同名の別人: オウィディウスの『変身物語』でアラクネが織る布の片隅に描かれる「アンティゴネ」は、トロイア王ラオメドンの娘で、ユノと美を競ったためにコウノトリ(白い鳥)に変えられた人物。オイディプスの娘とは関係がない。
オウィディウス『変身物語』 8年頃

Ἀντιγόνη人間
兄ポリュネイケスの亡骸の前に立つアンティゴネ。リトラスの絵。 『ポリュネイケスの亡骸の前のアンティゴネ』 ニキフォロス・リトラス 1865年Public domain
1944年、ドイツ軍に占領されたパリで、一本の芝居が幕を開けた。ジャン・アヌイの『アンチゴーヌ』。王の命令に逆らう娘と、権力を引き受ける王。作品はどちらにも肩入れしない形をとって検閲を通ったが、観客はそこに、占領と抵抗の姿を重ねて見た。
もとになったのは、前441年ごろに上演されたソポクレスの悲劇である。その物語を見ていこう。
アンティゴネは、テーバイの王オイディプスの娘である。父は、知らずに自分の父を殺し、自分の母を妻にしていた。アンティゴネと妹、そして二人の兄は、その結婚から生まれた子どもたちだった。真相が明るみに出ると、母は首をくくり、父は自分の目をつぶしてテーバイを追われた。
盲目になった父の手を引いて放浪したのが、アンティゴネである。ソポクレスの悲劇『コロノスのオイディプス』は、アテナイ近くの聖なる森に、娘に手を引かれた老いた父がたどり着く場面から始まる。父はその地で世を去った。

テーバイに残った二人の兄は、王位を争った。約束の王位を渡してもらえず国を追われた兄は、よその国の軍勢を連れて故郷に攻め寄せ、二人は一騎打ちで相討ちになって死ぬ。新しく王になった叔父クレオンは布告を出した。国を守って死んだほうは手厚く葬る。国を攻めた兄の遺体は野ざらしにして、犬と鳥の餌にせよ。弔った者は、町じゅうの人の手で石打ちの刑にする。
ソポクレスの悲劇『アンティゴネ』は、ここから始まる。アンティゴネは妹を誘った。一緒に兄を葬ろう。妹はおびえて止めた。私たちは女、男と争うようには生まれていない。力の強い者に従うしかない、と。アンティゴネは一人で出かけ、兄の遺体に土をかけた。
見張りに捕らえられて王の前に引き出されても、彼女はひるまない。布告のことは知っていた。けれど、あの布告を出したのはゼウスではない。人間の布告が、書かれてはいないが揺るぐことのない神々の掟を踏み越えられるとは思わない、と言い放った。
クレオンは譲らなかった。アンティゴネは、生きたまま岩屋に閉じ込められることになる。引かれていく前、彼女は自分の運命を、山の上で石になった悲しみの母ニオベになぞらえて嘆いた。
クレオンの息子は、アンティゴネの婚約者だった。父をいさめても聞き入れられない。そこへ盲目の予言者が現れ、神々が怒っていると警告した。ようやくクレオンは考えを改め、岩屋へ急ぐ。だが遅かった。アンティゴネはすでに首をつって死んでいた。遺体を抱いていた息子は父に剣を向け、それから自分を刺した。知らせを聞いたクレオンの妻も、自ら命を絶った。王の布告は、王自身の家族を次々に奪って終わった。
悲劇作家エウリピデスの『フェニキアの女たち』では、別の結末が描かれる。クレオンに息子との結婚を迫られたアンティゴネは、その夜、私は花婿を殺す花嫁になるだろう、と言い返し、追放される父についていく道を選んだ。
この物語の出典: ソポクレス『アンティゴネ』、ソポクレス『オイディプス王』、エウリピデス『フェニキアの女たち』、ソポクレス『コロノスのオイディプス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ジャン・アヌイ『アンチゴーヌ』
同名の別人: オウィディウスの『変身物語』でアラクネが織る布の片隅に描かれる「アンティゴネ」は、トロイア王ラオメドンの娘で、ユノと美を競ったためにコウノトリ(白い鳥)に変えられた人物。オイディプスの娘とは関係がない。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ジャン・アヌイの戯曲『アンチゴーヌ』は、1944年、ドイツ占領下のパリで初演された。権威を拒むアンティゴネと、権威を引き受けるクレオンのどちらにも肩入れしない曖昧さを保ち、検閲を通った。観客はそこに占領と抵抗を重ねて見た。
ジャン・アヌイ『アンチゴーヌ』 1944年初演
ホメロスにもヘシオドスにもアンティゴネは登場しない。『オデュッセイア』のエピカステ(イオカステ)の話には子どもの名が出てこない。人物像が確立するのは前5世紀の悲劇から。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ソポクレスの形: 兄エテオクレスとポリュネイケスが相討ちで死んだ後、王となった叔父クレオンは、国を攻めたポリュネイケスの埋葬を禁じる。アンティゴネは妹イスメネの制止を振り切って兄に土をかけ、捕らえられると、クレオンの布告よりも「書かれてはいないが揺るがない神々の掟」に従ったと言い放つ。
ソポクレス『アンティゴネ』 前441年頃上演
クレオンはアンティゴネを生きたまま岩屋に閉じ込める。テイレシアスの警告を受けて考えを改めたクレオンが岩屋に着いたとき、アンティゴネはすでに首を吊っていた。婚約者だったクレオンの息子ハイモンは父に剣を向けたあと自害し、知らせを聞いたクレオンの妻エウリュディケも自ら命を絶つ。(オルペウスの妻とは同名の別人)
ソポクレス『アンティゴネ』 前441年頃上演
岩屋へ連れて行かれる前、アンティゴネは自分の運命を、シピュロス山で石になったタンタロスの娘ニオベになぞらえて嘆く。
ソポクレス『アンティゴネ』 前441年頃上演
アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』(前467年)の結末にも、ポリュネイケスの埋葬禁止に逆らうアンティゴネが登場する。ただしこの結末部は、ソポクレスの作品の影響を受けて後から書き加えられたとする説がある。
アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』 前467年上演
ソポクレス『コロノスのオイディプス』とエウリピデス『フェニキアの女たち』では、アンティゴネは盲目の父に付き添って放浪する娘として描かれる。『フェニキアの女たち』の結末では、クレオンから彼の息子との結婚を迫られると「その夜、私はもう一人のダナオスの娘になる」(初夜に夫を殺したダナイデスのように)と言い返し、父の追放に同行する道を選ぶ。
エウリピデス『フェニキアの女たち』 前410年頃上演、ソポクレス『コロノスのオイディプス』 前401年上演(作者の死後)
クレオンの布告は、国を攻めたポリュネイケスを弔うことも嘆くことも禁じ、鳥と犬の餌として野ざらしにせよというもの。アンティゴネによれば、違反者は町じゅうの手による石打ちの刑とされた。妹イスメネは、女は男と争うようにできていない、力の強い者に従うしかないと言って加わらない。
ソポクレス『アンティゴネ』 前441年頃上演
二度目に遺体を葬ろうとしたところを見張りに捕らえられ、クレオンの前に引き出される。
ソポクレス『アンティゴネ』 前441年頃上演
戦後、兄ポリュネイケスを葬る。3.7.1