ホメロスの形: 冥界のオデュッセウスは「オイディポデスの母、美しいエピカステ」を見る。彼女は知らずに息子と結婚し、息子は父を殺して彼女を娶ったが、神々はすぐにこれを人々に知らせた。エピカステは高い梁に縄をかけて死んだが、オイディプスは神々の定めで苦しみながらも、そのままテーバイでカドモスの民を治め続けた。自ら目を突く話も、国を追われる話も出てこない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

Οἰδίπους英雄
スフィンクスの謎に向き合うオイディプス。アングルの絵。 『オイディプスとスフィンクス』 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 1808年Public domain
「エディプス・コンプレックス」という言葉がある。幼い男の子が母親を慕い、父親を恋敵のように感じる心の動きを、精神分析のフロイトがそう名づけた。「エディプス」は英語読みで、もとのギリシャ語の名はオイディプス。知らないうちに父を殺し、母を妻にしてしまった王の名前である。
悲劇は、この子が生まれる前から始まっていた。
ギリシャ中部の町テーバイの王は、デルポイの神託から警告を受けていた。息子をもうけてはならない。生まれた子は父を殺す。ところが王は酒に酔って妻と交わり、男の子が生まれた。王は赤子のくるぶしを留め金で刺し貫き、牛飼いに渡して山に捨てさせた。
赤子は死ななかった。隣の国コリントスの王の牛飼いたちが拾い、子のいない王妃のもとへ届けたのだ。王妃は我が子として育て、腫れた足を治してやり、「腫れた足」という意味の名を付けた。これがオイディプスである。

たくましく育った若者は、ある日仲間から、お前は拾われた子だとからかわれる。育ての母に尋ねても答えは得られない。オイディプスはデルポイへ行き、本当の親は誰かと神に尋ねた。返ってきたのは、問いの答えではなかった。故郷へ帰るな。お前は父を殺し、母と交わることになる。
育ての親を本当の親だと信じていたオイディプスは、コリントスに戻らないと決め、旅に出た。狭い山道で、向こうから車に乗った老人がやって来る。先触れの男が道をあけろと命じ、ぐずぐずしていたオイディプスの馬を一頭殺した。怒ったオイディプスは、先触れも老人も殺してしまう。その老人が、実の父だった。
たどり着いたテーバイは、怪物に苦しめられていた。女の顔、獅子の胸と足と尾、鳥の翼を持つスフィンクスが山に座り、テーバイの人々に謎をかけていたのだ。一つの声を持ちながら、四つ足にも、二本足にも、三本足にもなるものは何か。答えられない者を、スフィンクスはさらって食べた。王家の若者までが犠牲になり、謎を解いた者には王国と先王の妃を与える、というお触れが出た。

オイディプスは答えた。人間だ。赤ん坊のときは手と足で這い、大人になれば二本の足で歩き、老いれば杖という三本目の足をつく。スフィンクスは城の上から身を投げた。オイディプスは王となり、先王の妃、つまり実の母を妻にして、二人の息子と二人の娘をもうけた。
ソポクレスの悲劇『オイディプス王』が描くのは、それから長い年月が過ぎたあとである。テーバイは疫病に襲われ、作物も家畜も女たちの出産も絶えていく。神託は告げる。先王を殺した者がこの町にいる。その者を追い出せ。オイディプスは犯人を必ず見つけ出すと誓い、呪いをかけた。
盲目の予言者が呼ばれ、しぶしぶ口を開く。あなたが探している殺害者は、あなた自身だ。オイディプスは怒って取り合わない。だが調べを進めるほど、話は一つにつながっていく。先王が殺された狭い三叉路。コリントスからの使者が明かす、自分は山で赤子を受け取り、子のない王に渡したのだという話。そして最後に呼び出された年老いた牛飼いが、その赤子はこの国の王家の子で、自分が王妃から受け取った子だと認めた。
真相が明らかになったとき、王妃はすでに寝室で首を吊っていた。駆け込んだオイディプスは、彼女の衣から金の留め金を引き抜き、何度も自分の目に突き立てた。見てはならないものを見て、見るべきものを見なかった目だ、と叫びながら。そして、この国から追放してくれと願った。
盲目になった王は、娘アンティゴネに手を引かれて国を出た。ソポクレスの死後に上演された『コロノスのオイディプス』では、放浪の果てにアテナイ近くのコロノスという土地にたどり着き、英雄テセウスに迎えられて、そこで世を去る。見捨てた息子たちには、兄弟で殺し合うという呪いを残した。

