アルテミス・ラプリアの像: パウサニアスによれば、アウグストゥスがアイトリアの住民をアクティオン近くの新都市ニコポリスへ移したとき、カリュドンの戦利品とともにアルテミス・ラプリアの像がパトライ(現パトラ)に与えられ、2世紀にもアクロポリスで祀られていた。狩人姿の金と象牙の像だった。「ラプリア」の由来として、像を建てたポキスの人ラプリオスの名とする説と、オイネウスへの女神の怒りが時とともに「軽く(エラプロテロン)」なったからとする説を挙げる。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
Καλυδών場所
ギリシャ中の英雄が一頭の巨大な猪を追った「カリュドンの猪狩り」。その舞台になった町がカリュドンである。ギリシャ中西部にあった古い町で、『イリアス』では「岩がちの」「急峻な」「愛らしい」カリュドンと呼ばれている。
では、この町がどんな物語の舞台になり、その後どうなったのか見ていこう。
カリュドンを治めていたのは、王オイネウスだった。ある年、王は収穫の初物を神々に捧げたとき、狩りの女神アルテミスにだけ捧げるのを忘れてしまう。怒った女神は、白い牙の巨大な猪を送り込んだ。猪は王の果樹園を荒らし、大木を根こそぎ引き倒した。王の息子メレアグロスが、ギリシャ中から狩人と犬を集めて、ようやくこの猪を倒した。

ところが、猪の頭と毛皮をめぐって争いが起き、隣の部族との戦争になった。敵はカリュドンに攻め寄せ、城門に迫り、城壁を越えて町に火を放とうとした。町の長老たちは、母の呪いに腹を立てて戦いから身を引いていたメレアグロスに、カリュドンの平野でいちばん肥えた土地を与えると約束して、出陣を頼んだ。半分は葡萄畑、半分は畑になる、広い土地だった。
トロイア戦争のころ、カリュドンの人々は、40隻の船でトロイアへ向かった。けれど率いていたのは、オイネウスの一族ではなかった。『イリアス』によれば、王の息子たちも、金髪のメレアグロスも、すでにこの世にはいなかったからだ。オイネウス自身も、のちに王位を奪われて国を追われた。孫の英雄ディオメデスが祖父をアルゴスに迎え、その地に葬ったと伝えられる。
町は、ずっと後の時代に姿を消した。2世紀の旅行家パウサニアスによれば、ローマの初代皇帝アウグストゥスが、この地方の人々を新しく建てた町へ移したとき、カリュドンの神々の像も運び出された。その一つ、狩人の姿をした金と象牙のアルテミス像は、港町パトライのアクロポリスに移され、パウサニアスの時代にも祀られていた。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
アルテミス・ラプリアの像: パウサニアスによれば、アウグストゥスがアイトリアの住民をアクティオン近くの新都市ニコポリスへ移したとき、カリュドンの戦利品とともにアルテミス・ラプリアの像がパトライ(現パトラ)に与えられ、2世紀にもアクロポリスで祀られていた。狩人姿の金と象牙の像だった。「ラプリア」の由来として、像を建てたポキスの人ラプリオスの名とする説と、オイネウスへの女神の怒りが時とともに「軽く(エラプロテロン)」なったからとする説を挙げる。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
パトライには「カリュドンのディオニュソス」の社もあり、その像もカリュドンから運ばれた。パウサニアスはこれにまつわる話として、カリュドンの神官コレソスと娘カリロエの悲恋を伝える。コレソスを拒んだカリロエの代わりに町を狂気と死が襲い、ドドナの神託が彼女を犠牲にせよと告げたが、祭壇でコレソスは彼女の代わりに自ら命を絶ち、後悔したカリロエも港近くの泉で自害した。その泉はカリロエと呼ばれるようになったという。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アルゴス近郊のオイノエという地名は、カリュドンを追われたオイネウスにちなむとアルゴス人は言う。王位を奪われたオイネウスを孫ディオメデスがアルゴスに迎え、死後その地に葬ったためだという。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ホメロスでは「岩がちの」「急峻な」「愛らしい」カリュドンと呼ばれる。船のカタログでは、アンドライモンの子トアスが、プレウロン、オレノス、カルキスなどとともにカリュドンのアイトリア人を率いて40隻で参戦する。オイネウスの息子たちも、メレアグロスもすでに亡く、トアスが指揮を任された、と添えられている。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
『イリアス』のメレアグロスの話では、猪狩りの後、クレテス人がカリュドンを攻め、城壁を越えて町に火を放ちかけた。守りを固めていたアイトリア人は、籠もっていたメレアグロスに、カリュドンの平野で最も肥えた50ギュエス(ギュエスは耕地の単位)の土地、半分は葡萄畑、半分は畑を報酬として約束する。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
トロイアへ40隻を率いたのはアンドライモンの子トアスで、オイネウスの息子たちも金髪のメレアグロスももはや生きていなかったので、彼にアイトリア人の指揮が託された。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