アガメムノンが殺されたのち、エレクトラが弟オレステスをひそかに連れ出してポキスのストロピオスに預け、オレステスはその子ピュラデスとともに育った。成長してデルポイで仇討ちの可否を問い、許しを得て、ピュラデスとともにひそかにミュケナイへ戻り、母とアイギストスを殺した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ὀρέστης英雄
復讐の女神たちに追われるオレステス。ウィリアム・アドルフ・ブグローの作。 『オレステスの悔恨(復讐の女神たちに追われるオレステス)』 ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1862年Public domain
母を殺した息子が、『オデュッセイア』では「見習うべき若者」として褒められている。父の帰りを待つオデュッセウスの息子は、作中で何度もこう言い聞かされる。オレステスがどれほどの名声を得たか、聞いているだろう。お前も勇敢であれ。
では、『オデュッセイア』では英雄の手本とされ、後の悲劇では罪人として裁かれた若者オレステスの物語を、はじめから見ていこう。
オレステスは、トロイア戦争のギリシャ軍総大将アガメムノンの息子である。父が10年の戦を終えてミュケナイへ帰った日、事件は起きた。留守のあいだに、母は、ある男と通じていた。二人は帰ってきたアガメムノンを殺した。アポロドーロスの伝えでは、母は袖も襟もない衣を夫に渡し、夫がそれを着ようとしているところを二人で斬り殺したという。
幼いオレステスを救ったのは、姉のエレクトラだった。弟をこっそり連れ出して、遠くの王に預けたのである。オレステスはその家で、王の息子ピュラデスと兄弟のように育った。
成長したオレステスは、デルポイのアポロンの神託を訪ね、父を殺した者たちに報いるべきかと問うた。神は許した。オレステスはピュラデスとともにひそかにミュケナイへ戻り、母の愛人と、そして母を討った。
『オデュッセイア』が語るのはここまでだ。仇が7年のあいだ治めた国を、8年目に帰ってきて取り戻した見事な息子。母については、その葬いの宴を開いた、と結果がさらりと書かれるだけで、母殺しの罪も、それを責める者も出てこない。
アテネの悲劇作家アイスキュロスは、ここから先を舞台にかけた。父の墓の前で、姉と弟は再会する。墓に供えられた一房の髪と足跡で、姉は弟が帰ってきたことを知った。オレステスはアポロンの命令に従って母を討つ。ところがその直後から、彼には恐ろしい女たちの姿が見えはじめる。身内の血を流した者をどこまでも追う、復讐の女神たちだった。
逃げたオレステスは、アテネにたどり着く。女神アテナは市民の中から裁判官を選び、丘の上に法廷を開いた。訴えるのは復讐の女神たち、弁護するのは母殺しを命じたアポロン。票はちょうど半分に割れ、最後にアテナの一票で、オレステスは無罪となった。血には血で報いる復讐の連鎖が、法廷の判決で断ち切られた場面として読まれている。
それでも狂気は去らなかった。どうすれば治るのかと問うと、アポロンは答えた。遠い北の地にある女神アルテミスの木像を持ち帰れ。その地では、よそ者は生贄にされる。捕らえられ、神殿の巫女のもとへ送られたオレステスは、そこで思いがけない人に出会う。かつて父が戦争の門出に生贄に捧げようとし、女神に救われた姉イピゲネイアだった。姉弟は木像を持って、ともに逃げ出した。
故郷に戻ったオレステスは、姉エレクトラを親友ピュラデスに嫁がせ、自分はメネラオスとヘレネの娘を妻にして、父の国を治めた。最期は、蛇に噛まれて死んだと伝えられる。
同じ若者が、『オデュッセイア』では手本とされ、悲劇ではさまざまに描き直された。エウリピデスの描くオレステスは、神の法廷ではなく町の人々の集会にかけられ、死刑を宣告されてしまう。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』、エウリピデス『タウリケのイピゲネイア』、エウリピデス『オレステス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
アガメムノンが殺されたのち、エレクトラが弟オレステスをひそかに連れ出してポキスのストロピオスに預け、オレステスはその子ピュラデスとともに育った。成長してデルポイで仇討ちの可否を問い、許しを得て、ピュラデスとともにひそかにミュケナイへ戻り、母とアイギストスを殺した。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
タウリケから戻ったオレステスは、エレクトラをピュラデスに嫁がせ、自らはヘルミオネ(一説にエリゴネ)を娶ってティサメノスをもうけ、アルカディアのオレステイオンで蛇に噛まれて死んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロスでは、クリュタイムネストラは袖も襟もない衣をアガメムノンに渡し、彼がそれを着ようとしているところを斬り殺させた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『オデュッセイア』ではオレステスは「見習うべき息子」の見本として何度も引き合いに出される。テレマコスに対し「オレステスがどれほど名声を得たか聞いているだろう」と説教の材料に使われる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ホメロスは母殺しを正面から書かない。オレステスが討ったのはアイギストスであり、母については「母と臆病なアイギストスの葬礼をアルゴス人に振る舞った」と結果だけが述べられる。罪の意識も復讐女神も出てこない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
アイスキュロス『供養する女たち』では、アポロンの神託に命じられて母を討つ。直後からエリニュエス(復讐の女神たち)に見え、追われて逃げる。『慈しみの女神たち』でアテナイのアレイオス・パゴスに法廷が開かれ、票が同数となってアテナの一票で無罪になる。私的な復讐を公的な裁判に置き換えた場面として読まれる。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年
エウリピデス『オレステス』では神の裁きではなくアルゴス市民の集会にかけられ、姉とともに死刑を宣告される。追い詰めた末にヘレネとその娘を人質に取ろうとするところまで行く。同じ人物が、悲劇詩人によって英雄にも追い詰められた若者にもなる。
エウリピデス『オレステス』 前408年
『タウリケのイピゲネイア』では、エリニュエスから逃れるためアルテミス像を持ち帰るよう命じられてタウリケに渡り、生贄にされかけたところで巫女が姉だと分かる。復讐譚が再会と救出の物語に転じている。
エウリピデス『タウリケのイピゲネイア』 前414年頃
姉エレクトラとの再会で使われる「しるし」が作家ごとに違う。アイスキュロスでは墓前の髪と足跡と織物、エウリピデス『エレクトラ』ではその三つを老人が持ち出すとエレクトラが一つ一つ理屈で否定してみせ、代わりに眉の傷跡で認める。悲劇が先行作を批評している珍しい例。
アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年、エウリピデス『エレクトラ』 前420年頃
470-629 娘クリュタイムネストラの子
『慈しみの女神たち』34-45
『オデュッセイア』3.303-310 8年目にアテナイから戻りアイギストスを討つ。『ノストイ』プロクロス要約