ギリシャ神話の地図
アンティロコス息子パトロクロス助言した相手アガメムノン総大将アキレウス説いた相手テレマコスもてなした客ヘラクレス故郷を攻めた英雄テセウス昔の仲間カリュドンの猪狩り若き日の狩り

ネストル

Νέστωρ英雄

英語の「ネスター」という言葉は、仲間うちでいちばん年長の、頼りにされる賢い助言者のことを指す。トロイアに攻め寄せたギリシャ勢の最長老で、誰よりも話が長く、誰よりも昔を知っていた老王の名から来た言葉である。

では、この老王ネストルが『イリアス』と『オデュッセイア』でどんな役を果たしたのか見ていこう。

ネストルは、ギリシャ南西部の町ピュロスの王である。『イリアス』によれば、彼はすでに二つの世代の人々が生まれては死んでいくのを見届け、いまは三代目の人々を治めていた。若いころには、英雄ヘラクレスがピュロスを攻めて、12人いた兄弟のうち彼ひとりだけが生き残ったこともある。トロイアには、90隻の船を率いてやって来た。

ネストルは、『イリアス』で「その舌からは蜜よりも甘い声が流れた」と紹介される。彼の武器は腕力ではなく、言葉だった。

最初の出番は、物語の冒頭にある。総大将アガメムノンと英雄アキレウスが、戦利品の娘をめぐって激しく言い争う。ネストルは二人のあいだに立ち、若者たちに説いた。私は昔、お前たちよりもっと優れた男たちと付き合ってきた。英雄テセウスもその一人だ。その彼らでさえ、私の言うことに耳を傾けた。だから、お前たちも聞きなさい。けれど二人とも聞かなかった。

ネストルの話は、とにかく長い。戦況を尋ねに来たアキレウスの親友パトロクロスは、急いでいるのに、ネストルが若いころ牛を奪い合った戦いの思い出話を延々と聞かされることになる。ところが、その長話の最後に、ネストルは一つの提案をした。アキレウスが戦わないなら、せめてお前がアキレウスの鎧を借りて出撃しなさい。トロイア勢はアキレウスが戻ってきたと思って退くだろう。

この善意の助言が、物語を大きく動かした。パトロクロスはアキレウスの鎧で出撃し、トロイアの総大将ヘクトルに討たれる。怒ったアキレウスはヘクトルを討ち、やがて自分も死ぬ。老人の知恵が、破局の最初の一歩になった。

パトロクロスの葬儀の競技では、ネストルは息子に戦車競走のこつを細かく教えている。お前の馬は遅い。だから馬の速さではなく、知恵で勝て。折り返しの柱ぎりぎりを回れ。

戦争が終わると、ネストルは無事にピュロスへ帰り着いた、数少ない将の一人になった。『オデュッセイア』では、行方の知れない父を探して旅に出たオデュッセウスの息子を、ピュロスで温かくもてなす。そしてここでも、トロイアの思い出を長々と語って聞かせた。その中には、トロイアで死んだその息子への嘆きも混じっていた。走るのも戦うのも、とび抜けていた息子だった、と。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

もっと詳しく

すでに二世代の人間が死に絶え、三代目の人々を治めていると書かれる。トロイアにいる誰よりも古い時代を実際に見てきた人物という設定。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

「その舌からは蜜よりも甘い声が流れた」と紹介される。武勇ではなく言葉で場を動かす人物として立てられている。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

冒頭でアガメムノンとアキレウスの間に立って仲裁を試みるが、双方に「昔の英雄たちは私の言うことを聞いた」と説いても、どちらも聞かない。『イリアス』の長老の助言はしばしば失敗する。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

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アキレウスが動かないなら、せめて武具を借りてパトロクロスが出撃し、トロイア勢を欺けばよい——と持ちかける。この助言がパトロクロスの死、ひいてはヘクトルとアキレウスの死につながっていく。善意の助言が破局の起点になっている。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

話が長い。エペイオイ人との牛争いの昔話は約90行続き、聞き手のパトロクロスは急いでいるのに聞かされ続ける。『イリアス』は老人の饒舌を笑わず、そこから助言を引き出す形にしている。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

パトロクロスの葬礼競技では、息子アンティロコスに戦車の操り方を細かく教える。馬の速さで劣るぶん「機略(メーティス)」で勝てと説く助言は、そのまま『オデュッセイア』の知恵の主題につながる。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

『オデュッセイア』ではトロイアで失った息子アンティロコスを「走るのも戦うのもとび抜けていた」と悼む。ホメロスはその死の場面そのものは描かず、父の嘆きの側から見せる。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

帰路の無事な数少ない将のひとりで、ピュロスに戻って穏やかに暮らしている。『オデュッセイア』3巻では、父を探すテレマコスを迎えて延々と昔話を聞かせる。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

ほかのつながり(6人)

家族・恋愛

敵対・殺害

  • アウゲイアス敵対

    11.698-702、11.737-741 アウゲイアスがネレウスの競走馬を取り上げ、のちのピュロスとエペイオイ(エリス)の戦でネストルがアウゲイアスの婿ムリオスを討つ

  • ケンタウロス族敵対

    1.259-272 若いころの戦い

出来事・場所・物

今の言葉に残る

nestor(長老・賢明な助言者)「集団の中で最も年長で経験豊かな人、経験に基づいて助言する人」を指す英語の普通名詞(1580年代から)。『イリアス』で三世代を生きた年老いた賢者、ピュロスの王ネストルの名から。メントル(mentor)と並ぶ、ホメロスの登場人物が普通名詞になった例。

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このページの出典(6件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前7世紀頃アギアス(伝)『帰国物語(ノストイ)』
  4. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  5. 1世紀後半ウァレリウス・フラックス『アルゴナウティカ(ウァレリウス・フラックス)』
  6. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』