠る彼をここに降ろした。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

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20年ぶりに降り立ったオデュッセウスは、アテナが霧をかけていたため故郷と分からず絶望する。霧が晴れて土地を確かめ、大地に口づけする。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

オデュッセウスが出征して以来20年、一度も民会が開かれていなかったと語られる。王の不在が政治の空白として具体的に示される。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

アテナはイタケを、岩がちで馬を駆る土地はなく狭いが貧しくはなく、麦と葡萄がよく実り、雨と露に恵まれ、山羊と牛の牧に適し、木々が茂り、涸れない水場がある島と説明する。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

今の言葉に残る

イサカ(ニューヨーク州)ニューヨーク州中部の都市。1795年に測量長官サイモン・デウィットがオデュッセウス(ラテン名ウリクセス、英語ユリシーズ)の故郷にちなんで命名した。周囲の軍用地には Ulysses, Homer, Hector など古典古代の地名が並ぶ。カヴァフィスの詩「イタケ」(1911年)は、帰り着くべき島イタケを、旅そのものに意味があるという主題で歌い直した。

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このページの出典(3件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  2. 1927年ヴィルヘルム・デルプフェルト『古イタケ — ホメロス問題への一寄与』
  3. 2005年ロバート・ビトルストン(J. ディグル、J. アンダーヒルと共著)『オデュッセウス・アンバウンド — ホメロスのイタケを探して』