アメリカのニューヨーク州に、イサカという町がある。1795年、この土地を測量した役人が、英雄オデュッセウスの故郷の島にちなんで名付けた。まわりの土地にも、ユリシーズ、ホーマー、トロイといった古代ゆかりの地名が並んでいる。1911年にカヴァフィスが詩「イタケ」を書いてからは、この島の名は、たどり着く場所というより、旅そのものを表す言葉として読まれることが多くなった。
本家のイタケは、『オデュッセイア』の中でどう描かれているのか。
イタケは、イオニア海に浮かぶ小さな島である。オデュッセウス自身が、海の民パイエケス人の王の前で、故郷をこう紹介している。私の住むイタケには、森が風に揺れる山がそびえ、遠くからでもよく見える。まわりには島々がいくつも寄り合っているが、イタケはいちばん西の、夕闇のほうに寄っている。岩だらけの島だが、若者を育てるよい乳母だ。自分の国ほど甘いものを、私はほかに知らない。
女神アテナも、島をこう描く。岩がちで、馬を走らせるような土地はない。狭いけれど、決して貧しい島ではなかった。麦は数えきれないほど実り、葡萄も育ち、雨も露も絶えない。山羊や牛を飼うにもよく、あらゆる木が茂り、一年中涸れない泉もある。
オデュッセウスがトロイア戦争に出てから、この島では20年のあいだ、一度も民会が開かれなかった。王のいない館には、王妃ペネロペイアに言い寄る男たちが、イタケとまわりの島々から押しかけ、主人の財産を食いつぶしていた。
機を織るペネロペイアのもとへ、求婚者たちが押しかけてくる。『ペネロペイアと求婚者たち』 ピントゥリッキオ 1509年ごろ ロンドン・ナショナル・ギャラリーPublic domain20年目、オデュッセウスは、パイエケス人の船で眠ったまま島に運ばれ、港の奥の入り江の浜に降ろされた。入り江の奥にはオリーブの木があり、そのそばに、ニンフたちの洞窟があった。ところが目を覚ましたオデュッセウスには、そこが故郷だと分からなかった。女神アテナが、あたりに霧をかけていたからである。どこの国に置き去りにされたのか、と彼は嘆いた。
やがて女神が霧を晴らすと、見覚えのある入り江とオリーブの木、洞窟と山が姿を現した。オデュッセウスは喜び、麦を実らせる大地に口づけした。
『オデュッセイア』の描く地形は、現在のイタキ島とうまく合わないところがある。そのため19世紀から、別の島こそが「本当のイタケ」だという説が何度も出されてきた。決着はまだついていない。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、コンスタンディノス・カヴァフィス『イタケ』、ヴィルヘルム・デルプフェルト『古イタケ — ホメロス問題への一寄与』、ロバート・ビトルストン(J. ディグル、J. アンダーヒルと共著)『オデュッセウス・アンバウンド — ホメロスのイタケを探して』、New York Almanack『測量長官サイモン・デウィット——ニューヨーク州のギリシャ地名をつくった男』