ホメロスとソポクレスでは、真相が明らかになるとすぐ首を吊って死ぬ。ホメロスは「悲しみに打ち負かされ、高い梁から縄をかけた」とだけ言い、ソポクレスは寝室に駆け込んでライオスの名を呼び、閉ざした戸の向こうで縄にかかっていた姿を使者に語らせる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ἰοκάστη人間
イオカステと別れるオイディプス。カバネルの絵。 『イオカステと別れるオイディプス』 アレクサンドル・カバネル 1843年Public domain
「エディプス・コンプレックス」という言葉がある。男の子が母親に愛着を持ち、父親を競争相手とみなす心の構図のことで、フロイトがギリシャ神話にちなんで名づけた。もとになったのは、知らずに父を殺し、母と結婚したテーバイの王オイディプスの物語だ。
その物語の中で、夫を殺した男の妻となり、しかもその男が自分の産んだ息子だった女性がいる。イオカステである。彼女の側から、この悲劇をたどってみよう。
イオカステは、テーバイの王ライオスの妃だった。夫婦のもとに、恐ろしい神託が届く。生まれてくる子の手にかかって、ライオスは死ぬ、と。子が生まれて3日もたたないうちに、ライオスはその両足のくるぶしを留め金で刺しつなぎ、人の手に託して人里離れた山に捨てさせる。
年月がたち、ライオスは旅の途中、三本の道が交わる場所で殺された。国は怪物スフィンクスに苦しめられている。後の神話集によれば、王位を継いだイオカステの兄弟は、スフィンクスの謎を解いた者に王位とライオスの妻を与える、と触れを出した。謎を解いたのは、よその国から来た若者オイディプス。イオカステは褒美として彼に嫁ぎ、子どもたちをもうけた。

悲劇作家ソポクレスの『オイディプス王』は、それから何年もたってからのテーバイを描く。町は疫病に襲われ、原因はライオス殺しの犯人がまだ罰せられていないことだと神託が告げる。オイディプスは犯人探しを始めた。
この劇のイオカステは、神託を信じない女性として描かれる。人間の中に予言の術を持つ者などいない、と彼女は夫に言う。現にライオスは息子に殺されるはずだったのに、三本の道が交わる所で盗賊に殺されたではないか、と。夫を安心させようとしたその一言が、かえってオイディプスの記憶を呼び起こした。彼はかつて、まさにそういう場所で一人の老人を殺していたのである。
母と結婚するという神託を恐れる夫に、イオカステはこうも言った。夢の中で母と寝た男など大勢いる。そんなことを気にしない者ほど、楽に生きられるのだ、と。
やがて、少しずつ真相が見えてくる。先に気づいたのはイオカステだった。夫が生まれの秘密を突き止めようとすると、彼女は必死に止めた。お願い、自分の命が惜しいなら、この探索はやめて。そして言い残す。不幸な人、あなたが自分が誰なのか、決して知ることがありませんように。
イオカステは館の奥へ駆け込んだ。寝室の戸を閉ざし、死んだライオスの名を呼び、夫から夫を、子から子を産んでしまったわが身の結婚を嘆いた。戸を破ってオイディプスが飛び込むと、彼女は縄で首を吊って死んでいた。オイディプスはその衣から金の留め針を抜き取り、自分の両目を何度も突く。
『オデュッセイア』には、同じ女性が別の名で現れる。英雄オデュッセウスが冥界で出会う女たちの中に、知らずに大それたことをした母エピカステの姿がある。悲しみに打ちひしがれ、高い梁から縄をかけて死んだ、という。
ところが悲劇作家エウリピデスは、別の結末を描いた。そこではイオカステは真相が知れたあとも生き続け、王位をめぐって争う二人の息子を和解させようと奔走する。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ソポクレス『オイディプス王』、エウリピデス『フェニキアの女たち』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
ホメロスとソポクレスでは、真相が明らかになるとすぐ首を吊って死ぬ。ホメロスは「悲しみに打ち負かされ、高い梁から縄をかけた」とだけ言い、ソポクレスは寝室に駆け込んでライオスの名を呼び、閉ざした戸の向こうで縄にかかっていた姿を使者に語らせる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
エウリピデス『フェニキアの女たち』では、真相の発覚後もイオカステは生きていて、劇の冒頭で自ら身の上を語る。王位をめぐって対立する息子エテオクレスとポリュネイケスの仲を取り持とうとするが、二人が一騎討ちで相討ちになると、死体から剣を取って自分の喉を刺し、二人を抱いたまま息絶える。
エウリピデス『フェニキアの女たち』 前410年頃上演
ホメロスでの名はエピカステ。冥界でオデュッセウスが見る女たちの一人として、「知らずに大それたことをした」オイディポデスの母として語られる。イオカステの名は悲劇から。アポロドーロスは両方の名を併記している。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ソポクレスのイオカステは、神託を疑う人物として描かれる。「人間のうちに予言の術を持つ者などいない」と言い、ライオスは息子に殺されるはずだったのに三叉路で盗賊に殺された、と例を挙げてオイディプスを安心させようとする。その「三叉路」の一言が、かえってオイディプスに疑いを抱かせる。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
父はメノイケウスで、兄弟にクレオンがいる。アポロドーロスでは、ライオスが殺された後に王位を継いだのがクレオンで、スフィンクスの謎を解いた者に王位とライオスの妻を与えると布告した。イオカステとの結婚は、謎解きの褒美として差し出されたものだった。
エウリピデス『フェニキアの女たち』 前410年頃上演、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『オイディプス王』でイオカステが語るところでは、ライオスに「生まれる子の手にかかって死ぬ」という神託が下り、子が生まれて3日もたたないうちに、ライオスはその両くるぶしを刺しつなぎ、人の手で人里離れた山に捨てさせた。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
母と結婚するという神託を恐れるオイディプスに、イオカステは「夢の中で母と寝た男は大勢いる。気にしない者ほど楽に生きられる」と言う。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
羊飼いの話から真相を悟ったイオカステは、自分の命が惜しいならこの探索はやめて、とオイディプスを止め、「不幸な人、あなたが誰なのか決して知ることがありませんように」と言って館に去る。
ソポクレス『オイディプス王』 前429年頃上演(推定)
3.5.8(エウリュガネイアの子とする異伝も)/『アンティゴネ』1「同じ母から生まれた妹」
息子たちの和解を試み、相討ちの後に自害する。『フェニキアの女たち』69-87, 1455-1459