ギリシャ神話の地図
トロイアの木馬槍を突き立てた相手ポセイドン仕えた神アテナ蛇が逃げ込んだ女神シノン疑った相手オデュッセウス警戒した相手アイネイアス語り手トロイア落城その夜
大蛇に巻きつかれるラオコオンと二人の息子の大理石像。1506年、トラヤヌス浴場の跡で発見。ハゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの作。

ラオコオン

Λαοκόων人間

大蛇に巻きつかれるラオコオンと二人の息子の大理石像。1506年、トラヤヌス浴場の跡で発見。ハゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの作。 『ラオコーン』 ハゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロス 前1世紀初めごろ(前200年ごろの原作の模刻とされる) バチカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)Public domain

バチカン美術館に、大蛇に巻きつかれて身をよじる男と、二人の息子の大理石像がある。1506年にローマの丘で掘り出されるとすぐに教皇が買い取り、以来、西洋美術を代表する作品の一つになった。像の名は『ラオコーン』。トロイアの神官ラオコオンの最期の瞬間を刻んだものだ。

では、ラオコオンがなぜ大蛇に襲われたのか、ローマの詩人ウェルギリウスの語る場面をたどってみよう。

10年にわたる戦争の末、ギリシャ軍は浜に巨大な木馬を残して姿を消した。トロイアの人々は城門を開けて出てきて、馬を城の中へ運び込むかどうかで言い争った。

そこへ城から駆け下りてきたのが、ラオコオンだった。愚かな人たちよ、敵が本当に去ったと思うのか。あの知恵者オデュッセウスがそんな男だと思うのか。私はギリシャ人が怖い。贈り物を持ってくるときでさえ。そう叫ぶと、ラオコオンは大槍を馬の脇腹めがけて投げつけた。槍は突き立って震え、腹の中の空洞がうつろに鳴った。もし神々の定めが違っていたら、とウェルギリウスは嘆く。トロイアは今も立っていたはずだ。

その日、ラオコオンはくじで選ばれて、海の神ポセイドンの神官を務めていた。祭壇で大きな牡牛を捧げていたときだった。沖の島の方から、二匹の大蛇が巨大なとぐろを巻きながら、静かな海をこちらへ泳いでくる。胸を波の上に高くもたげ、血のように赤いとさかが水面にのぞいていた。岸に上がった蛇の目は血と炎に燃え、震える舌で口をなめ回して、しゅうしゅうと音を立てた。

人々は青ざめて逃げ散った。大蛇はまっすぐラオコオンのもとへ向かう。まず幼い二人の息子に巻きつき、小さな体に噛みついた。武器を手に助けに駆け寄った父も、たちまち巨大なとぐろに締め上げられた。胴に二重、首に二重。ラオコオンは両手でとぐろを引きはがそうともがき、天に届くほどの恐ろしい叫び声を上げた。斧を受け損ねて祭壇から逃げる、傷ついた牡牛のうなり声のように。

大蛇と格闘するラオコオンと息子たち。奥には小さく木馬も描かれている。
大蛇と格闘するラオコオンと息子たち。奥には小さく木馬も描かれている。『ラオコオン』 エル・グレコ 1610〜1614年ごろ ワシントン・ナショナル・ギャラリーCC0

大蛇たちは、そのまま女神アテナの神殿へ滑り込み、女神像の足もとの楯の下に隠れた。

トロイアの人々は震え上がり、こう受け取った。聖なる木馬に槍を突き立てたから、ラオコオンは罰を受けたのだ。馬を城に入れて、女神に祈りを捧げよう。こうして木馬は、城壁を切り開いて町の中へ引き入れられた。その夜、トロイアは落ちた。

ただし、蛇に殺されたのが誰なのかは、伝える作品によって食い違っている。

この物語の出典: アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』、ウェルギリウス『アエネイス』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、バチカン美術館『バチカン美術館 公式解説』

この物語の人々

こういう風にも語られている

蛇に殺されるのが誰かは出典で食い違う。『イリオスの陥落』要約では、ラオコオンと二人の息子のうち一人が殺される。

アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』 前7世紀頃

アポロドーロスではさらに異なる。ラオコオンは「予言者」と呼ばれ、蛇に食われるのは二人の息子で、ラオコオン自身が死んだとは書かれていない。

アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

ローマ以後の語り

『アエネイス』では、木馬に駆け寄って「贈り物を持つギリシャ人こそ恐ろしい」と叫び、脇腹に槍を投げつける。中が鳴ったが、誰も気づかなかった。

ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃

海神に牛を捧げていると、テネドス島の方から二匹の大蛇が海を渡って現れ、まず二人の息子に、続いて助けに入ったラオコオンに巻きついて絞め殺す。トロイア人はこれを「木馬を傷つけた罰」と解釈し、木馬を城内へ引き入れてしまう。

ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃

1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見された大理石群像『ラオコーン』により、この場面は西洋美術の代表的図像になった。教皇ユリウス2世がただちに取得し、現在もバチカン美術館にある。レッシングは同名の評論(1766)でこの像を、絵画と詩それぞれの表現の限界を論じる出発点にした。語源の節も参照。

ゴットホルト・エフライム・レッシング『ラオコオン — 絵画と詩の限界について』 1766年、『オックスフォード古典学辞典』 第4版 2012年、バチカン美術館『バチカン美術館 公式解説』 公式サイト(2026年9月閲覧)

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どの神が関わるかも一定しない。『アエネイス』ではその日くじで選ばれたネプトゥヌス(ポセイドン)の祭司とされ、アポロドーロスでは単に「予言者」と呼ばれる。ヒュギヌスでは蛇を送るのはアポロンで、二人の息子にアンティファンテス、テュンブライオスという名まで付いている。

ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃

大蛇は血のように赤いとさかを波の上に出して泳ぎ来り、目は血と炎に燃えていた。息子たちを締めて噛み、助けに来たラオコオンを胴と首に二重ずつ巻いた。ラオコオンは傷ついた生贄の牛のような叫びを上げた。蛇はそのまま城砦のアテナ(トリトニス)の像の足もと、楯の下に隠れた。

ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃

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ラオコーン像1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見され、大プリニウスが『博物誌』で称えたロドス島の彫刻家たちの傑作と同定された大理石像。木馬を受け入れるなと警告して蛇に絞め殺されるラオコーンと息子たちを表す。教皇ユリウス2世がすぐに買い取り、彫像の中庭に置いて収集の中心に据えた。

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このページの出典(8件)
  1. 前7世紀頃アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』
  2. 前19年頃ウェルギリウス『アエネイス』
  3. 1〜2世紀頃アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
  4. 1〜2世紀頃ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』
  5. 3〜4世紀クイントゥス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚(ポストホメリカ)』
  6. 1766年ゴットホルト・エフライム・レッシング『ラオコオン — 絵画と詩の限界について』
  7. 第4版 2012年『オックスフォード古典学辞典』
  8. 公式サイト(2026年9月閲覧)バチカン美術館『バチカン美術館 公式解説』