ギリシャ神話の地図
オレステス弟アガメムノン父クリュタイムネストラ母ミュケナイ家の都イピゲネイア姉
黒い衣で、父アガメムノンの墓の前に立つエレクトラ。

エレクトラ

Ἠλέκτρα人間

黒い衣で、父アガメムノンの墓の前に立つエレクトラ。 『アガメムノンの墓のエレクトラ』 フレデリック・レイトン 1868〜1869年Public domain

「エレクトラ・コンプレックス」という言葉がある。女の子が父親を慕い、母親に対抗心を抱く心の動きを指して、心理学者ユングが1913年に名づけた。フロイトの「エディプス・コンプレックス」の、娘の側の呼び名である。もとになったのは、父を殺した母への復讐に取り憑かれたギリシャ神話の王女エレクトラだ。

エレクトラは、トロイア戦争の総大将アガメムノンの娘である。父が戦争から凱旋したその日、母は夫を館の中で殺し、愛人とともに国を奪った。悲劇作家ソポクレスによれば、幼い弟は、エレクトラの手から年老いた守り役に託されて国の外へ逃がされた。エレクトラ自身は、父の仇である母と愛人のもとに残された。

意外なことに、『イリアス』にも『オデュッセイア』にも、エレクトラという名前が一度も出てこない。『イリアス』でアガメムノンが自分の娘として挙げるのは、別の三つの名前だ。エレクトラを物語の中心に押し出したのは、アテナイの三人の悲劇作家たちだった。三人は同じ筋を、それぞれまったく違うエレクトラに描いている。

最初に書かれたアイスキュロスの劇では、エレクトラは父の墓に供え物を捧げに行き、そこで墓に置かれた一房の髪の毛と足跡を見つける。自分の髪と同じ色、自分の足と同じ形。弟が帰ってきたのだ。姉弟は再会し、エレクトラは復讐を後押しする。だが、母を手にかける場面に彼女は加わらない。劇の後半になると、姿さえ見えなくなる。

父の墓の前で嘆くエレクトラ。
父の墓の前で嘆くエレクトラ。『アガメムノンの墓のエレクトラ』 フレデリック・レイトン 1868〜1869年Public domain

ソポクレスの劇では、はじめから終わりまでがエレクトラの嘆きと執念でできている。父の死を嘆き続け、母と正面から言い争う。そこへ、弟が死んだという知らせが届く。偽の知らせだとは知らないエレクトラは、それなら自分ひとりで仇を討つと決め、協力を拒む妹と激しく対立する。主役が、弟から姉に移っている。

エウリピデスのエレクトラは、また違う。王家の娘でありながら、王宮を追われて貧しい農夫に嫁がされていた。名ばかりの結婚で、農夫は彼女に指一本触れない。弟との再会の場面では、老人がアイスキュロスの劇と同じ「墓の髪の毛」「足跡」を持ち出して、弟が帰ってきたのではと言う。エレクトラはそれを、男と女で髪が同じはずがない、足の大きさも違う、と一つずつ理屈で退けてしまう。先に書かれた有名な劇の場面を、劇の中で笑ってみせている。最後に弟だと分かるのは、眉に残った古い傷あとによってだった。そしてこの劇では、母をおびき寄せる計略を立てるのは、エレクトラ自身である。

同じ一人の王女が、作家によって、控えめな協力者にも、執念の化身にも、計略を立てる当事者にもなる。エレクトラという名前がどこから来たのかについても、古代には面白い説明が残っている。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ホメロス『オデュッセイア』、アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』、エウリピデス『エレクトラ』、ソポクレス『エレクトラ』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

ローマ以後の語り

精神分析の用語「エレクトラ・コンプレックス」は彼女の名に由来する。1913年にユングが、フロイトのエディプス・コンプレックスの女性版として名づけた(フロイト自身はこの呼称を有用と認めなかった)。語源の節も参照。

ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

もっと詳しく

ホメロスにエレクトラという名は出てこない。『イリアス』9.144-145 に挙がるアガメムノンの娘は、クリュソテミス、ラオディケ、イピアナッサの三人である。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

『イリアス』9.145 はアガメムノンの娘をクリュソテミス・ラオディケ・イピアナッサの三人とし、エレクトラの名が無い。アイリアノスは、ステシコロスより古い抒情詩人クサントスが彼女をラオディケと呼んでいたと伝え、夫を持たないまま歳を重ねたので「臥所の無い(ア・レクトロス)」からエレクトラと呼ばれるようになったのだと説明する。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、アイリアノス(クラウディウス・アエリアヌス)『ギリシア奇談集』 2〜3世紀

アイスキュロス『供養する女たち』では、父の墓に献酒に来て弟と再会し、復讐を後押しするが、殺害の場面には加わらない。劇の後半では姿を消してしまう。

アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年

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ソポクレス『エレクトラ』では劇の全体が彼女の嘆きと執念でできている。弟が死んだという偽の報せを信じて一人で復讐を実行しようとし、妹クリュソテミスと対立する。主役が弟から姉に移っている。

ソポクレス『エレクトラ』 前410年代頃

エウリピデス『エレクトラ』では、王家の娘でありながら貧しい農夫に嫁がされている。名ばかりの結婚で、農夫は彼女に手を触れない。王宮から引き離された屈辱が動機になり、母を家へおびき寄せる計略を自ら立てる。

エウリピデス『エレクトラ』 前420年頃

エウリピデス『エレクトラ』では、老人がアイスキュロス劇と同じ「墓の髪・足跡・織物」を持ち出すと、エレクトラが一つずつ理屈で否定する。結局は眉の傷跡で弟だと分かる。先行作の有名な場面を劇中で批判する、珍しい形の文学批評になっている。

アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年、エウリピデス『エレクトラ』 前420年頃

ソポクレス『エレクトラ』の冒頭で、守り役の老人は、父が殺されたとき幼いオレステスをエレクトラの手から受け取って連れ出し、育てたと語る。

ソポクレス『エレクトラ』 前410年代頃

アガメムノンは帰国した日に、妻クリュタイムネストラと愛人アイギストスに館の中で殺された。

ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』 前458年

今の言葉に残る

エレクトラ・コンプレックス娘が父に愛着を持ち母に敵意を向けるとされる心的構図。1913年にユングがフロイトのエディプス・コンプレックスの女性版として名付けた。アガメムノンとクリュタイムネストラの娘で、母を殺すオレステスに力を貸したエレクトラにちなむ。

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このページの出典(9件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前8世紀頃ホメロス『オデュッセイア』
  3. 前458年アイスキュロス『オレステイア三部作(アガメムノン・供養する女たち・慈しみの女神たち)』
  4. 前420年頃エウリピデス『エレクトラ』
  5. 前410年代頃ソポクレス『エレクトラ』
  6. 前408年エウリピデス『オレステス』
  7. 前405年(没後上演)エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』
  8. 2〜3世紀アイリアノス(クラウディウス・アエリアヌス)『ギリシア奇談集』
  9. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』