女神アテナが、不死にする薬を手に、瀕死の英雄のもとへ駆けつける。ところがその目の前で、英雄は敵の首を割り、中の脳をすすっていた。女神は顔をそむけ、与えるはずだった不死を取りやめた。
後の神話集が伝えるこの凄惨な最期の主が、テュデウスである。『イリアス』では、アテナにいちばん愛された勇者の一人だったはずの男。その生涯を追ってみよう。
テュデウスは、ギリシャ西部のある国の王子だった。ところが人を殺して、故郷を追われる。殺した相手は、伝えによって父の兄弟だったとも、自分の兄弟だったとも、父に陰謀を企てた者たちだったともいう。
逃れた先はアルゴスだった。夜、王の館の前で、テュデウスはもう一人の亡命者と鉢合わせし、取っ組み合いになる。相手は、兄弟に王位を奪われてテーバイを追われた王子だった。騒ぎを聞いて出てきたアルゴス王は、二人の盾を見てはっとする。一人の盾には猪の前半身、もう一人の盾には獅子の前半身が描かれていた。王はかつて、娘たちを猪と獅子に嫁がせよ、と予言されていたのである。王は二人を娘婿に迎え、それぞれを故郷へ帰してやると約束した。
こうして始まったのが、七人の将がテーバイを攻めた戦争である。
戦の前、テュデウスはただ一人、使者としてテーバイへ乗り込んだ。『イリアス』で総大将アガメムノンが語るところでは、テーバイの王の館では宴が開かれていた。よそ者は一人きりだったが、少しも臆せず、居並ぶテーバイの男たちに力比べを挑み、アテナの助けで全員を負かしてしまった。怒ったテーバイ人は、帰り道に50人もの伏兵を置く。テュデウスはそのすべてを殺し、神々のしるしに従って、ただ一人だけを生かして帰した。
アテナ自身も、のちにこう振り返っている。テュデウスは体は小さかったが、戦士だった。私がおとなしくしていなさいと言ったのに、テーバイの若者たちに挑んで、全員に勝ってしまったのだ、と。
悲劇作家アイスキュロスの『テーバイを攻める七将』では、テュデウスは城の門の前で、真昼の蛇のようにわめき散らす荒武者として描かれる。一緒に戦う予言者が、不吉なしるしが出ているから川を渡るなと止めると、臆病者と罵った。予言者のほうは、テュデウスを人殺し、町を乱す者、アルゴスに災いを教える者、と呼び返している。
テーバイの戦いで、テュデウスは敵の一人に腹を刺された。息も絶え絶えのところへ、アテナがゼウスから授かった薬を持ってくる。そこへ、出陣を強いられてテュデウスを恨んでいた、あの予言者が動いた。テュデウスがいまわの際に討ち取った相手の首を切り落として、彼に投げ与えたのである。テュデウスはその頭を割り、脳をすすった。それを見た女神は嫌悪し、不死の恵みを取り上げた。
テュデウスの息子ディオメデスは、のちにトロイア戦争で活躍する勇将になる。『イリアス』でディオメデスは、父はテーバイの地で盛り土の下に眠っている、と語っている。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』、パウサニアス『ギリシア案内記』