ギリシャ神話の地図
ゼウス愛した神ヘラ仕えた女神ヘルメス救い手プロメテウス出会った神ダナイデス子孫エウロペ子孫
雲の姿のゼウスに抱かれるイオ。コレッジョの絵。

イオ

Ἰώ人間

雲の姿のゼウスに抱かれるイオ。コレッジョの絵。 『ユピテルとイオ』 コレッジョ 1530年ごろ ウィーン美術史美術館Public domain

木星の衛星イオは、太陽系でいちばん火山活動の激しい天体だ。1610年にガリレオが見つけた4つの衛星の一つで、のちにイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと、ゼウスに愛された者たちの名前が付けられた。

その最初の名前、イオ。ゼウスに愛されたばかりに、牛の姿で世界の果てまでさまようことになった娘である。その旅路を追ってみよう。

イオはギリシャ南部アルゴスの娘で、女神ヘラに仕える巫女だった。ローマの詩人オウィディウスでは、川の神の娘とされる。父の川から帰ってくるイオを見初めたゼウスは、森の木陰へ誘った。怯えて逃げる娘を、神は大地を厚い雲で覆って捕らえた。

真昼に立ちこめた雲を、妻のヘラが怪しまないはずがない。ヘラが降りてくると察したゼウスは、とっさにイオを真っ白な牝牛に変えた。後の神話集によれば、ゼウスは、この娘とは交わっていない、と誓いまで立てたという。

ヘラは、なんと美しい牛かとほめ、その牛を贈り物に欲しいと言い出す。愛する娘を渡すのはつらいが、断れば怪しまれる。ゼウスは牝牛を妻に差し出した。

ヘラが牛の見張りに付けたのが、百の目を持つ番人アルゴスだった。目は交代で二つずつしか眠らず、残りはいつも見開いている。

イオは番人に手を合わせて頼もうとしたが、差し出す腕が無い。訴えようとすれば、口から出るのは牛の鳴き声で、その声に自分で怯えた。かつて遊んだ故郷の川辺へ来て、水に映った角を見て逃げ出す。父も姉妹も、この牛が誰なのか分からない。父が草を差し出すと、イオはその手をなめ、涙をこぼす。そしてひづめで砂の上に文字を書き、自分の名前と身に起きたことを伝えた。父は、真っ白な牛の首にすがって嘆くしかなかった。

見かねたゼウスは、伝令の神ヘルメスに番人を倒すよう命じる。オウィディウスでは、ヘルメスは羊飼いに化けて葦笛を吹き、その笛の由来の長い話を聞かせて、百の目をすべて眠らせた。そして眠った番人の首をはねる。ヘラは番人の目を拾い集め、自分の鳥である孔雀の尾羽にはめ込んだ。

眠り込んだ番人に忍び寄るヘルメス。後ろには、牛に変えられた娘がいる。
眠り込んだ番人に忍び寄るヘルメス。後ろには、牛に変えられた娘がいる。『メルクリウスとアルゴス』 ディエゴ・ベラスケス 1659年 プラド美術館Public domain

それでもヘラの怒りはおさまらない。牛を刺すアブを送り込み、イオは世界じゅうを逃げ回る羽目になる。後の神話集によれば、最初に泳ぎ渡った海が、彼女にちなんでイオニア海と呼ばれた。黒海の入口の海峡は、「牛の渡り」を意味するボスポロスの名になった。

悲劇作家アイスキュロスは、この放浪の途中で、イオが世界の果ての岩山に縛られた神プロメテウスに出会う場面を描いている。人間に火を与えた罰を受けている神は、イオのこれからの長い旅路と、はるか後の子孫について予言した。

さまよい続けたイオは、ようやくエジプトのナイル川のほとりにたどり着く。ゼウスがヘラをなだめると、牛の毛は抜け落ち、角は消え、ひづめは指に戻った。イオはもとの娘の姿で、ゼウスの子を産む。その子孫からは、のちにアルゴスの王家や、テーバイを建てた英雄の家系が生まれていく。エジプトの人々は、イオを女神イシスと呼んで敬ったという。

この物語の出典: ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』、アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』、オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

こういう風にも語られている

ヘロドトスは『歴史』の冒頭で、神話を合理化した別の話を紹介する。ペルシャ人の言い分では、アルゴスに交易に来たフェニキア人が、王イナコスの娘イオをさらってエジプトへ連れ去った。これが東西の争いの始まりで、その仕返しがエウロペの誘拐、さらにメデイア、ヘレネと続く、という筋立て。

ヘロドトス『歴史』 前430年頃

ローマ以後の語り

父親は出典で割れる。アポロドーロスは、イアソスの娘とする説、年代記作者カストルや多くの悲劇詩人が言うアルゴスの河神イナコスの娘とする説、ヘシオドスとアクシラオスが言うペイレンの娘とする説を並べている。オウィディウスは河神イナコスの娘とし、牝牛になった娘を父イナコスが嘆く場面を置く。

オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ヘラは牝牛をもらい受け、全身に目をもつ番人アルゴスに見張らせた。ゼウスに命じられたヘルメスは、アポロドーロスでは石を投げてアルゴスを殺し、そこから「アルゴス殺し(アルゲイポンテス)」の呼び名を得たとされる。オウィディウスでは、ヘルメスが葦笛シュリンクスの由来話を語って百の目をすべて眠らせてから首をはねる。

オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

放浪の果てにエジプトのナイル河畔で元の姿に戻り、ゼウスの子エパポスを生む。アポロドーロスは、エジプト人がイオをイシスと呼んだと書き、オウィディウスも、亜麻の衣の信者たちに崇められる女神になった、とイシスと重ねる。エパポスの子孫からは、ダナオスとその50人の娘たち、そしてエウロペやカドモスの一族が出る。

オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

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木星の衛星イオは、1610年1月8日にガリレオが発見した。ガリレオ自身は番号とメディチ家の名で呼び、神話の名前が正式に使われるようになったのは19世紀半ば。ゼウスの恋の相手の名を付ける流れの一つで、同時に見つかった4つの衛星はイオ・エウロパ・ガニメデ・カリストとなった。

アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』 1958年〜(2026年9月閲覧)、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

オウィディウスでは、牝牛にされたイオはアルゴスに腕を差し伸べようにも腕が無く、訴えようとすると牛の声が出て自分で怯える。故郷のイナコス川で水に映る角を見て逃げ、父が差し出した草を持つ手をなめ、ひづめで砂に文字を書いて身の上を伝えた。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

ヘルメスがアルゴスの首をはねたあと、ユノ(ヘラ)はその百の目を拾い集め、自分の鳥である孔雀の尾羽に宝石のようにはめ込んだ。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

ナイル川に着いたイオが天を仰いで嘆くと、ユピテル(ゼウス)がユノをなだめ、イオは毛が抜け、角が消え、ひづめが指に戻って元の姿に返った。

オウィディウス『変身物語』 8年頃

もっと詳しく

アポロドーロスによれば、ヘラに見つかったゼウスはイオに触れて白い牝牛に変え、「この娘とは交わっていない」と誓った。ヘシオドスはこの話を根拠に「恋のために立てた誓いは神々の怒りを招かない」と言ったという。

ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

アブに追われたイオの放浪は、地名の由来譚になっている。アポロドーロスは、最初に着いた湾がイオにちなんでイオニア湾と呼ばれ、トラキアの海峡が「牛(ブース)の渡り(ポロス)」でボスポロスと呼ばれるようになったとする。ところがアイスキュロス『縛られたプロメテウス』でイオの名を負う「ボスポロス」は、イスタンブールの海峡ではなく、黒海北岸のキンメリアのボスポロス(現在のケルチ海峡)である。

アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』 前5世紀、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ほかのつながり(2人)

家族・恋愛

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今の言葉に残る

ボスポラス海峡 / Bosporus黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡の名は、ギリシャ語で「牛の渡し」という意味になる。この名は昔、いくつかの海峡に使われた呼び名で、とくにこの海峡を指した。牛と海峡を結びつけたのが、ゼウスに愛されたために雌牛に変えられ、各地をさまよった娘イオの話である。アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』では、プロメテウスがイオに、あなたが渡った海峡は後の世までボスポロスと呼ばれるだろうと予言する。ただし劇の中の海峡は、黒海とアゾフ海を結ぶ別の海峡(キンメリアのボスポロス)で、いまのボスポラス海峡ではない。

イオ(木星の衛星)太陽系で最も火山活動が活発な天体。1610年1月8日にガリレオが発見した。ガリレオは木星の4つの衛星を番号とメディチ家の名で呼び、神話の名前は17世紀に提案されたものの、広く使われるようになったのは19世紀半ば。1845年の天文書には、4衛星を「ヘベ、ガニメデ、テミス、メティス」と呼ぶ案も載っていた。牝牛に変えられたゼウスの恋人イオの名。

イオニア海 / Ionian Seaギリシャの西に広がるイオニア海の名も、雌牛に変えられた娘イオと結びつけて語られてきた。アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』では、プロメテウスがイオに、あなたがアブに刺されて海辺の道を駆け抜けたので、その入り江はあなたの渡った記念として、いつまでもイオニアの名で呼ばれるだろうと告げる。一方で、古代ギリシャ人の一派イオニア人とその土地イオニアの名は、ギリシャ語より古い言葉から来た可能性があると語源辞典は言う。海の名を本当にイオから取ったかどうかではなく、そう語られてきた、という話である。

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このページの出典(7件)
  1. 前6世紀頃ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』
  2. 前5世紀アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』
  3. 前430年頃ヘロドトス『歴史』
  4. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  5. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  6. 1958年〜(2026年9月閲覧)アメリカ航空宇宙局『NASA公式サイト』
  7. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』