ところが、いちばん古い『オデュッセイア』では、話がずいぶん違う。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ソポクレス『オイディプス王』、ソポクレス『コロノスのオイディプス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
ホメロスの形: 冥界のオデュッセウスは「オイディポデスの母、美しいエピカステ」を見る。彼女は知らずに息子と結婚し、息子は父を殺して彼女を娶ったが、神々はすぐにこれを人々に知らせた。エピカステは高い梁に縄をかけて死んだが、オイディプスは神々の定めで苦しみながらも、そのままテーバイでカドモスの民を治め続けた。自ら目を突く話も、国を追われる話も出てこない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ソポクレスの形: 真相が明らかになると、イオカステは寝室で首を吊る。駆け込んだオイディプスは、彼女の衣から金のブローチを引き抜き、何度も自分の目を突いた。そしてテーバイを去ることを願う。ホメロスとの最大の違いは、この自ら目を突く行為と追放にある。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
エウリピデスの形: 『フェニキアの女たち』では、真相を知ったオイディプスは金のブローチで目を突くが、成長した息子たちが彼を館の奥に閉じ込め、人目から隠している。イオカステは生きており、息子たちの争いを止めようと奔走する。
エウリピデス『フェニキアの女たち』 前410年頃上演
子(エテオクレス、ポリュネイケス、アンティゴネ、イスメネ)の母が誰かも割れる。ソポクレスやアポロドーロスはイオカステとするが、アポロドーロスは「エウリュガネイアの子とする者もいる」と添える。パウサニアスは、ホメロスが「神々はすぐに知らせた」と言う以上、母との間に4人も子はいなかったはずだと論じ、叙事詩『オイディポデイア』を根拠に母はエウリュガネイアだとする。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
最期の場所も出典で違う。『イリアス』には「倒れたオイディポデス」の葬礼の競技がテーバイで行われたとあり、テーバイで死んだ王として扱われている。ソポクレス『コロノスのオイディプス』では、盲目となって娘アンティゴネに手を引かれて放浪し、アテナイ近郊のコロノスでテセウスに迎えられて世を去る。ヘシオドスも、「オイディプスの羊の群れ」をめぐって七つの門のテーバイで戦いがあったと記し、財産を残して死んだ王として語る。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ヘシオドス『仕事と日』 前700年頃、ソポクレス『コロノスのオイディプス』 前401年上演(作者の死後)、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
フロイトは、男児が母に愛着を持ち父を競争相手とみなす心の構図を、この物語にちなんで名付けた。英語 Oedipus complex の初出は1910年、形容詞 Oedipal は1939年から。日本語では英語読みの「エディプス・コンプレックス」が定着し、神話の人物名「オイディプス」とは別の表記になった。娘の場合の「エレクトラ・コンプレックス」は、1913年にユングが名付けた対の用語。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
パゾリーニの映画『アポロンの地獄』(1967)は、原題がそのまま『オイディプス王(Edipo re)』のソポクレス原作映画。邦題には「オイディプス」の語が入っていない。
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督『アポロンの地獄』 1967年
スフィンクスの謎は「一つの声を持ち、四つ足にも二本足にも三本足にもなるものは何か」。オイディプスは、赤子は四つ足で這い、大人は二本足、老人は杖をついて三本足になる人間だと答えた。スフィンクスは城から身を投げた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
コリントスを避けて旅に出たオイディプスは、ポキスの狭い道でライオスの車に行き合い、道をあけろと命じた先触れポリュポンテスが馬を一頭殺したことに怒って、先触れとライオスを殺した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
名前は「腫れた足」と解された。生まれて3日目に、ライオスが赤子のくるぶしを留め金で貫いて山に捨てさせたため、とソポクレスもアポロドーロスも説明する。コリントス王ポリュボスの妃がこの子を引き取り、足の腫れからオイディプスと名付けた。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
『オイディプス王』は、疫病に苦しむテーバイで、先王ライオスの殺害者を追い出せという神託が下るところから始まる。オイディプスは犯人を呪い、テイレシアスに犯人だと告げられ、コリントスからの使者と、赤子を渡した老いた牛飼いの証言によって、自分の素性にたどり着く。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
787-793
3.5.9 盲目のオイディプスがアテナイ近くのコロノスにあるエウメニデスの聖域にたどり着く
エディプス・コンプレックス(Oedipus complex)男の子が、同性の親である父を憎み、母を慕う無意識の傾向。フロイトの用語で、英語 Oedipus complex は1910年から記録がある(形容詞 Oedipal は1939年から)。知らずに父を殺し母と結婚したテーバイ王オイディプスにちなむ。日本語の辞典では、神話の人名表記「オイディプス」ではなく「エディプス」の形で載っている。オイディプスの名は、ギリシャ語の oidan(腫れる)と pous(足)からなり、「腫れた足」の意味である。