ギリシャ神話の地図
ゼウス宿敵ヘラもう一人の母ヘルメス腱を盗んだ神スフィンクス娘ケルベロス息子ガイア母キマイラ娘ヒュドラ娘

テュポン

Τυφῶν怪物

英語で台風のことを「タイフーン」という。この言葉の成り立ちは入り組んでいて、アラビア語などで大嵐を指す言葉から来たとも、広東語の「大風」が影響したともいわれる。その源の一つに数えられているのが、ギリシャ語で「つむじ風」を意味し、あらゆる荒々しい風の父とされた怪物テュポンの名である。

では、神々の王ゼウスをあわや倒しかけたこの怪物の物語を見ていこう。

ゼウスが古い神々との戦争に勝ち、天の支配を固めたあとのことだった。大地の女神ガイアは、地の底の深淵タルタロスと交わって、最後の子を産んだ。それがテュポンである。『神統記』によれば、その肩からは百の蛇の頭が生え、目からは火が燃えていた。頭の一つ一つが、神々にも分かる言葉を話すかと思えば、猛る牡牛の声、獅子の声、子犬の鳴き声、山にこだまする蛇の音まで、ありとあらゆる声を放った。

『神統記』は言う。もしゼウスがすぐに気づかなかったら、この怪物が神々と人間の王になっていただろう。ゼウスは雷鳴をとどろかせ、天も地も海も沸き返るなかでオリュンポスから飛びかかり、怪物のすべての頭を雷で焼いた。打ち倒されたテュポンの体から噴き出した炎で、大地の広い範囲が、炉で溶ける錫のように溶けた。ゼウスは怪物を地の底のタルタロスへ投げ込んだ。

後の時代の神話集が語る戦いは、もっと危なっかしい。そこでのテュポンは、上半身は人の形だが山よりも大きく、頭はしばしば星に触れた。両腕を広げれば東と西の果てに届き、腿から下は巨大な毒蛇のとぐろだった。燃える岩を投げつけながら天に向かってくる怪物を見て、神々はエジプトへ逃げ出し、動物に姿を変えて隠れたという。

ゼウスだけが踏みとどまった。遠くからは雷を浴びせ、近づいては硬い金属の鎌で斬りつける。深手を負った怪物を追い詰め、組み合った。ところがテュポンはとぐろでゼウスを締め上げ、鎌を奪い取ると、ゼウスの手足の腱を切り取ってしまった。動けなくなったゼウスは洞窟に閉じ込められ、腱は熊の皮に包まれて、竜の娘に見張られた。

雷を手に迫るゼウスと、翼と蛇の下半身を持つテュポン。
雷を手に迫るゼウスと、翼と蛇の下半身を持つテュポン。『ゼウスとテュポン(ヒュドリア〈水がめ〉の絵)』 前550年ごろ ミュンヘン国立古代美術博物館Public domain

神々の王を救ったのは、盗みの名人ヘルメスだった。ヘルメスは仲間とともに腱を盗み出し、こっそりゼウスの体に戻した。力を取り戻したゼウスは、翼のある馬の車で天から雷を浴びせ、怪物を追い立てる。逃げるテュポンは運命の女神たちにだまされ、食べれば力がつくと言われて、はかない果実を口にした。最後にシチリアの海を逃げようとしたところへ、ゼウスはエトナ山を投げつけ、その下敷きにした。

古代ギリシャの詩人ピンダロスや悲劇作家アイスキュロスは、テュポンはいまもエトナ山の下に押さえつけられ、火の流れを噴き上げていると書いている。火山の噴火は、この怪物の吐く炎だというわけだ。

テュポンは、多くの怪物の父でもあった。上半身が美しい娘で下半身が蛇の女怪エキドナとのあいだに、冥界の番犬ケルベロス、九つの頭を持つ水蛇ヒュドラ、火を吐くキマイラ、そしてオイディプスに謎をかけたスフィンクスが生まれた。英雄ヘラクレスが戦った怪物の多くは、この一家の出身である。

この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、ピンダロス『祝勝歌集』、アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

