ギリシャ神話の地図
1アルクマイオン2テイレシアス

エピゴノイのテーバイ攻め

Ἐπίγονοι出来事

「エピゴーネン」という言葉がある。先人のまねばかりで独創性のない追随者、亜流のことだ。ドイツ語を経て日本語に入り、芥川龍之介も使っている。もとは「後に生まれた者たち」という意味のギリシャ語で、神話では、ある特定の世代を指した。父たちが失敗した戦いに、10年後に挑み直した息子たち、エピゴノイである。

亜流どころか、父を超えた世代の話だった。その戦いを見ていこう。

テーバイの王位をめぐる兄弟の争いから、七人の将がテーバイを攻めた。けれども結果は惨敗で、七将のうち生きて帰ったのはアルゴスの王アドラストスただ一人だった。

アポロドーロスによれば、10年がたって、倒れた将たちの息子たちが、父の仇を討とうと立ち上がった。神託を仰ぐと、アンピアラオスの息子アルクマイオンを将にすれば勝つ、と告げられる。アンピアラオスは、妻に首飾りで買収されて、死ぬと分かっていた戦に出された予言者だった。出陣の前、息子たちに、大人になったら母を殺し、テーバイを攻めよと言い残していた。

アルクマイオンは、母を罰するまでは軍を率いたくないと渋った。しかも母は、今度は別の宝物、衣を贈られて、息子たちにも出陣を勧めていた。贈り主は、父の代の戦を始めた男の息子である。

結局、アルクマイオンが将となり、息子たちは出陣した。アポロドーロスが挙げる顔ぶれには、のちにトロイア戦争で活躍するディオメデスや、その戦友ステネロスもいる。

一行はまずテーバイのまわりの村々を荒らした。迎え撃ったのは、父の代に相討ちで死んだテーバイ王の息子だった。彼はアドラストスの息子を討ち取ったが、自分もアルクマイオンに倒された。父の代でただ一人生き残ったのがアドラストスで、子の代でただ一人死んだのがその息子だった、というめぐり合わせになる。

テーバイの人々は城壁の中へ逃げ込んだ。盲目の老予言者テイレシアスは、敵に使者を送って交渉するふりをさせ、そのすきに女と子どもを車に乗せて町を捨てるよう勧めた。夜、一行がある泉にたどり着いたとき、テイレシアスはその水を飲んで息を引き取った。長い旅の末、テーバイの人々は遠くに新しい町を建てた。

逃げたことを知ったアルゴス勢は、空になった町に入って戦利品を集め、城壁を打ち壊した。そして勝てば最も美しい戦利品を捧げると誓っていたとおり、テイレシアスの娘を戦利品とともにデルポイのアポロンに捧げた。

テーバイを落としたあと、アルクマイオンは、母が自分のことでも買収されていたと知って、いっそう怒りを募らせた。そしてアポロンの神託に従い、母を殺した。その報いに、彼は母殺しの復讐の女神に追われて正気を失い、各地をさまようことになる。

のちのトロイアの戦場で、総大将アガメムノンがディオメデスを父と比べてなじったとき、言い返したのはステネロスだった。私たちは父たちよりはるかに優れている。少ない兵で、もっと固い城壁の、七つの門のテーバイを落としたのだから。父たちは自分の愚かさで滅んだのだ。父たちを、私たちと同じ誉れに並べないでくれ。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』、小学館『デジタル大辞泉』

この物語の人々

こういう風にも語られている

アポロドーロスの名簿: アンピアラオスの子アルクマイオンとアンピロコス、アドラストスの子アイギアレウス、テュデウスの子ディオメデス、パルテノパイオスの子プロマコス、カパネウスの子ステネロス、ポリュネイケスの子テルサンドロス、メキステウスの子エウリュアロス。デルポイの神託が、アルクマイオンを将とすれば勝つと告げた。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ヒュギヌスの名簿: 「七人のエピゴノイ」として、アドラストスの子アイギアレウス、ポリュネイケスの子テルサンドロス、ヒッポメドンの子ポリュドロス、アンピアラオスの子アルクマイオン、パルテノパイオスの子トレシメネスを挙げ、別の版としてステネロス、ディオメデス、パルテノパイオスの子ビアンテスを含む名簿も並べる。パルテノパイオスの子の名がプロマコス、トレシメネス、ビアンテスと三通りに割れる。

ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

奉納像: パウサニアスは、デルポイにアルゴス人が七将の像と並べて奉納したエピゴノイの像として、ステネロス、アルクマイオン(年長ゆえにアンピロコスより先に並んでいると彼は推測する)、プロマコス、テルサンドロス、アイギアレウス、ディオメデス、エウリュアロスを挙げる。アルゴス人は、これらをアテナイと共にスパルタに勝ったオイノエの戦いの戦利品で作ったと言う。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

テーバイの陥落: ラオダマスが倒れると、テイレシアスはテーバイ人に使者を送って交渉するふりをし、その間に女子どもを車に乗せて逃げるよう勧めた。夜、ティルプッサの泉で水を飲んだテイレシアスはそこで息絶える。逃れたテーバイ人はヘスティアイアという町を建てた。アルゴス勢は無人の町に入って城壁を壊し、戦利品の一部とテイレシアスの娘マントをデルポイのアポロンに捧げた。パウサニアスは、グリサスの戦いで敗れたテーバイ人の多くがラオダマスとイリュリアへ逃れ、一部がテッサリアのホモレ山に移り、のちに戻ったときに通った門が「ホモロイスの門」と呼ばれるようになった、というテーバイの伝承も記す。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

ローマ以後の語り

父の戦いの鏡写し: 父の代でただ一人生き残ったのはアドラストスだったが、子の代でただ一人死んだのはアドラストスの子アイギアレウスだった。アポロドーロスでは、アイギアレウスはエテオクレスの子ラオダマスに討たれ、そのラオダマスはアルクマイオンに討たれる。ヒュギヌスも、父が生き残った代わりにアイギアレウスが身代わりに命を落としたと説明する。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

テーバイを落としたあと、アルクマイオンは母エリピュレが自分のことでも買収されていたと知っていっそう怒り、アポロンの神託に従って母を殺した(弟アンピロコスと共にとする説もある)。母殺しのエリニュスに追われて狂気に陥り、各地をさまよう。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

もっと詳しく

ホメロスでの扱い: 『イリアス』4歌で、アガメムノンにディオメデスを父テュデウスと比べて貶されたステネロス(カパネウスの子)が反論する。「我々は父たちよりはるかに優れている。より少ない兵で、より強い城壁の七門のテーバイを落とした。父たちは自らの愚かさで滅んだのだから、父たちを我々と同じ名誉に並べるな」。エピゴノイの勝利は、ホメロスの時点ですでに前提として知られていた。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

失われた叙事詩『エピゴノイ』: ヘロドトスは、ヒュペルボレオイ(極北の民)について「ホメロスが『エピゴノイ』で語っている、本当にホメロスがこの詩を作ったのなら」と書き、この詩がホメロス作とされながら疑われていたことを伝える。詩そのものは失われた。

ヘロドトス『歴史』 前430年頃

寄港地

  1. 1アルクマイオン
  2. 2テイレシアス

今の言葉に残る

エピゴーネン(epigone)思想・文学・芸術などで、先人をまねるばかりで独創性のない追随者・亜流を指す語。日本語へはドイツ語 Epigonen から入り、精選版日本国語大辞典は芥川龍之介の1927年の文章を用例に挙げる。英語 epigone は1865年から。もとはギリシャ語 epigonos「後に生まれた者」で、複数形エピゴノイは古典では特に、テーバイと戦った七将の息子たちを指した。父祖の偉業の後に生まれた者、という意味合いが「亜流」へと転じた。

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このページの出典(5件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前430年頃ヘロドトス『歴史』
  3. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  4. 1〜2世紀頃ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』
  5. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』