こういう風にも語られている

『神統記』では、ゼウスがティタンたちを天から追い払ったあと、大地ガイアがタルタロスと交わって末子テュポエウスを産む。肩からは百の蛇の頭が生え、目から火を放ち、神々に通じる言葉から牡牛・獅子・子犬の声、山にこだまする蛇の音まで、あらゆる声を出した。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

『アポロン讃歌』では、ゼウスが自分だけでアテナを産んだことに怒ったヘラが、大地と天とティタンたちに祈ってゼウスに頼らず一人で子を産み、それがテュパオンだったとされる。ヘラはこの子をデルポイの雌の大蛇に預けて育てさせた。

作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃

ローマ以後の語り

アポロドロスでは、テュポンの頭は星に届き、両腕は東西の果てまで伸び、腿から下は大蛇のとぐろ。神々はエジプトへ逃げて動物に姿を変えた。ゼウスは組み合って逆に手足の腱を切り取られ、コリュキオンの洞窟に閉じ込められるが、ヘルメスとアイギパンが腱を盗み返す。最後はシチリア沖でエトナ山を投げつけられて下敷きになる。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

もっと詳しく

ゼウスは雷鳴をとどろかせてオリュンポスから飛びかかり、テュポエウスのすべての頭を焼いた。倒れた怪物から出た炎で大地の大部分が錫のように溶け、ゼウスは彼を広いタルタロスに投げ込む。もしゼウスが素早く気づかなければ、テュポエウスが神々と人間の王になっていた、と詩人は言う。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

テュポエウスからは、南風・北風・西風以外の、湿った荒々しい風が生まれる。これらは季節ごとに吹き荒れて船を散らし船乗りを殺し、陸では畑を砂嵐で台なしにする。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

『イリアス』は、行軍するギリシャ勢の足音を、ゼウスが「アリモイの地でテュポエウスの寝床のまわりの大地を鞭打つ」ときのように大地がうめいた、とたとえる。ホメロスではこの一回しか出てこない。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

残り2件を読む

ピンダロスは、かつてキリキアの洞窟で育った百頭のテュポンが、いまはシチリアのエトナ山と海岸の崖に押さえつけられ、そこから火の流れを噴き上げていると歌う。アイスキュロス『縛られたプロメテウス』でも、エトナの下に押しつぶされたテュポンがいつか火の川を噴き出すと予言される。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半、アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』 前5世紀

テュポンはエキドナと交わって、ゲリュオネスの犬オルトス、冥界の番犬ケルベロス、レルナのヒュドラを生む。アポロドロスはさらに、キマイラ、ネメアの獅子、ヘスペリデスの林檎を守る竜、プロメテウスの肝臓をついばむ鷲、テバイのスピンクスもテュポンの子とする。ヘラクレスが戦う怪物の多くがこの一家の出身である。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ほかのつながり(2人)

家族・恋愛

  • ギガース兄弟姉妹

    1.6.3 ギガースが敗れたあと、ガイアがタルタロスと交わってテュポンを産む(母が同じ)

  • ピュトン養親

    『アポロン讃歌』305-355 ヘラからテュポンを受け取って育てた

今の言葉に残る

台風 / typhoon英語 typhoon の成り立ちは複雑で、etymonline は複数の源が重なったと説明する。ギリシャ語 typhōn「つむじ風」は風の父である巨人テュポンの名でもあり、英語では1550年代から「激しい嵐」の意味で使われた。一方、東インドの大嵐を指す用法は16世紀半ばのポルトガル語に始まり、アラビア語・ペルシャ語・ヒンディー語で大嵐を表す tufan から来たとみられる。広東語の「大風」が形や意味に影響した可能性もあるという。tufan 自体がギリシャ語から来たとする説と、純粋にセム語だとする説がある。

星座になった話

次に読む

このページの出典(6件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  3. 前7〜6世紀頃作者不詳『ホメロス風讃歌』
  4. 前5世紀前半ピンダロス『祝勝歌集』
  5. 前5世紀アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』
  6. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』